犬と散歩とラブレター

無月兄

犬と散歩とラブレター

 ボクの名前はマカロン。大石家で買われている雄犬だ。白い毛並みは雪みたいだって言われるけど、それなら何でマカロンってつけたんだろう?でも可愛い名前だからいいや。


 犬種はザッシュって言うんだって。何だか外国人の名前みたいでカッコ良い。

 そんな僕の一番の楽しみは、毎朝大石家の一人息子、健人君に散歩に連れて行ってもらうこと。健人君は二年前、まだ産まれたての野良犬だったボクを拾ってくれた、とっても優しいご主人様だ。去年高校生になってからは帰ってくるのが遅くなって、遊べる時間もちょっとだけ少なくなったけど、それでも毎朝の散歩は欠かすことなくやってくれる。


 今日も早起きしてリードを用意する健人君に、ボクは愛情をこめて突撃することにした。


「こらマカロン、くすぐったいぞ」

 健人君はそうは言いながらも嬉しそう。リードをつけられ外に出ると、近所にある公園に向かう。いつものお散歩コースで、ボクのお気に入りの場所だ。

 だけど、健人君にとってはそれだけじゃないみたい。いつもここに来ると何だかソワソワして落ち着かない。なぜかというと――


 その時、ボクの目の前に一匹の蝶々が飛んでいた。こんな時間に珍しい。まてまてー。


「こら、勝手に走るな」

 健人君が注意するけど、火のついた野生の本能は止められない。ボクは蝶々を追いかけながら、全速力で駆けていく。すると――


 ボフッ


 歩いている人に気付かずぶつかってしまった。ごめんなさい。どうやらボクは野生の本能に目覚めてはいけなかったみたいだ。

 健人君が息を切らせながら謝っている。


「内川、マカロンが迷惑かけたな」

 えっ、ホントだ、内川さんだ。


 内川さんは健人君と同じ高校に通う女の子だ。陸上部の内川さんは毎朝この公園を走っていて、ボクたちとはよく顔を合わせるんだ。


「相変わらずだね。ねえ、撫でていい?」

「ああ、いいぞ」

 撫でてくれるの?わーい。


 ボクは頭や背中、首元を撫でてもらうと、ごろんと転がってお腹を見せた。

「可愛いな。うちもアパートじゃなければ犬飼えるのに」

 内川さんは犬が好きで、ボクと会うたびに遊んでくれる。ボクも内川さんの事は好きだよ。だからもっと遊んでね。でも、僕よりもっと内川さんのことを好きな人がいるんだ。

「マカロンで良ければいつでも連れてくるぞ」

 そう言った健人君の顔は何だか赤くなってる。分かりやすいな。そう、健人君は内川さんのことが好きなんだ。ボクとは違って恋愛的な意味での好きだよ。


 毎朝内川さんと別れた後は、こっそりボクに『内川、可愛いよな』なんて言ってくるし、そうでなくてもこのソワソワした態度を見ていたらすぐにわかる。

 二人が仲良くなればボクも嬉しいけど、残念ながら今の所そうなりそうな気配はない。

 今だって楽しそうにお喋りしているけど、内川さんは健人君の気持ちには全然気づく様子がないんだ。こんなに分かりやすいのに何でだろう?健人君も健人君で、好きと思っているだけでちっとも行動に移そうとしない。

 この日も、ボクがしばらく遊んでもらって、二人とも楽しそうだったけど、いつもと変わらないまま内川さんとはサヨナラしたんだ。

 この調子じゃ健人君の恋が実るのはだいぶ先の話になりそうだ。ボクはそう思っていたけど、健人君が動いたのはその夜の事だった。


 

「決めた。内川に手紙書こう」

 夜、ボクが健人君の部屋に行くと、健人君は決心した様子で言った。内川さんに手紙。それってラブレターの事だよね?鞄の中から可愛いいメッセージカードを取り出したし間違いない。奥手で今まで何もできないでいた健人君がついに動いた。ボクは感動したよ。


 それにしても、メールやラインもある二十一世紀の今、紙のラブレターなんて古風だね。

 まあ、そんなアナログなやり方だからこそ逆に心に響くものもあるかもしれない。健人君はどんなことを書くのだろう?ボクは犬だから字は読めないや。音読してくれないかな。


 だけど、健人君はそれまで書いていた手紙を急に破り捨てて頭を抱えた。どうやらうまくできなかったようだ。それからしばらくの間健人君は、手紙を書いては破り、頭を抱えるというループに陥ってた。気持ちを伝えるって大変なんだな。

 そしてとうとう、力なく机の上にうつぶせると、力ない声で言った。

「俺はもうだめだ……」

 諦めちゃだめだよ。どんなにイタイ内容でもきっと内川さんは受け止めてくれるよ。


 すると、健人君は何か思いついたように、傍にあったパソコンを立ち上げる。あれ、手紙書くんじゃなかったの?

