幽霊少女と写真

「動かないで。そう、そのまま。」


 僕はシャッターを切る。真っ直ぐにカメラを見つめた君の写真が撮れたよ。

 綺麗な目をしている。何を考えているのかもわからない君の目は、まるで宝石のように輝いているね。


「いつまで見てんの?次行くよ!」


 女性の声に気付き、僕は荷物を手にとって立ち上がった。

 僕は彼にまたねと言い、その場を離れていく。


「じっくり撮りすぎ。時間足りなくなるじゃん!」

「ごめんごめん。つい、綺麗な目を見る と撮りたくなっちゃうんだよ。」

「どーせ私の目は濁ってますよ!」

「そんな事は言ってないよ。」


 端から見たらデートのよう。強気な彼女と、そんな彼女を放っての写真を撮る彼氏。

 そう、ここは動物園。僕が動物の写真を撮りたくて一緒に来てもらったんだ。

 デートじゃないのかって?まさか。たしかに彼女は幼馴染だけど、看護婦でね。僕の面倒を見てくれているんだ。僕は入院していて、外出許可がないと外を歩く事は許されない。

 本当なら1人で外出もしたいし、自由に1枚1枚じっくり撮りたいのだけど、身体は重たくて歩くだけで疲れてしまうし、いざと言う時のためにも付き添いが必要なんだってさ。


「あ、待ってよ。次はあの子を撮りたいな。」

「え?ちょっと!」


 僕は看護婦の事を無視してカメラを構える。

 いい表情だ。餌を食べてこっちを向いている。警戒している様子もないし、人にはとっくに慣れたって事かな。

 出来る限り近くに。そう、そのまま。


「いい加減にしてー!早く帰らないと私が怒られるんだから!」

「少し黙って。今いいトコロなんだよ。一生のお願い。」

「何度目の一生なのそれ!」


 よし、今回もいい写真を撮れた。現像して額縁に飾りたい出来映えだ。

 彼女には悪いと思ってるけど、せっかくの外出なんだ。僕のほんの少しの自由くらい、わがままでいいでしょ?


