僕は君の皿の上

猫成

プロローグ 「最後の子」

【某所高等学校】


 白いツノに、長い尻尾。僕らの片方のご先祖様は広い平原を走り回っていたそうだ。もう片方のご先祖様は、随分自分勝手に生きてきたようでその種を保てなかったようだ。

「皆さんの体には、多くのご先祖様の命が宿っております。」

 歴史の教師のお決まりの台詞に皆慣れてしまったようで誰よりも耳がいいと噂の兎種の同級生も知らんふりのようだ。そんな自分も先生の話を我慢して聞いている。食事のあとはとても眠くなる。授業中の居眠りは、我慢できない。

 僕のご先祖様は、牛。頭に生えるまだまだ成長段階のツノと大きく毛深い体。そして尾がそのことを示している。遥か昔、僕らが『人間』だった頃にどうしてもそのままでは生きていけない事件が起きたらしい。そこで、当時の人々が生き残るために決めたのは『人間』であることを辞めることだった。僕たちは『ミックス』という別の生き物に生まれ変わったのだ。この過去は、みんな知っているのに詳しいことは今も分からないことが多いそうだ。歴史の教科書にもそこの部分は穴だらけ。だけど、お蔭で僕らはこうして生き残ることが出来たようだ。

 僕らにも『人間』は残っている。生活のリズムはミックスの血に大きく影響されてしまった者以外は昔のままらしいし、世界が劇的に変化したようではなかった。種族ごとにグループを作り、無駄な争いはせずに平和に生きて来た。

「牛く~ん。ちょっとお金貸してくれないかな。」

 平和。口にするのは簡単だけど、実際にそれを保つのは難しい。僕は今、教室の中での地位を著しく低下させている。つまりはイジメに合っている。でもこうしたことは珍しいわけではない。学校でも社会でも個性溢れる僕らの存在はどうしても、色々な格差を生じていた。

僕ら『ミックス』は乳幼児期間に体の中にある生き物の遺伝子が目覚める。ある者は、羽根やエラなどの部位が新しく成長し、ある者は心身的なホルモンバランスが変わっていく。それはもう運のようなもので、親と決して同じ動物であるとは言えない。

「悪いけど、今日はこれしかない…。」

 僕は財布から数枚のお札を出すと彼らは嬉しそうにそれを受け取った。僕は家族に何て言い訳をするか考えていた。僕は兄が、獅子であった。父は豹で、母は熊だ。僕もそのどれかであったらいいのに。僕が牛だということを兄やクラスメイトはからかう。牛は、家畜だと言う理由で。

「おい、いいのかよ。」

「いいって、いいって。牛くんは、草でも食べてればいいからな。」

 そう言って彼らは教室から出て行った。僕は、悔しく思ったけど大きな争いが無かったことに安堵して弁当を出した。勿論、中は彼らが言っていたように草だった。だけど、これが一番美味しいのだ。牛としての味覚がそう言う。クラスメイトの嘲笑が聞こえてきたが、僕はそれを口いっぱい頬張った。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 そんな『ミックス』で成り立つ世界に、たった一つ異質な存在がいた。いや、本来の姿と言うべきかもしれない。

「あ、見て。登校してきているよ。」

「えー、最後の登校は何時だっけ。」

「でも、来る意味ないでしょ。そもそも来ることが変だって。」

 同級生たちの声に、そっと窓から外を覗く。そこには一人の女子生徒がいた。黒く長い髪に同じ色の瞳。学校指定の制服から伸びた手足には、何も特徴はなく。よく言えば無駄なものが一切ない。完成された姿であった。それはこの学校、この社会ではとても奇妙な姿だった。

 『最後の子』

 彼らはそう呼ばれている。世界にもう数える程しかいない。『ミックス』に成らなかった『人間』だった。皆は彼らを見て噂する。最近まで地下で冷凍されていた。残された遺伝子から生まれたクローン人間なのだ。様々な嘘か真か分からない話が溢れている。実際、彼らが何故『人間』のままでこの世界に生き延び続けたのかは公表されていない。誰もが気にしている、実際彼らのことを追及した本やテレビなどはよく売れるらしい。だがどれも真相だとは言われていない。

「あ、今日もしているよ。あのネックレス。」

「そりゃそうでしょ。」

彼女のしているネックレスには、銀の版に五つの宝石が飾られている。それぞれの宝石は種を現し、全ての種は貴方を庇護すると言う誓いの証なのだ。彼らは全ての種族から保護対象とされている。彼らの存在は、生きた伝説であり、歴史であり、僕らが取り戻せない過去なのだ。彼らは過去だけでなく平和の象徴にまでされてしまっている。