「ラブレター、書き方っと」

 えっ、もしかしてどう書けば良いかわからなくてネットを頼ることにしたの?ラブレターのコピペって、良いのそれって?

 見守るボクをよそに、健人君はマウスを動かしながらいくつものサイトを開いている。そうして改めてペンを取ったのだけど……

「だめだ!やっぱり自分の言葉で書かないと意味がない!」

 そう言ってまた手紙を破り捨てた。うんうんそうだね。いくら便利だからって何でもネットに頼っちゃいけないよ。


 でも、どうやら今破り捨てたのが、用意していたメッセージカードの最後の一枚だったみたいだ。これじゃ書こうと思っても無理だ。

「明日だ。明日こそちゃんと書くぞ」

 健人君は散らかったメッセージカードの切れ端を集めながら言った。がんばれ健人君。ボクはいつでも応援してるよ。



 次の日、健人君はメッセージカードの束を手に帰ってきた。昨日の失敗から、大目にストックしておいた方が良いと思ったみたいだ。

 因みに今朝も公園で内川さんと会って遊んでもらったけど、健人君はいつも以上に挙動不審だった。昨日ずっと内川さんのことを考えていたんだから無理もない。それなのに全く気づく気配のない内川さんは凄いと思う。

 そんなわけで健人君は再びラブレターの執筆にとりかかったわけだけど、今日もまた書いては破り、書いては破りの繰り返しだ。


 結局その日もラブレターを完成させることはできず、その次の日も同じだった。一度、夜遅くまでかかってついに完成したと言っていたけど、翌朝それを読み返した健人君は。

「俺はアホか――――っ!」

 絶叫しながらベッドの上を転がっていた。いったい何を書いたんだろう?

 せっかくたくさん買ったメッセージカードの束もいつの間にか底をつき、気が付けばそれ以上の数を追加で買っていた。この調子だとそのうち部屋のゴミ箱がメッセージカードの山で一杯になるんじゃないかな。


 散歩中に内川さんに会った時の様子も日に日におかしくなっていって、昨日はとうとう

「最近疲れてるけど、何かあったの?」

 と言われてしまった。心配してくれるのは嬉しいけど、今は聞かないであげてね。

 こんな日々がずっと続くのかもしれない。いつしかボクそんなことを思い始めていた。


 だけど永遠なんてものはない。そして終わりはいつも突然にやってくる。ある朝ボクがいつものように健人君の部屋に行くと、そこにはラブレターを掲げる健人君の姿があった。

「ふ…ふふ、できた……ついにできた」

 えっ、ホント?前みたいに読み返して悶絶していないところを見るとどうやら本当に完成したみたいだ。良かったね健人君。

 おめでとうとじゃれつくボクを、健人君は思い切りワシャワシャと撫でてくれた。


 すると、ボク達があまりに騒いでいたからか、部屋の近くを通った健人君のお父さんが顔をのぞかせた。

「ずいぶん賑やかだが、どうしたんだ?」

「な、何でもない!」

 健人君は慌ててラブレターを後ろに隠すと、お父さんを部屋の外へと締め出した。

 ボクはお父さんの事も大好きだけど、今は健人君の味方だ。お父さんの背中をグイグイと押しながら部屋から遠ざける。お父さんはどうしたんだろうと首をかしげていたけど

「あなた、そっとしといてあげましょう」

 お母さんがやってきてそう言った。

「お前までいったいどうしたというんだ?」

「前に健人の部屋を掃除していたらゴミ箱に……いえ、何でもないわ」


 えっ。ゴミ箱って、失敗したラブレターで埋まっていたあのゴミ箱?そう言えば少し前、お母さんが健人君の部屋を掃除した後様子がおかしかったけど、アレを見たんだね。

「私は何も見ていないわ。あなたも詮索するのはよして。それが健人のためなの」

「あ…ああ。何だかよくわからないけど、言う通りにするよ」

 気圧されながらお父さんが頷いていると、そんな両親の会話なんて知りもしない健人君がご機嫌な顔でやってきた。


「さあマカロン、散歩行くぞ」

 どの道ボクには今の会話を伝えることができないけど、知らない方が良い事ってあるよね。それより散歩行こう。今は内川さんに思いを伝える方が先決だ。ボクはいつも歩いている道を、少しだけ足早に駆けて行った。