「はい、次行くよ!」

「せっかちだなぁ、僕はどこにも行かないから引っ張らないで?」

「ここにいると困るからこうしてるの!」


 やれやれ、仕事熱心な看護婦だ。そろそろ大人しく……と考えていた僕の目に、1人の少女が映った。

 黒くて長い清楚な髪、純白のワンピースの少女。じーっと動物を見つめ、微笑んでいる。

 微笑んだ表情だが、どこか悲しそうで、怯えているようにも見えて、僕は惹き込まれた。


「綺麗だ。」


 僕は思わずぽつりと呟いた。

 看護婦の手を振りほどき、僕は少女に近付いた。


「きみ、少しいいかな?」

「え?」


 少女がこちらを見てくる。純真無垢な瞳をきょとんとさせ、僕を見ている。


「突然で驚かせてしまってごめんね。あまりに綺麗だったから声をかけてしまったんだよ。」

「私……ですか?」


 言われ慣れていないのか、あまり反応はよくない。

 よく見ると裸足で、そのまま歩いてしまえばせっかくの綺麗な足も傷付いてしまいそうだ。


「あなたは、私が見えるんですか?」

「見える?どういう事だい?」

「ちょっと!どこに行くの!」


 看護婦が後ろから僕の肩を掴んでくる。


「ねぇ、この子なんだけど。」

「この子?なに、また動物?」


 看護婦は近くの動物に目を向け、しかめっ面をしている。

 ちゃんと指を少女に向けたのに、目もくれず動物を見ている。


「きみは、いったい?」

「初めまして、幽霊です!さっそくですが、この世でやり残した事はありますか?」

「幽霊……?」

「幽霊?何を言ってるの?」


 看護婦にはこの少女の姿も見えなければ声も聞こえていないらしい。事情はわからないけど、僕にしか見えないらしい。だとしたらこの場は……。


「なんでもないよ、帰ろうか。」

「え?どうして急に帰る気になったの?」

「やりたい事を思い付いたんだ。一緒に来てくれるかい?」


 僕は少女を横目で見て、一緒に来てほしいと合図を出した。

 少女もそれを察したようで、はい、と答えてふわりと宙に浮かんだ。


「一緒に行くも何も私にはあなたを病院に届ける仕事が……どこ見てんの?」


 つい見とれてしまった。突然浮かれてしまっては幽霊である事を疑えはしないから。

 僕は何事もなかったかのように看護婦と病院に帰った。幽霊を引き連れて。


「はい、じゃあ着替えてベッドで横になってて。私は報告してくるから。」


 看護婦は疲れた顔で僕を病室に送り届けると、そのまま部屋をあとにした。

 さて、やっとこの状況を作り出せた。


「おまたせ。やっと喋れるね。」

「はい!」


 僕と幽霊少女だけの空間。ここなら、僕が何を喋っていても問題ない。

 まず基本的な事から聞く事にした。何故看護婦や周りの人間には見えず、僕にだけ見えるのか。

 答えはシンプルだった。は少女が見えてしまう。たったそれだけ。

 僕は冷静だ。そもそも、闘病している時点でそれは覚悟していたから。

 むしろ少女がいてくれたおかげで、死ぬ事がわかって諦めもついた。


「そういえば、動物を眺めていたね。好きなの?」

「はい!動物は大好きです!それに、動物によっては、私の気配を察知してるみたいで寄ってきてくれるんです!特に猫はよく寄ってきてくれます!」

「気配?見えてるわけじゃなくて?」

「そうなんです!私が見えるのは、動物でもだけなんだと思います!」


 判断としては、少女が見える相手とは相互に触れる事が出来るらしい。

 けれど、少女を察知した動物に触れようとしても触れないらしい。


「それと、きみはやり残した事があるか、と聞いたね。」

「はい!何かあるなら、私がお手伝いします!」

「じゃあきみの裸を見せてほしいな。その華奢な身体は衣服に隠されているだけではもったいない。ありのままのきみを見せてほしい。」

「え、えええっ!?それは困ります!」

「お手伝いしてくれるんじゃなかったの?」

「うっ、それは……!」


 初々しい反応をする。どうやらそういうものは全く慣れていないらしい。

 今まで要求された事もないのかもしれないね。

 苦悩している。少し意地悪が過ぎたみたいだ。僕はすぐに謝罪をした。


「それと、いいかい?いくら幽霊だからってそこはハッキリ断った方がいいよ。なんならその時点で相手をするのもやめていいくらいだと思うよ。」

「は、はぁい……。」

「ごめんね、少しのおふざけのつもりだったんだ。詫びになるかわからないけど、いいものを見せてあげるよ。」

「いいもの、ですか?」


 僕は机の引き出しから1枚の写真を取り出し、少女に渡した。


「すごく、綺麗な写真ですね。」

「それは僕が撮ったんだ。去年の春にね。隣町の巨大桜だよ。」

「隣町の巨大桜……?知ってるような、知らないような……。」

「今年もまた桜を撮りに行きたいと思ってるんだけど、死ぬまでに間に合うかな?」

「いつ死んでしまうかは、私にはわかりません……でも撮れますよ、きっと!というよりも、その写真を見たいです!」


 確信もないのに、純真無垢な瞳は真っ直ぐに僕を見ている。

 そんな目で見られたら、僕もすぐには死にたくなくなってしまう。


「やり残した事、決まったよ。」

「はい、なんでしょう!脱ぐのはもうなしですよ!」

「……きみと写真が撮りたい。その写真のような、の写真を一緒に。」

「わかりました!一緒に撮りましょうね、!」


 冬が終わる時期。桜まではもう少し。

 その少しの間くらいならきっと生きていられる。そんなほんの少しの時でいい。

 僕と、僕にしか見えない少女の"やりたい事"が始まった。


 それから、僕は少女と病室で毎日計画を練った。

 どこで、何時に。情報を集めて、綺麗な桜の場所を2人で探した。

 少女と真面目に話しつつ、冗談を混ぜて笑って。

 僕はもうすぐ死ぬというのに、とても楽しい時間を過ごせている。

 話しているうちに感じた事があった。僕は写真に対しての情熱から桜には拘りがあった。

 けれど少女は写真よりも、に何か強い関心があるようだった。


「桜の事、どうしてそこまで拘るの?」

「それはもちろん、いい写真を撮るためですよ!」

「そうだけど、きみは写真が関係しなくても、桜への思いがあるように見える。生前に何かあったの?」

「ごめんなさい……幽霊になる前の事は……。」

「覚えてないんだったね。」


 少女は生前の記憶がないらしい。いや、それだけならまだしも、さえ曖昧になっていくらしい。

 だからきっと、いつか僕の事も忘れるのかもしれない。


「でも、桜を辿ればきみの事がわかるかもしれない。その写真は、きみにあげるよ。」

「え、いいんですか!?」

「最初にその写真を見た時、きみはその桜を知っているかもしれないと言ったよね。それがヒントになるかもしれない。それに、今年はもっといい写真を撮るんだ。僕の生涯最高の写真を。今の僕にとっての最高の写真はそれだけど、必ず越えてみせるよ。」


 せめて僕の事を忘れても、そのの写真を持っておけば、というワードを思い出す事が出来るかもしれない。

 僕はそこまで少女に拘っているわけでもない。この綺麗で華奢な身体を写真に収められない時点で、少女に対しての執着は消えた。少女が生前を思い出せなくても、いつか僕の事を忘れても、僕からすればどうでもいい。

 それでも僕が少女に写真をプレゼントしたのは、その綺麗な瞳を濁してほしくないと思ったから。たとえ写真に収められないものだとしても、誰にも映らない幽霊だとしても、たしかに少女はから 。

 それに少女は、たまにすごく苦しそうな顔をしている。何かに怯えるように、何かを恐れているかのように。僕はなんとか少女のそれを取り払ってあげたかった。


「ねぇレディ、ちょっとこっちの窓を開けてもらえるかな?」

「れっ、レディ!?」

「だってきみは名前がわからない。だったら、その呼び方が適切だと思うけど?」

「そんな、レディだなんて……!」


 あたふたと手足を動かしている。こんな言葉ですら慣れてない、生前の記憶がないからかな?