沢山の護衛と野次馬に囲まれながら、颯爽と彼女は教室へと歩いていった。それもここでは、何回も目撃されていることなのだが皆やはり彼女のことが気になるらしい。

「…考えられない世界だな。」

 僕の声は彼女に届くはずもなく、消えていった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 その日、僕はとても悲しい目にあっていた。荷物が全て何処かに隠されてしまったのだ。放課後、皆が家や部活などに向かう中で学校中を探しまわらなければいけなかった。犯人は分かっているが、何も言う気はない。僕は彼らを満足させる食料なのだ。実際、食べられないだけいいじゃないか。そうは思っても、悲しくなる。目尻には涙が出てきた。どうせなら泣かない生き物で目覚めたかった。そんなことを考えていると、腹が鳴った。盗まれた荷物の中には、昼ごはんも入っていたのだ。肉食ばかりの家族の中で、母親が僕にだけ作ってくれた大切な食事だ。

僕は何だか探しているのも馬鹿らしくなってきてその場に座り込んだ。探し回ってもう疲れた。こうして空き部屋を回ってはいるが諦めたほうがいいかもしれない。この学校は、使われてない部屋が多すぎる。嘗てはこの部屋が全て使われていたなんて考えられない。古くからある校舎なのは知っていたが、今はそれが憎らしく感じられた。

 部屋から出ようとした時、誰かの足音が近づいてくるのに気が付いた。もしかして、荷物を隠した奴らか先生かと思い僕は身を隠した。幸い、この教室には荷物が沢山置かれていたので入り口から影になるように隠れられた。どっちだったとしても見つかった時、厄介なのに変わりは無かったからだ。

 しかし、教室に入って来たのはイジメ相手でも先生でもない。『最後の子』が何時も側にいる護衛も付けずに埃だらけの部屋に入って来たのだ。彼女は、適当に椅子を引きずり出しハンカチをその上に敷いた。そして、髪を一つに纏めて邪魔にならないようする。

僕は、初めてこんなに間近で『最後の子』を見た。本当に何も無かった。ツノも尻尾も、羽もエラも。それともあの制服の中に何か隠れているのだろうか。『人間』だけの者が持つ特別な何かを彼女は持っているのだろうか。僕は自分が考えたことを慌てて頭から追い出した。何だか恐れ多いことを考えているような気がしてしまったのだ。

 彼女は何をするのだろう。彼女は、鞄を開きそこから何かを取り出した。匂いを感じてそれが食べ物であることがすぐに分かった。こんな所に来て彼女は何故食事なんかを取るのだろうか。確か彼女は決められた場所で、人目に触れられず何時も食事を取らないといけないはずだ。だけどそれはこんな汚い空き部屋ではなく、彼女のためだけの教室でのことだった。

「いただきます。」

礼儀正しく彼女は手を合わせる。『最後の子』は、決められた食事しか確か食べられなかったはずだ。僕は草が大好きだけど、『人間』の彼女たちは肉や魚などをバランスよく食べなければいけない面倒な食事をしているらしい。だけど生活に悩むことのない彼女たちには困らないことだろう。彼女の以外な一面を知ってしまって僕は不思議な満足感を持った。

 だが、その満足感はすぐに別の感情へと変わってしまった。恐怖だ。

「ふふ、美味しそう。」

 彼女が微笑んで袋から取り出したものを僕は知っていた。こんがり茶色の衣、ほくほくと暖かそうな湯気が見える。彼女はその一つを爪楊枝に刺して口に運んでいった。そして、一噛み毎ゆっくり味わっているようだ。僕はそれを知っている。それは唐揚げだ。ここの食堂に一袋三百円で買える皆が大好きな食べ物だ。だが僕の心臓は、今にも爆発しそうだった。怖くて早く逃げ出したかった。

 『最後の子』が、食べている。僕はその姿だけで、今にも泣き出しそうな程怖かった。何故だか自分自身でも分からない感情が背中を通って今にも口から押し出てしまいそうだった。早く、早く逃げよう。ここに自分は居てはいけないのだ。

「誰。」

 僕の息が知らずに大きくなってしまっていた為か。それは分からないが、見つかってしまった。

「そこに居るの。出てきて。」

彼女の呼びかけに僕は声を上げてしまった。悲鳴に近かったと思う。彼女はすぐに僕の側に駆けよってきた。思い出すのは彼女の食事する姿だ。怖い。自分には武器になるツノや、硬い体があるはずなのに何もないはずの彼女に逆らえない。

