彼の受験を応援できない

無月兄

彼の受験を応援できない

 年の瀬が迫り、町にクリスマスソングが流れ始めた頃。私、木戸雪路の通う高校でも受験と言う言葉が多く聞かれるようになっていた。

 そんな中、三年生ではあるけど就職組だった私は、とっくに地元の企業から内定をもらい、あとは卒業を待つばかりという気楽な身分だった。

 にもかかわらず私の心中は穏やかじゃない。私は受験はしないけど、同級生で大学を受験する人は何人かいたからだ。


 中でも彼氏である久保田秀樹は、彼の学力では少し厳しいという、なんとも微妙なラインにある大学を第一志望にしていた。

 もちろん合格に向けて彼は日夜猛勉強。彼女としては邪魔にならない程度に励ましの一言でも送ってやりたいのだけど……


 『頑張れ』一言をだけをメールに打ち、あとは送信ボタンを押すだけ。けれどボタンが押されることはなかった。代わりにメールを消去しますかと表示され、わたしは『はい』と書かれたボタンを押す。

 また送れなかった。

 最近秀樹は受験勉強で忙しく、学校以外ではほとんど会えない。それは寂しいけど、メールくらいならきっと返してくれるだろう。それでも、私は頑張れの一言が送れなかった。

 正直に言おう。私は、秀樹に素直に頑張れと言えなかった。







「××大学?」

「ああ。俺がデザイン関係の勉強したいって事知ってるだろ。資料を読んでいろいろ考えたけど、そこに決めた」


 秀樹がどこの大学を受けるか聞いたのは夏になってからだった。元々進学を希望していたけど、悩んだ結果今の学力よりもワンランク上の大学を受けることを選んだ。

 それは良い。その分勉強時間が増えて一緒にいられる時間も少なくなるとは思ったけど、それも仕方のないことだ。だけど問題はその大学のある場所だった。


「それって、東京だよね」

「そうなるな」


 淡々と告げられたその言葉に私がどれほどショックを受けたか秀樹にはわからないだろう。私達の住んでいる熊本の田舎から東京まで行くには、飛行機を使っても何時間もかかる。それはまだ高校生の私にとって途方もない距離に思えた。

 確かに、秀樹は前から他の県に行くかもしれないとは言っていたし、私も秀樹の決めたのなら応援するつもりでいた。だけど、それでもせいぜい九州のどこかだろうと思っていた。それがいきなり東京というのはかなり堪える。

 そんな私の心中をようやく察したのか、秀樹は慌てて言った。


「まあ…第一候補ってだけだから。受かるかどうかもわからないし」


 だけど、それが彼の決めたことなら応援したいという気持ちもあった。それに私の我儘で進路について口出しするような真似はしたくない。


「何言ってるのよ。受けるからにはしっかり合格目指しなさいよ」


 私はそう言って笑った。だけど、うまく笑えているかは自信がなかった。







 時がたてば気持ちの整理もつくと思っていた。だけどその思いは少しも変わることなく、季節は秋へと移っていった。

 そのころには、学校以外で秀樹と会う回数もだんだんと減ってきていて。たまに会っても半分は受験や進路についての話だった。だけどそれは秀樹でなく私から話題に上げることが多かった。

 やっぱり志望校変える。もしかしたらそんな言葉が聞けるんじゃないか。そんな妄想じみた期待がどこかにあって、ついその話ばかりをしてしまった。

 だけどそんなはずもなく、秀樹の志望校は変わることの無いまま冬が来た。

 今日はクリスマス・イブ。本来のキリスト教のしきたりとは違い、日本では恋人たちの日という印象が強いけど、今日も秀樹と会う予定はない。

 最近秀樹はいよいよ勉強漬けになっていて、そんな時に私のために無理して時間を割いてほしくない。と言うのは建前で、本当は今秀樹に会うと言ってしまうような気がしたからだ。志望校を変えて、私の近くにいてほしいと。

 そんな気持ちのまま秀樹と顔を合わせたくなかった。


(重いな)


 私は決して秀樹の邪魔をしたいわけでも重荷になりたいわけでもない。頑張ってほしいという気持ちだって本当はちゃんとある。だけどそれと同じくらい、はなれることが寂しかった。

 自宅の部屋で一人大きなため息をついた時、机に置いてあるケータイが鳴りだした。

 着信を見るとそこには久保田秀樹とあった。


「よう、雪路」


 何だか秀樹の声を聴くのもずいぶん久しぶりな気がする。


「今どこにいる?」


「家にいるけど、何?」


 するとその途端、家のインターホンが鳴った。


「いきなりで悪い。実は家の前まで来てるんだけど」

「えぇっ」


 驚きながら玄関を開けると、言葉通り秀樹はそこにいた。


「ケーキ買ってきたけどいる?」

「いるけど、あんたってサプライズとかするやつだったっけ?」


 少なくとも今までは一度だってしてもらった記憶はない。困惑した表情を浮かべる私に、秀樹は的外れな気の使い方をした。


「ひょっとしこれから何か用事あった?それなら帰るけど…」

「無い。何にも無い!」


 私はとっさにそう言いながら秀樹の着ていたコートを掴んだ。

 おかしい。私は今秀樹に会いたくないはずなのに、どうしてこんなにも全力で引き留めてしまったのだろう。





 切り分けたケーキを皿にとり、テーブルの向かいに座る秀樹へと差し出す。


「勉強は良いの?」

「たまには息抜きだって必要だろ」


 そう言ってフォークをケーキに突き立てる。


「だいいち、彼女いるのにクリスマスは一人とか悲しすぎるだろ」


 彼女。嬉しいはずのその言葉が、最近は胸に重くのしかかったるそうになっていた。そう、私は秀樹の彼女だよ。なのに秀樹は凄くはなれた所に行こうとしてるんだよ。そんな言葉が思わず出そうになったことが何度もあって、その度に慌ててそれを飲み込んだ。