「わかったよ、今はやめておくよ。だけどね、きみはそう呼ぶに相応しい女の子だって事を理解しててほしいな。」

「レディ、かぁ……。」


 照れ臭そうにしているけど、きみの口が少しにやついていたのはしっかりと見えた。

 少女はどうして幽霊になったのだろう?いや、そんなものは理屈では説明出来ないと思う。

 今なにより大切なのは、だ。

 きっとそのヒントは桜にある。だから僕は必ず少女を桜の元に連れていく。

 満開の桜を撮る事はもちろん僕の目的だけど、目的は1つじゃなくていい。


 情報は集まった。狙う場所、時間は決めた。場所は、去年と同じ隣町の巨大桜……ではなく、もっと遠くにある別の桜。巨大桜はヒントになるかもしれないけど、別の桜の写真を撮りたくなってしまった。少女と2人で決めた事。

 看護婦に無理を言って外出許可も貰った。もちろん看護婦もついてくるけどね。

 僕も少女もその日を待ち望んでいる。僕のカメラを持ったまま無邪気に笑う少女の瞳は、今まで見てきたどんな動物よりもキラキラと輝いている。

 もう少しだ。もう少しで、桜、を……。


「楽しみですね!早く当日にならないかなぁ。」


 あれ、おかしいなぁ……少女の顔が霞んで……。


「 え……?どうしたんですか!?大丈夫ですか!?」


 少女の声が聞こえる……。困ったな、大丈夫の一言も出ない。どうにかナースコールを押し、看護婦が部屋に入ってくる。

 僕の状況を見て、飛びそうな意識の僕を部屋の外へ連れていく。


 僕が次に意識を取り戻した時、目の前で少女が泣いていた。

 泣かないで……僕は大丈夫。そう言ったつもりだった。

 僕の言葉は声にならず、少女に届かない。

 それなら筆談でもいい。そう思っても身体がまるで動かない。

 医者や看護婦に囲まれている。もしかして、僕はもう死ぬのかな。

 思ったよりも苦しくない。全然痛みはない。麻酔でもしてるのかな?

 思考能力に問題もない。ただ、それを伝える手段がない。せめて、せめてきみに伝えたい言葉があるんだ。

 もう少しだけ動いて。僕の口、動いて。少女に伝えなきゃいけないんだよ。


「先生……。」

「……ご家族は、いないんだったね。」

「はい、だから私が看取ります……。」


 あぁ……僕はここまでか。

 看護婦も泣きそうな顔で僕を見ている。きみにも苦労をかけた。言う事聞かない患者だったかもしれないけど、もう謝れないね。最期に謝りたかったな。


「写真……撮りにいきましょうよ……桜の写真!」


 少女が僕に語りかけている。

 撮りたいよ。きみと、撮りたかったよ。まだ死にたくなかったよ。まだやりたい事はあったんだよ。

 レディ、きみと桜の写真を……。

 もう叶わない。もう足掻けない。だから頼むよ神様。"一生のお願い"だ。

 少女に一言だけ……。


「………………。」


 届いたかな、わからない。一生のお願いを使いすぎたかな。本当に叶えたい願いが届かなかったのは。

 因果応報だね。僕の結末に相応しい。

 神様、僕の願いはもういい。

 だから、もうひとつ"一生のお願い"だよ。

 少女に、レディに救いを。

 "看取る事"が役目だなんてあんまりじゃないか。どうしてあんな純真無垢な少女に酷な事をさせる?

 もう少女を苦しめないでくれ。

 ……いや、苦しめたのは僕か。約束も守れないんだから。ごめんね、レディ……。




 ん?生きてる?いや、死んでる?

 病室にいる。なんとか僕は持ちこたえたらしい。

 じゃあ、レディは?レディはどこ?

 僕は見える範囲で見渡したけど、少女の姿は見えなかった。

 身体は動かない。どうあれもう長くはもたないんだろう。

 少女はもう僕が死んだと思っていなくなったのだろう。約束も守れない男に付き合う必要もないから、それでいい。


「目が覚めた?」


 看護婦が病室に入ってきた。僕の口は動かないから返事は出来ない。

 僕はどうなっている?そんな簡単な質問も出来ない。


「覚えてないかもしれないけど、あなたは奇跡的に生きてたの。それでも危ない状態ではあるんだけど……説明は後でするから。とりあえず、その前に届け物。」


 看護婦は1枚の写真をポケットから取り出し、僕の前にかざした。

 その写真は……。


「あなた宛に、って病室の前に落ちてたの。写真の裏に書いてた差出人は……、だってさ。まったく、どこのお嬢さんを口説いてたの?」


 レディ……!そっか。少女はあの後、僕のカメラを持って、約束の写真を撮ってきたんだ。僕との約束の、の写真を。

 少しブレていて、綺麗に撮れているとはとても言えない。だけど僕にとっては、世界一綺麗で素敵な写真だ。

 今度、写真の撮り方をきちんと教えなきゃいけないね。

 僕は涙を浮かべながら、目を閉じた。

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初めまして、幽霊です! ルカ @Koishi_oto

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