彼女は荒い息をする僕の頭をそっと撫でた。すると、さっきまでの激しい感情が嘘のように引いていった。息を整えて吐き気を催す僕が落ち着くまで、彼女はずっと僕の頭を撫でていてくれた。こんな相手を目の前にしたときに対処する方法を最初から学んでいるようであった。

漸くして落ち着いてきた。僕は彼女に謝るべきか感謝するべきなのか、ぐちゃぐちゃになった感情で考えている間に先に言葉を発したのは彼女のほうだった。

「ごめんなさい。私のせいなの。」

 彼女の困ったような表情で、僕は静かに涙を零してしまった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「私達の食べる姿は、あなた達には恐ろしいものに見えるのよ。」

 食べる姿だけではないのだと彼女は言う。彼女たちの行動にミックス達は強い反応を示す。それは、敬愛であったり好奇であったり様々だが本能的に植え付けられたものであるようだ。だから、彼女たちは管理されている。影響力が強すぎるために、守られて生かされているのだ。

「それは、何だか息が詰まるね。」

 僕の余りに正直な言葉に彼女はとても驚いたようだった。

「えぇ、だから今日は護衛に嘘をついてこっそり買い食いをしてみたの。ふふ、私が勝手に唐揚げを食べたって知ったら怒られてしまうけど。」

 怒られるだけで済むのだろうか。ヘタをしたら「許可の無い鶏肉を食べた。」と言うことが、大きな問題になるのではないか。彼女を守護するミックスの中には勿論だが鳥類も居たはずだ。だがそう言う彼女の表情は楽しげであった。その姿を見ていると僕も嬉しくなってしまった。それが彼女からの影響だというのは分かってはいたが、それでも止めることはできない。しかし、彼女は少し淋しげな表情になってしまった。

「ミックスへの影響力はけしていいものだけじゃないの。」

 僕は彼女が言う内容が何となく分かった。

「さっきの食事のこともだけど、私達を激しく憎悪、恐怖を感じることもあるの。」

 分かってはいたが、そんな寂しい表情をしないで欲しかった。さっきまでの春の陽気に居るような感情は消えてしまい今や秋の物寂しさを感じてしまう。彼女一人の側にいるだけで、こんなにも心が落ち着かない。改めて彼女たちが管理される理由を納得した。

「ねぇ貴方って。牛なの?」

 いきなり、振られた話題に僕は何だか恥ずかしくなってしまって、そうだと言うのに不思議な間が出来てしまった。

「ミックスが私達に影響されるように。私達もミックスに影響されるの。」

「え、どんなふうに。」

 それは初耳であった。きっとどんな本にもゴシップ雑誌にだって書いてないだろう。僕は好奇心でそれを尋ねた。

「主には『食欲』。」

 だがすぐにそれを後悔した。彼女はとても綺麗な笑顔で僕を見ている。

「貴方ってとっても美味しそう。」

 僕は彼女の膝の上に未だにある唐揚げのことを思ってその元々の姿を思った。

「ごめんなさいね。でもこれはどうしようもないの。他にも『征服欲』や『愛玩欲』みたいなのも感じる。勿論、中には『恐怖』を感じる相手もいるの。」

 もう僕は彼女の話は殆ど耳に入ってこなかった。そこらの記者が死ぬ気で追い回している『最後の子』の話だ。だが僕は、彼女に目に自分がとても美味しそうなステーキに見えていることがとてもショックだった。正直、気絶でもしてしまいたい気分だった。

「大丈夫、食べたりしないから。」

 当たり前のことだが、僕はその言葉に酷く安心してしまった。まさか『最後の子』達がそんなふうに僕らを見ているとは思わなかったと伝えた。

「『人間』だからこそ貴方が美味しそうに見える。」

「僕は草が好きだ。」

「野菜なら私も好きだわ。」

「いや…うーん。野菜なのかな。」

「好き嫌いしないで全部食べなさいって言われているの。」

 矢張り、彼女と僕は全く違う生き物だ。お互いに影響力はあるようだが、それでも交わることはない。とても貴重な経験だった。異世界の人と会話を成功させたようなものだ。僕は馬鹿正直に、彼女に『人間』とお話出来たことが嬉しかったことを伝えた。