 数日の間健人君を悩ませ、頭を抱え、ベッドの上を転がり悶絶させたラブレターもついに完成し、あとは内川さんに渡すだけ。なんだけど……

「ほらマカロン、おいで」

 ボクを撫でまわす内川さんの隣にはずっと黙ったままの健人君。もちろん、せっかく書いたラブレターを渡す気配もない。そうしている間にもボクと内川さんのやり取りは続く。


「マカロン、お手」

 はいはい、お手だよ。

「お座り」

 ボクは内川さんと遊べてとっても楽しいけど、相変わらず健人君は眺めているだけ。どうして渡さないのと思ったけど、元々奥手だった健人君は緊張して渡すことができないんだ。そしてとうとう


「もうこんな時間だ。じゃあ、また学校でね」

 えっ、行っちゃうの?まだラブレター渡してないのに。こうなったら学校で渡すしかないか。いや無理だ。今の健人君を見てると、とてもそんな楽観的には考えられない。


 ボクは内川さんの前に立つと、これでもかってくらいにじゃれついた。

「ちょっと、くすぐったいよ」

 ボクが足止めしている間に早く渡して。

 それでも健人君は一向に渡そうとしない。それどころかじゃれつくボクを抱え上げて内川さんから引き離した。

「こら。あんまり引き止めちゃダメだろ。マカロンがごめんな」

 ひどい。健人君のためにやってるのに。

「ううん、マカロンも私とサヨナラしたくなかったんだよね。ありがとう」

 内川さんはそう言うと今度こそ行ってしまった。後姿が小さくなったところで健人君がため息をついた。


「渡せなかったな」

 そう言って持っていたラブレターを取り出す。チャンスなんていいくらでもあったのに。ボクがあれだけ協力したのに。これはもしかするとラブレターの完成以上に時間がかかるかもしれない。それまでずっとボクはこのもどかしい気持ちを抱えてなきゃいけないのか。


 それは嫌だな。そうだ!


 閃いたボクは健人君に体をこすりつけた。

「なんだ、慰めてくれるのか?」

 ボクの頭を撫でる健人君。ううん違うよ。その間ラブレターを持っているもう片方の手から注意がそれる。それ今だ!


 ボクはラブレターへと飛びつくと、見事それを奪い取ることに成功した。そして一目散に内川さんの歩いて行った方へと駆けて行く。

「待てマカロン、それを返せ!」

 後ろでは健人君が血相を変えて追いかけてくる。それはそうだろう。もしこれを誰かに見られたらどんなことになるか。でも残念。君がどんなに頑張って走っても二足歩行の人間は四足歩行のボクには敵わないのだ。


 あ、そう言ってる間に内川さんを見つけた。待って待って。

「あれ、マカロンどうしたの?そのくわえてるの何?」

 追いかけてきたボクに気付いた内川さんがラブレターに気付いた。はいどうぞ。


「なにこれ?」

 何ってラブレターだよ。だけど今頃になってボクは気づいた。

 必死でくわえていたラブレターは、ボクのよだれと歯形でボロボロ。とても読める状態じゃなかった。

 そんな、せっかく渡したのに。その時、後ろから健人君がやってきた。


「マカロン……お前……何やってるんだ」

 健人君が息を切らせながら顔を上げると、ボクが奪い取ったはずのそれを内川さんが持っていることに気付いたみたいだ。呆然とした顔で何度も口をパクパクさせる。


「内川……それ……それ……」

「マカロンがくわえてきたんだけど、手紙?」

 内川さんは首をかしげながら、それを健人君に返そうとする。だけどラブレターはすでにボロボロだ。ごめんなさい健人君。全てはボクの責任です。


 シュンとするボクだったけど、それを見て健人君は顔を真っ赤にしながら何かを決心したような顔で言った。

「その手紙、内川に渡すつもりだったんだ」

「私に?」

 呆気にとられる内川さん。だけど、健人君は顔を真っ赤にしなが続けた。

「俺、ずっと前から内川のこと好きだった」


 え、ここで告白するの?ラブレターは?

「ホントは手紙で伝えようと思ったけど、もういいや。内川、俺と付き合ってくれ」

 よほど緊張してるんだろうな。健人君はぶるぶると震えていた。それを聞いた内川さんの顔も真っ赤だ。

 ボクが固唾を呑んで見守る中、内川さんはゆっくりと口を開いた。


















 次の日も、ボクは健人君と一緒に公園を散歩して、内川さんに遊んでもらった。いつもと変わらない朝だ。だけど、ボク以外の二人は昨日までとは様子が違う。何しろ付き合いたてだからね。

 返事をくれた内川さんと、それを聞いた健人君はとても幸せそうだった。


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犬と散歩とラブレター 無月兄 @tukuyomimutuki

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