私と御宿と鳴狐

「おい、...が......来たのか?」

 「でも、......前...よね?」

 「しかし、この顔はやっぱり...」

 ひそひそ煩いな、地獄の鬼にでも囲まれてるのかしら。

 火の玉で焼け死んだ挙げ句、今度は鬼に食われるのか。

 ああ、目を開けたくない。現状を確認したくないよう。

 「直接聞いてみるか?」

 「そうしよう、そうしよう...」

 「おい、起きろ!」

 話しかけてこないで欲しいと思いながら必死に狸寝入りを決め込むが、声をかけられてからずっと軽く小突かれ続けている。

 目を開けたら絶対おぞましい光景が広がってるから絶対に起きるもんですか。

 ゲシゲシと徐々に小突く手が増えてる気がする。

 でもあんまり痛くない...鬼の癖に力加減ができるのかしら?

 「さっさと起きろ!...起きないと身ぐるみ剥がして素っ裸で放置するぞっ!」

 「何てこと言い出すのよ、この鬼畜!!」

 しまった、思わず飛び起きて反論してしてしまった。

 見たくないので咄嗟に顔を両手で覆う。ただ一瞬、隙間から小さい何かが見えたような...

 恐る恐る目の前をしっかりと見てみる。

 もう恐ろしい形相の鬼でもなんでも来なさい!と覚悟を決めていたのだが視線の先に居たのは私の予想していた鬼とは随分と異なったモノたちだった。

 なんと言うかメルヘンチックな光景だわ。

 私の周りには五匹の三角の耳とふわふわの尻尾を生やした獣たちが囲んでおり、とにかくふわふわのもふもふだ。

 しかも、もれなく全員抱えられるぬいぐるみサイズで非常に可愛らしい。

 「えーっと、あなたたち犬のぬいぐるみのおばけ?」

 「犬だと?俺らをあんな犬畜生と一緒にするんじゃねぇッ」

 さっきから口の悪い黒色がギロリと睨み毛を逆立てる。

 ただ、ぬいぐるみにしか見えないので怒っていても可愛いだけなのだけど。

 「僕らは狐ですよ。あと、ぬいぐるみでもありません。」

 「あなたは話しやすそうね。あなたたちは狐なの?えっと、どうしてしゃべれるのかしら?」

 「僕は山吹(やまぶき)と申します。僕たちは霊力や神通力を持った狐なんです。なので人間とも話せますし、変化もお茶の子さいさいなのです。」

 そう言って山吹と名乗った狐はボフンッと音を立てて爽やかなイケメンの青年へと姿を変えた。

 見た目は二十代前半といったところだろうか、髪は狐の時と同じ黄金色(こがねいろ)をしている。

 格好も袴姿の動きやすそうな和装で、髪の色とレトロな出で立ちがとても新鮮に見えた。

 「わあ!人間にもなれるのね。あなたたちが力を持った狐なのは何となく理解できそうなんだけど、ここは一体どこなのかしら?やっぱり地獄なの?私、ハイキングの最中に山で遭難して洞窟に避難したら炎に包まれてしまったのよ。...思い出すだけでゾッとするわ...」

 「あ、それ自分等の狐火(きつねび)っす!あれで姉さんはここに来たんすよ!」

 今度は片耳にピアスのように小さい金の輪をした尾が三本の目の細い黄金狐(おうごんぎつね)だ。

 ヤンキーな口調と少し派手な見た目も大変ツッコミたいところではあるが、そんなことよりも気になるワードがあった。

 ん?私を包んだのはこいつらの狐火だって?

