第10話 リュージュにて
「田島 優 君、神田朱音さん、晴れて二人の婚約を祝しまして、乾杯!!」
マスターの陽気な掛け声を合図に、その場に集まっていた人達は一斉にグラスをあわせ、口々におめでとうを言ってくれた。
さほど広くはないリュージュのカウンターからフロアは、二人の婚約を祝う為のパーティーと称して貸し切りにされ、招待された10人程の親しい友人達で賑わっていた。
もちろん、発起人も、主催者も、リュージュのマスターだった。
あの伊勢社員旅行から三ヶ月半が過ぎ、新しい年も迎えてそろそろ二月の半ばになろうとしている。
田島の胃潰瘍も昨年末には完治し、完全復活を遂げていた。
先週、正式に結納を交わし、二人は晴れて婚約、結婚式は、四月に決まった。
田島が退院して、通院しながらも仕事復帰出来るようになると、朱音は真っ先に彼をここリュージュに連れてきてマスターに引き合わせた。
百聞は一見に然り……の言葉通り、二人が会いさえすれば、すべての誤解や行き違いは解けると、朱音は思った。
初めて田島を紹介した時、マスターは持ち前の関西パワー全開で迎えてくれた。
「おぉ!朱音姫のモンスター王子にようやく会えたな!待ちくたびれたでぇ!」
そう言って豪快に笑ったマスターに、田島は目を丸くした。
なかなか名古屋では出会えないテンションの人物に思えた。
だが、一目で好感が持てた。
「初めまして、ではないですよね?その節は、どうも。あの時は挨拶も出来ませんでしたけど」
田島のいきなりのストレートな言葉に、マスターはハッハッハと笑った。
「俺の演技も、素人にしてはなかなかやったやろ?」
「そうですね、すっかり騙されたわけだし。でも、彼女を大切に見守ってくれていたことには、心から感謝しています」
マスターは大袈裟に、額の汗を両腕で拭く真似をして、笑った。
「この頑固姫のお守りは、なかなか大変やったで?知ってるとは思うけどな」
「えぇ、十二分にわかっているつもりです。ここから先は、僕が引き受けます」
「もし、抱えきれなくなったらどうするんや?」
何かを試すように、マスターは聞いた。
「それは、有り得ない。どんなことが起きても、です」
田島の言葉にも、その表情にも迷いはなかった。
「そうか、なら安心やな。不器用な娘やからな、任せたで」
「もしも、僕が彼女を抱えきれなくなったら……マスターが、引き受けるつもりですか?」
今度は、田島がマスターを試した。だが、マスターは笑い飛ばす。
「俺に、誘導尋問は通用せんよ!そんなことに引っ掛かるほど、若くはないしな」
田島は予想通りの答えに、無言で笑った。
おそらくは、彼にとっても朱音は特別な存在だったのかもしれないと思ったが、そこは触れない方がお互いの為なのだとも思った。
その後の田島は、朱音と共にリュージュの常連入りをした。
通えば通う程、マスターの人柄に引き込まれ、ここがとても居心地の良い場所だと認めずにはいられなかった。
朱音がここを心のよりどころにしていたのも理解できる。
だから……プロポーズも、ここでした。
彼女が最も信頼を寄せている人に証人になって貰うべく、あえてここを選んだのだ。
もうこれ以上待つ理由も、時間をかける必要も感じなかった。
出会ってから五年半……間に四年ものすれ違いがあったとしても、お互いがお互いを必要としていた四年だったのだから充分だ。
何一つ飾らないシンプルなプロポーズに、朱音は満面の笑みで即答してくれた。
そして、マスターが喜び勇んでこの婚約パーティーを仕切ってくれたのだ。
「田島さん、朱音、ほんとにおめでとう!」
薫子が、グラスを手ににこやかに近づいてきた。
「ありがとう、薫子。こうなれたのも、あなたのアドバイスが効いたのかも!」
「アドバイス?花田さんに僕のことを相談していたのか?」
田島がそう言って朱音を見ると、薫子が少しだけ照れくさそうに肩をすくめた。