 今だって、そんな気持ちになっていることを秀樹に知られたくない。

 本当の気持ちを塗りつぶすため、何か話題はないか考えるけど、浮かんでくるのは受験の話題ばかりだった。


「受かりそう?」

「成績は上がってきてると思うけど、まだ五分五分ってとこ」

「試験は向こうで受けるんだよね」

「ああ。前の日には一度会場の下見するつもり」


 問答を繰り返すたびに秀樹が遠くに行くことを改めて確認していくような気がする。せっかくのクリスマスに彼氏と二人きりなのに、どうしてこんな暗い気持ちになるのだろう。


「……なあ雪路」

「えっ、何?」


 しまった。落ち込んでいたせいでつい話を聞き逃していた。

 すると秀樹は、今までとは違い真剣な表情で私を見て、言った。


「俺と離れるの、嫌?」

「えっ……」


 核心を突いた質問に、私は思わず言葉を失った。そしてその沈黙がどんな言葉よりもその言葉を肯定していた。


「やっぱりそうか」


 そう言いながらため息をついた。私はなんとかそれを否定しようと必死で取り繕う。


「ち、違うよ。そりゃ確かにちょっとは寂しいけど、こうなることは前から知ってたんだし、今更そんな……」

 

 しどろもどろになりながら弁解を続けるけど、秀樹の表情は変わらない。応援したいのも本当なのに、これじゃ困らせてしまう。

 だけど一度暴かれた感情をこれ以上隠すことはできなかった。気が付けば視界がにじみ、一筋の雫が頬を伝うのがわかった。


「違う…違うの…」

「雪路」


 それでも頑なに否定しようとする私を、秀樹の声が遮った。座っていた椅子から立ち上がり、ゆっくりと私に近づくと、頭を下げ、そっと囁くように言った。


「無理しないで、本当の事を言ってくれよ。我慢しないで、どう思ってるのか聞かせてほしい」


 秀樹はなぜそんなことを言うのだろう。迷惑になっちゃいけないと思いながら必死で飲み込んできた思いを、どうして暴くようなことを言うのだろう。

 だけどそれを聞いた瞬間、私はとうとう思いを胸に留めてけなくなった。


「―――寂しいっ」


 気が付けば私は両腕を秀樹の背中へと回していた。秀樹の熱が、鼓動が、こんなにも近くに感じる。それがもうすぐ離れていくかもしれないと思うと、どうしようもなく寂しかった。


「ごめん。俺、雪路が今まで何も言ってこなかったから何も言わなくていいと思ってた。雪路なら分かってくれるって勝手に思って、ずっと甘えてた」


 そんなのは私だって同じだ。自分の気持ちは一切言わないでおいて、勝手に心変わりすることを期待していた。


「行かないでほしい」

「…………」

「ずっと、そばにいたい」

「…………」

「私の事だけ考えて」

「…………」


 我儘で身勝手な言葉ばかりが次々に出てくる。そのどれもが本音だった。だけどそれは決して敵うことは無いと分かっている。

 秀樹は何も言わずに私の言葉をすべて受け止めている。けれどこれによって今から進路を変えるようなことはしないだろうし、そんなことは私も望んでいない。だから、最後にこう言った。


「東京行って、絶対合格して」


 これもまた、まぎれもない私の本心だ。秀樹にはやりたいことを精いっぱいやってほしかった。そのために私の事を負担だと感じてほしくなかった。

 秀樹は返事をする代わりに、私の頭をポンポンと軽く叩いた。

 そして静かに口を開く。


「頼みがあるんだ」

「頼み?」

「俺が東京の大学受かったら、絶対今より寂しい思いをさせることになる。だけど俺、雪路の事好きだから。離れても、なかなか会えなくても、ずっと雪路の事好きでいるから。だから、これからも俺の彼女でいてくれ」


 いつの間にか秀樹の手はかすかに震えていて、それを見てようやく気付いた。

 離れるのが嫌なのは私だけじゃなかった。秀樹だって私と同じように、不安や寂しさを抱えていたんだ。それが分かったととたん、胸の奥に閊えていたものが急に無くなったような気がした。


「良いよ」


 そう答えると、秀樹はとても嬉しそうな顔で笑った。

 






 羽田空港のロビーに着いた私は、その広さに圧倒されていた。大きいというのは知っていたけど、いざこうして来てみるとその広さに圧倒される。

 キョロキョロと辺りを見渡し彼の姿を探すけど、どこを見ても人の山だ。この中から一人を見つけるだなんてとてもできそうにない。

 連絡を取ろうと思いケータイを取り出すと、突然後ろから肩をたたかれた。


「ひゃっ!」


 思わず声を上げ振り返ると、そこには笑っている秀樹がいた。


「一人だけ挙動不審だったからな。すぐに雪路だって分かっ―――」


 秀樹は何か言ってたけど、その言葉は最後まで言われることは無かった。その前に私が抱きついたからだ。


「ちょっ、待て……人前だぞ!」


 真っ赤になって慌てているけど、半年近く会っていなかったのだからこれくらいは許してほしい。


「あれ、嫌だった?」


 ようやく解放すると、私は悪戯っぽく言う。


「……嫌じゃねえよ」


 なおも顔を赤くしながら、それでも秀樹はぼそりと呟いた。

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