 「ヤンキー狐ちゃん、それどういうことかしら?お姉さん詳しく知りたいなぁ」

 ヤンキー口調の狐のほっぺを両手で左右ににぎにぎして笑顔で圧をかける。

 我ながら大人気ない気もするが原因こいつらなんだからいいわよね。

 「にぇーしゃん、しゃべるから...はにゃして...」

 「僕が説明しましょう。そいつはつかんだままでいいですよ」

 ひどいっす!とヤンキー狐は半泣きになっていたが、山吹は無視して私に状況を説明してくれた。

 「あそこは私とその山葵(わさび)が担当している入口のひとつなんです。霊力を持っている方や妖にしか見ることのできない文字を浮かび上がらせて、読み上げて貰うんです。その言霊が鍵となって私たちの狐火が発動する仕組みになっているんです。」

 「え、じゃあ私は霊力があったばっかりにあんたたちの狐火に拐われたってことなの?幽霊なんて見たことないわよ、私。」

 「いえ、霊力が強いからといって現世(うつしよ)で人ならざるモノが見えるとは限らないんですよ。ただ、妖にとって霊力の高い人間はご馳走みたいなものなので知らず知らずのうちに狙われていたかもしれませんが...」

 最後に狐火よりもゾッとすること言っていない?

 のほほんと生活している時に食べられそうになっていたかもしれないなんて...

 そんな恐ろしいこと知りたくなかった。

 今後はいろんなことに対して疑心暗鬼になりそうだわ。

 「なんだか、いろいろと気持ちが追い付いていないけど...結局ここはどこなの?」

 「あぁ、すみません...ここは現世(うつしよ)と隠世(かくりよ)の狭間にある白螺(はくら)という土地で、妖や神様がよくいらっしゃる温泉街です。生きた人間が来ることもありますが霊力が高くないと入口に気付けないので、年間でいらっしゃる方は片手で数える程度ですね。そして中心には我々が働いている狐白楼(こはくろう)という温泉宿があるのです。」

 「あなたたち全員その御宿(おやど)で働いてるの?このヤンキー狐くんとさっきの口の悪い黒いのも?」

 そういうことになります。と山吹は優しい口調で続けた。

 ちなみに口の悪い黒は佐助というらしい。

 その他に少し遠くでじゃれてる銀色の二匹は蒼い瞳が碧流(へきる)、紫の瞳が紫晏(しあん)という二尾の男女の双子なんだそう。

 「狐が働いてる御宿か...なんだかお伽噺みたいね」

 ん?さっき御宿の名前が狐白楼っていってたかしら。

 狐白楼ってたしかお祖母ちゃんがよく話してくれた物語に出てきた気が...

 「ねえ、さっきあなたたちが働いてるのは狐白楼って言ってたわよね。もしかしてなんだけど、私のお祖母ちゃんのこと知っていたりするかしら?」 

 もしかしたら、ここがあのお話の場所なのではと私は確認せずにはいられなかった。

 あの炎に包まれるとき、死ぬ前に行ってみたかったと念じたその場所なのか...

 「ばあさんの名前は?そもそも、お前の名前すらまだ聞いてねえぞ」

 佐助がさっきよりも若干抑えた低い声で興味深そうに問う。

 「それもそうね。私は倉橋沙那(くらはしさな)よ。おばあちゃんの名前は千代(ちよ)というのだけど...どうかしら?」

 佐助の言葉ももっともなので私は軽く名前を告げて期待する。

 だけれど狐たちは漏れなく目を見開き、力強く耳をピーンと立ててなかなか返事をくれそうにない。

 さっきまで二匹でじゃれていた碧流と紫晏も今はこちらをじーっと見つめていた。

 それがなんだか怖くて、ビクビクしてしまう。

 「おい、お前のばあさんは本当に千代というのか?」

 「ええ、そうよ」

 「そうか...なぜ俺たちがお前のばあさんを知っていると思った?」

 「なぜって、小さい頃からお祖母ちゃんが狐白楼っていう御宿の話をよく聞かせてくれたから、もしかしてって思ったんだけど」

 そこまで話すと狐たちは集まって、またひそひそと密談をし始めた。

 「やはり、あの千代のことなんじゃないのか」

 「そうですねぇ、人間なら年齢的にお孫さんがいてもおかしくないでしょうし...」

 「俺はあん時、ここにいなかったから分からんぞ」

 「そうでしたね...でも私も記憶が曖昧なんですよね」

 「そうなんすか?でも、その千代さんにそっくりなんすよね?だったら旦那様に会わせてみればいいんじゃないっすか」

 たまにうーんと唸って五匹は円形にならんで会議を続ける。

 いや銀の二匹は尻尾を丸めてすやすや寝てしまっているので実質話し合っているのは三匹のみだけど。

 私の疑問は無視か。

 欲しい回答は得られてないんだけれども...