「アドバイスだなんて、そんな大層なことじゃないわよ。ただ、朱音って見ててイラっとするくらい優等生でいようとするから、やめなさいって言っただけ」
「もっと、恰好悪くていいのよ、って言ってくれたの。複雑になるのが怖くて、無難な方へ無難な方へ行こうとしてたから」
朱音は薫子と二人で初めて無茶飲みをしたときのことやらを思い出しながら、笑った。
「へぇ、的確な意見だね。僕も賛成だな、朱音は時々手に負えないくらい頑なになるからな」
「そうでしょう?朱音って結構面倒臭いわよ?もう一度考え直してみない?」
薫子の意地悪な質問に、田島はあっさりと首を振って笑った。
「考え直す余地はないな、彼女がどんなに面倒臭い女性だったとしても、囚われの身は僕の方だからね」
その言葉に、薫子は一瞬ポカンと口を開き、次の瞬間高笑いした。
「これだから、他人の婚約パーティーなんて来るもんじゃないのよねぇ!他人の幸せほどつまんないものは無いんだから!」
薫子のあからさまな言い草に、三人は顔を見合わせて笑った。
田島と朱音は、途中、酔いを醒ましに広いテラスに出た。
風は無かったが、空気が澄んでいて肌に刺すように冷たい。
「冬の夜景は空気が澄んでいるから、すごく綺麗ね!」
朱音は子供のようにはしゃぎながら笑った。
こんなに幸せでいいのだろうかと思えるほど、幸せだった。
ふと、優も、同じ気持ちだろうかと思う。
「ねぇ、ベタな質問してもいい?」
「ん?なんだい?」
「……優は、今、幸せ?」
朱音は月明かりに照らされたハンサムな優の顔を、仰ぎ見た。
「この上なく、ね。でも、朱音は?なんて聞かないよ。幸せすぎて怖いって顔してるからな」
朱音は、手すりにつかまりながらクスクス笑った。
「やっぱり、優は変わったわね。昔の優ならそんな風には言わなかったわ」
「昔の僕なら、どう言ってたと思う?」
「きっと……朱音が幸せなら、僕はそれだけで幸せだよ……そう言ってたと思う」
「間違いないな。でも、今もそう思ってはいるけどね。ただ、あえて口に出して言わなくなった」
「それって、私のせい?私が重いって言ったりしたから?」
田島は、朱音の後ろから身体ごとすっぽり包むように、手すりをつかむ彼女の手に自分の手を重ねた。
「せい、じゃなくて、お陰だよ。昔は確かに自分の想いを伝えることのみに固執していたような気がする。今ならわかるんだ、それじゃぁ朱音も息が詰まっただろうって。重いって言われても仕方なかったってね」
優の手が重なっただけで、鼓動が跳ね上がったことに顔を赤くしながら、朱音はここが暗がりでよかったとホッとした。
こんな小さなことで、信じられないくらいに動揺してしまう。
あきらかに、昔の自分には無い変化だった。
これが、人を恋しがる気持ちなのだと改めて知る。
でも、この気持ちを言葉にして伝えてしまうのは、なんだか勿体ない気がした。
「ん?何考えてる?」
こめかみの辺りから聞こえた優の優しい声に、朱音はそのまま彼の腕の中でくるっと身体の向きを反転させて、彼の腰に腕を回した。
その優しい瞳を見つめながら、あぁ、やっぱり彼が死ぬほど好きだな、と思う。
だが、胸が詰まって言葉が出てこない。朱音は柔らかいカシミヤの彼のセーターに顔を埋めた。
田島はすべてを理解しているかのように、力強く朱音を抱きしめる。
「こらこら!今日は、二人の世界に浸るの禁止やで!」
「ちょっと!ゲストを放ったらかしってどういうこと!?」
部屋に繋がるドアから、マスターと薫子が顔を出して銘々に文句を言った。
二人は可笑しそうに顔を見合わせると、どちららともなく手を繋いで皆の元へ戻っていった。
~ Fine ~
あなたに帰りたい 美瞳まゆみ @mitou-mayumi
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