ちょろべさん

安良巻祐介

 

 変な人形を、路ばたで拾ったのは、大学一年目の終りの三月であった。

 ゴミ捨て場の近くの、電柱の脇に、実に無造作に放り捨てられていたのだ。

 異国風の、何と言うのか知らないが、房の沢山ついたカラフルな服を着て、先の曲がったひどく小さな靴を履いて、つるりとした丸い顔をして、薄いひげを申し訳程度に書きつけた口元だけが、ちょっとにこやかに笑っている。

 東洋っぽいんだか西洋っぽいんだかはっきりしない感じで、全体の印象としては、怪しい無国籍なイメージにそのまま服を着せたような風だ。

 酔っぱらっていた勢いで、思わず手に取ったまま部屋へと持ち帰ってしまったのだが、思いのほか綺麗で汚れがないので、部屋の隅の花瓶の隣に座らせると、何となく小さなお客が来ているような感じになった。

 彼女に見せたら、「ちょろべさんみたい」といってころころと笑った。

 ちょろべさんとは何だと聞いても、ちょろべさんはちょろべさんだよう、と笑うばかりである。

 そう言われてみれば、確かにまさしく「ちょろべさん」といった顔をしている。これといった他の呼び名も思いつかないので、その名前で呼ぶことにした。

 と言っても、花瓶の傍に腰かけたちょろべさんを普段の生活で特別に意識することはほとんどなく、泥酔して帰ってきて、酒の回った頭で棚の上を見やった時、おや、誰かいる、ハテこれは、とハテナを浮かべ、しばし黙考の後、そういえばそうだ、ちょろべさんではないか、と思い至って、ちょっとおかしくなるくらいであった。

 たまに棚から落下しているちょろべさんを見つけた時には、やれやれと思いながら元の場所へ戻すこともあった。

 それから大学を卒業するまでの三年間、ちょろべさんは部屋に居続けた。

 そして、卒業の年の三月、きっかり三年目の辺りに、ちょろべさんは部屋からいなくなった。

 その頃には、身辺の状況もだいぶ変わっていて、まずあの時付き合っていた彼女とは、とっくに疎遠になってしまった。

 それどころか彼女は、ある時を境にぷっつりと大学に来なくなってしまって、もうすっかり思い出の中の人になっていた。

 或いは、住んでいるアパートで何度も不審死があり、住民の半分くらいが入れ替わって、大家が二度ほど交代した。

 さらには、自分自身についても、バイク事故でひどい怪我をして、体の一部に麻痺が残ってしまうという目に遭い、また、身内に不幸が立て続いて、片方の親の実家と事実上の絶縁状態になってしまったりもした。

 部屋も大学一年目の華やかさ、若々しさはどこへやら、湿気が滲んだせいか畳が腐り、いくら付け替えても明かりが弱いままになり、壁から砂が零れるようにもなり、窓硝子はすっかり曇って、外もよく見られないようになった。

 最後の一年はそんな部屋で、一人こもりっきりで過ごしたから、体重も最終的にかつての三分の二くらいに減ってしまった。

 これらのことが、時おり夢の中に現れて、暗い所で延々と踊っていたり、置いておいた向きとしょっちゅう変わっていたり、誰もいない部屋の中から無言電話をしょっちゅうかけてきたり、そういうことをしていたちょろべさんのせいだとは、別に思わない。

 三年も暮らしていたら、それくらいのことは、誰の身にでも起こりうることだ。気にするほどでもない。

 それに、もしかしたら、もっと大きな災いや不幸を、ちょろべさんが減じてくれていたのかもしれないではないか。

 考え方一つだよな、と思いながら、花が一日と保つことのなかった花瓶の中の、饐えたような水を流しへ捨て、その隣の、脂の染みたような、どす黒い小さな腰の形の跡を掠れた目で眺めてから、今日でお別れの部屋のドアノブにちょっと名残惜しく手をかけた。

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ちょろべさん 安良巻祐介 @aramaki88

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