 「ちょっとー、聞いておいて無視なの?やっぱりお祖母ちゃんここに来たことあるんでしょ?教えてよ!」

 ちょっとイラつきを隠さずトゲトゲ言ってみてやっと山吹がこちらに対応してくれた。

 「えーっと、そうですね...八十年ほど前に千代という人間の娘さんが狐白楼にいらっしゃったことはあります。ただ私は一度しか見たことがないので、沙那さんがその方に似ている気がするという不確かなことしか言えないんです。千代という名前も珍しいものではないでしょうから...」

 耳を垂らしてしゅんと視線を落とす山吹に少し強く当たりすぎたかしらと思わなくもないが、このモヤモヤ案件の答えを求める。

 「そう、山吹にはわからないのね...うーん、他に分かりそうな人...いや狐とかいないかしら?」

 「旦那様なら分かるかもしれません」

 旦那様?と首を傾げてしまった私に山吹がさっきまで垂れていた耳をピーンと立てて、目を爛々とさせて説明してくれる。

 「旦那様は我らが狐白楼の支配人を勤めるお方です。先代のご子息で、つい五十年程前に先代から役職を引き継いで狐白楼を切り盛りしているやり手支配人ですよ。幼い頃から御宿経営に必要なことを学び、ずっと先代の補佐を担っていた狐白楼にはいなくてはならないお方なんです!」

 「へー、そうなんだ...その旦那様ならお祖母ちゃんのこと知ってるのね!」

 「はい!私たちが思い浮かべている千代さんであれば旦那さまが一番詳しいはずですから...」

 「で、その旦那さまにはすぐに会えるのかしら?」

 「では狐白楼へ行きましょう!この時期なら旦那様はほとんど遠出されないはずですから」

 さぁ、参りましょう。と再び人間姿に化けた山吹が手を引いて先導してくれる。

 その温もりに今まで感じていた不安が少し溶けたような気がした。




 「うーん、やっぱり気がしただけだったわ」

 ここに来る途中、なんか見たこともないヤバそうなモノたちにたくさん出会ったんだもの。

 更なる不安が押し寄せてきてるわよ。

 狐白楼に連れてきてもらった私は豪華な客室で寛ぎんがらお茶請けのでどら焼きを頬張りながら絶賛現実逃避中だ。

 というのも、狐白楼に来ればすぐ旦那様に会えると思っていたのだけど仕事が立て込んでいるらしく、待っている間ここで過ごすようにと旦那様から山吹が言付けされたらしいのだ。