「でも、貴方も『人間』よ。」

「え。」

「私は、二つ持っている貴方が羨ましい。」

彼女はそう言って、冷めてしまった唐揚げをまた袋に戻してしまった。そして立ち上がって部屋から出ていくために扉に手をかける。

「またお話をしましょう。」

 その言葉には、影響力関係なしに僕がきっとそうするだろうという自信に満ちていた。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 僕と彼女の奇妙な語らいは、僕らが初めて話した時と同じ金曜日の放課後に行われた。何でも、金曜日から彼女の護衛と送迎が週末担当に変わるらしい。その為、一時間程だが一人の時間が出来るようだ。本来彼女は、この時間。安全な鍵付き教室に待機していないといけない。それを、本を返すだの職員室に行くだの理由を付けて抜けだしているようだ。

「皆、私がお願いするとすぐに許してくれるの。」 

 それはそうだろう。きっと彼女がお願いをすれば、殆どのミックスは彼女のために何でもする。

それこそ、『最後の子』に対して崇拝の域までいっているミックスなら犯罪だって厭わない者が居るかもしれない。

 僕は彼女と話してから、自分に起こる影響を出来るだけ調べていた。彼女の仕草、行動、感情に僕は振り回される。それは純粋な好奇心だった。

「今日は、何の話をしてくれるの。」

 だが段々と、話すのは自分の仕事になってしまった。彼女がそう言うと僕は話さないわけにはいかない。結局、彼女から聞けたことは最初で話したこと以外は新鮮味のないものばかりであった。僕は、クラスの話をすることにした。最初は、人数の多いクラスの話をすれば彼女が楽しいと思ったからだ。

「でも、多いと色々大変なこともあって…。」

 しかし、次第に話はクラス内の順位になっていった。最初、彼女は知っている。テストとかで出るやつでしょうと言った。僕は彼女を少し嘲笑しながら違うと応えた。僕は、イジメの話をした。一人の彼女にはきっと味わったこともないことだろう。僕は若干の妬ましさを持ちながらその話をした。彼女に話している間に随分、感情が入れ込んでしまい。最後には個人的な愚痴になってしまったが、彼女は僕の話が終わるまでずっと聞いていた。

そして話つかれた僕に向かって彼女は言った。

「とても楽しそう。」

 僕は今の話の何処に楽しい要素があるか分からなかった。一人で過ごしている彼女にとっても面白いことだったのかもしれないが、実際虐めにあっている自分にとっては何も笑う彼女を奇妙な気分で見てしまった。

「だって、その子。貴方より強い動物だからって貴方をいいようにしているわけでしょ。可愛い。」

 確か彼女は『愛玩欲』を僕らに感じると言っていた。彼女にとって僕らは小さな箱で縄張り争いをする可愛い動物たちなのだ。僕は背筋に少し、冷たいものを感じた。そしてそれが胸の奥から溢れそうになるのを何とか押し留めた。またあの時のように泣き喚いてしまいそうだったからだ。彼女はそれが分かってか、僕の頭を優しく撫でる。

「私も皆と一緒に勉強したい。」

 冗談じゃないと思った。彼女は、僕らの頂点だ。彼女がクラスに来たら今のバランスは崩れてしまう。彼女は、笑顔でそれをするだろう。そして誰も彼女を止めないだろう。

「貴方が羨ましい。」

 彼女はまた僕が羨ましいと言っていたが、僕は彼女が羨ましかった。どうしてだろう。頂点から別の生き物を見下ろす感覚はどんなものなのだろうか。あんな、管理されて自由もないはずなのに。何かが惹かれるのだ。

とにかく、あの時荷物を隠されて居なければこうして彼女と話をすることも無かっただろう。僕は少しだけ苛めっ子たちに感謝をした。



▲▽▲▽▲▽▲▽



 僕は金曜日に彼らに感謝した自分を恥じた。すっかり忘れていたのだ、彼女と過ごす日々が刺激的で彼らの存在がとても小さなモノに感じていたのだ。だが、僕らをそう感じていいのは彼女だけだった。

「牛くん、最近上機嫌だね。」

犬歯をギラつかせて、何時もの奴らと久しぶりに顔を合わせた。

そしてすぐに分かった、彼らは怒っている。

彼らは言った、調子に乗っている。楽しそうな顔がムカつく。どれも僕を殴るのに必要な理由だった。クラスメイトが久しぶりに始まった暴力に興味を持つ者もいれば無関心を装うものもいた。僕は久しぶりに願った。誰か助けてくれないかと。だがそんなクラスメイトは一人も居なかった。

