或る象徴

安良巻祐介

 

 町の教会の屋根の上に、男が一人立っていた。

 男は白い服を着ていて、空でも飛ぶように左右に両手を広げ、教会に出入りする人々を上から眺めながら、いつもうすく笑っていた。

 雨の日も風の日も雪の日も、嵐の日も、男は同じ場所に立って、飽きもせず、人の出入りを眺めていた。

 いつからそこにいるのか、それはわからなかった。気づけばそこにいて、そう思って見てみればずっと前からいたような気がする、そんな感じだった。

 神父も町の人々も、特にこの怪しい男に注意を払う様子はなかった。

 ある日、町を流行り病が襲った。

 たくさんの死人が出て、そこらに苦悶やうめき声があふれたとき、救いを求めてこれも多くの人が教会へ押し寄せてきた。

 しかし、彼らを出迎えるものはなかった。神父はいの一番に流行り病の餌食になって息絶えていた。

 教会の聖母像の前には、力尽きた人々の体が折り重なって山を作った。

 男はというと、変わらず屋根の上に立って、手を広げたまま、階下の様子を眺めていた。

 やがて、どこからか火が起こって、町を煙が覆い始めた。

 逃げ惑う人々をよそに、男を屋根に乗せた教会は、ただ静かに炎に巻かれていった。


 数日後。

 ようやく火の手が収まり、町には人の姿もなくなった頃、焼け落ちた教会の跡地に、男は立っていた。

 顔も服も、見る影もなくまっ黒く煤けていながら、変わらぬポーズで、同じようにうすく笑っていた。

 それは、よく見ると、初めからただの、一本の十字架だったのである。

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或る象徴 安良巻祐介 @aramaki88

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