 あぁ、そうだよ。お前たちもこいつらの下の動物だからな。同種族ならまだ分かるけど、他種族のましてや自分より弱い生き物のことを助けようとは思わない。当たり前。ミックスなら当たり前の反応なのだ。何もおかしくない。僕は運が悪かった。それだけのことだ。早く気絶してしまおうと、切れた口内の血を味わいながら瞼を閉じていった。


「貴方も『人間』よ。」

 彼女の言葉が頭に響いた。


立ち上がった僕に、皆が目を向けた。寝ていればいいのに、そうすればこれ以上痛い思いをしないで済むのに。皆が思っていることが、分からないわけが無かった。

「限界だ。」

 感情が爆発しそうだった。それは、牛の僕の感情ではなかった。もう一つ、体の奥に眠っていたような激しい感情が僕の中で暴れまわっていた。それは、牛としての僕を巻き込み押さえ込めない。

「おい、お。牛くん。そんなマジになるなよ。」

 次に意識がはっきりしたときは、悲惨なものだった。倒れる虐めっこたちの中で僕は呆然と立っていた。壁やロッカーは、ヘコみ傷だらけで机や椅子は辺りに散らかっている。クラスメイトたちは教室の外から怯えたように僕を見ていた。

 酷い有り様であった。酷使したツノ、走り回った蹄が痛む。だけど体の痛みは気にならなかった。あれだけ高ぶっていた感情がとても心地よく感じられた。クラスメイトに呼ばれた先生達が教室に来る声が聞こえてくる。

 僕は本当に『ミックス』になれたような気がした。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「貴方って案外、単純なのね。」

 傷だらけの僕の頭を撫でながら彼女は言った。ここは彼女だけの教室、外には護衛がいた。普段なら僕なんかが入れる場所ではないのだが、彼女が僕と話をしたいと言ったのだ。

あの後当たり前だが問題になった。大柄の肉食動物ミックスの喧嘩ならまだ珍しいことではないが、草食で誰よりも大人しかった僕が暴れたことが一番問題だったのだろう。どうなってしまうのかと、今更後悔して震える僕はすぐに解放された。

「でも、かっこよかった。」

 あの時、護衛に囲まれた彼女が言ったのだ。優しい微笑みを浮かべて『彼は私に影響された。』 のだと。まるで魔法のように、その言葉で大人たちは僕に対する態度を一変させた。それなら仕方がない、悪い事故だったのだ。気をつけるようにと軽い注意で終ってしまった。両親には連絡をされてしまったが、血気盛んな家系の為にそれ程問題ではなかった。

「僕も、何であんなことしたのか…。」

「だから、私に影響されたの。私達のせいで事件が偶にあるから。」

 恐ろしいことをさらりと言う彼女にも、もう大分慣れてきた。つまり、『最後の子』に関わるミックスはこのことをよく知っていたわけなのだ。僕は、その彼女に影響されて暴力事件を起こした哀れな青年ということになる。

「でも、もう貴方に近づくなって言われちゃった。」

 それを聞いて僕は彼女を見た。彼女は笑ってはいたが、ミックスの僕には悲しんでいるのがすぐに分かった。

「当たり前か。それに、貴方の側にいなければもうこんなことは無いはずだもの。ちゃんと私のせいだって周りの人に言って…。」

「嫌だ。」

 そして、それを放って置くことは出来なかった。僕は、自分の言葉に驚いてしまった。それは彼女も同じようで、だがすぐに何時もの優しい笑みを浮かべた。

「ねぇ、私。大学に行ってみようと思うの。」

 突然彼女が言った。僕はいきなりのことでどう返していいか分からなかった。

「普通『最後の子』は高校を卒業したら、そのまま『最後の子』だけの国に戻る。でも私は貴方と同じ大学に行こうと思って。」

「で、でも。そんなの。」

 そうは言うが、僕は心の何処かで喜びを感じていた。

「いいじゃない。『最後の子』と『ミックス』で仲良く大学。きっと大騒ぎ。」

 きっと僕の言葉はもう届かないだろう。いや、何を言ったってそれはきっと本心でないのが彼女には分かってしまう。彼女は苦難の表情を浮かべる僕に、顔を近付けそっと言った。

「それに、何時か貴方を食べられるかも。」

 僕は激しいショックに意識を手放し、深い夢に落ちる。


 僕は皿の上にいた。そこには僕を熱い視線で見つめる彼女がいる。僕は抵抗しない。恐怖もない。これは、どっちの僕の感情なのだろうか。『人間』か『牛』それとも『ミックス』か。

僕の体に宿るご先祖様に聞いたところで答えは分からないだろう。




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