 今は山吹も仕事に戻ってしまい、銀狐の紫晏が世話係として付いてくれている。

 「やっぱり旦那様って忙しい方なのねぇ...すぐ会えると思っていたのに残念だわ」

 「そりゃそうだよ。旦那様はこの狐白楼をまとめてる方だもの」

 返事がくると思っていなかったので、驚いて声の主へ視線を向けてしまった。

 「今しゃべったのあなた!?」

 「私以外いないでしょ。沙那は馬鹿なの?」

 口の悪さにも吃驚だ。

 今まで遊んだり、寝ていたりでまともに声を聞けていなかったが紫晏は驚くほど可愛らしい澄んだ声をしていた。

 ちなみに今は狐の姿ではなく人間の女の子の姿で頭に耳、お尻から尻尾が二本生えた格好だ。

 身長は小学校低学年ぐらいで、髪は毛並みと同じ銀色でショートボブにしている。

 「紫晏だっけ?すごく可愛い声しているのねぇ」

 「当然だよ。私たちは鳴狐(なきぎつね)だもん」

 「鳴狐って?」

 そんなことも知らないのかと言わんばかりの溜め息のあと、紫晏は鳴狐の紹介をしてくれた。

 鳴狐は鳴き声に妖力をのせることのできる種族らしく、鳴き声で術を発動したり幻覚や幻聴を生み出したりと様々なことができるらしい。

 その特性から鳴狐は艶のある鳴き声の個体が多いのだとか。

 この狐白楼の景観を作りっているのも主に鳴狐たちなんだそう。

 「じゃあ紫晏も術とか使えるの?」

 「うーん、私ひとりだと催眠術程度だけど、お兄ちゃんと一緒なら大掛かりなのもできるよ!」

 「そうねの。この御宿にも施してるのかしら?」

 「春の庭園は私たちの管轄だよ。私たちは双子だからふたりで鳴き声を合わせるととても強力な幻覚が作れるの」

 「え、ここの庭園も幻覚なの!?」

 「そうよ、本当は何にもない土地なの。それを管轄の従業員が各々のセンスで作り上げてるのよ」

 「へー、すごいのね!見てみたいなぁ」

 なんてポロっと軽く言ってしまい、紫晏はうーんと唸りながら自分の懐中時計とにらめっこし始めてしまった。

 春の庭園っていうことは、他にも夏秋冬の庭園もあるのだろうか?

 ここに滞在できている間に見られたらいいなとのほほんと考えていたら、うんうん唸っていた紫晏がパチンと懐中時計を閉じて私に駆け寄ってくる。

 「よし、今から春の庭園を見に行こう!どうせ旦那様にはしばらく会えないし、夕飯は少し遅くに用意してもらえば問題ないはずだから」

 「え、今から!?」

 そうだよ、と紫晏は私の手を取って部屋の外へと駆け出す。

 小さい女の子の姿でも力は成人男性並みでたくましいく、私はなすすべもなく小さい手に引っ張られて一人では確実に迷ってしまいそうな館内を颯爽と駆け抜けた。

 自分の力では到底出せない速度で景色が変わってゆく。

 不思議と身体への負荷はなく浮いたまま引っ張られているような感覚だ。

 長い廊下を通り、大きめの襖(ふすま)を二つタンッタンッとリズミカルに開き進んで行く。

 速度は依然として早いままで最後に縁側の磨りガラスが嵌め込まれた戸を思いっきり左右へ開け放つと一気に光が溢れ反射的に目を瞑ってしまう。

 「ここが私たち双子の作っている春の庭園だよ!」

 紫晏の声がして、私はゆっくりと瞼を開けていく。

 眼前には桃源郷とはこんな感じなのだろうかと思うほどの優美な光景が広がっていた。

 この庭園には現世(うつしよ)にあるモノと、おそらく隠世(かくりよ)のモノと思われる私が見たこともないような様々な動植物が生き生きと存在していた。

 惚けた顔で庭園から紫晏に視線を移すと彼女はにかっと歯を見せ、目がなくなるほどの満面の笑顔で綺麗でしょ、と言ってくる。

 「あぁ綺麗で、桃源郷ってこんなところかしらって思っちゃった!ここ本当にあなたたち二人だけで作っているの?」

 「私たち双子にかかればこんなもんよ!」

 「全部、本物に見えるのに本当は幻覚だなんて...不思議ね」

 「触った感触も本物と遜色ないはずだよ」

 「そうなの?じゃああの子達に触っても大丈夫かしら」

 そう言って私は数メートル先いる真っ白な兎(うさぎ)を指差してみた。

 「大丈夫だけど...」

 「やっぱり問題あり?もっふもふで絶対気持ちいいと思うのよね!」

 にへらっと緩みきった顔で訴えると、紫晏は少し目を伏せてしまう。

 やっぱり問題発言だったかしら、でも実物と遜色ないのなら兎に触るくらいいいじゃない。

 何が気に触ったのか検討がつかないが、今までのやりとりを思い出そうと私は一度目を閉じてみる。

 「...じゃ、ダメ...」

 「え、何?ダメなら触らないわよ...試しに聞いてみただけだもの」

 視線を落としたまま紫晏が小さい声で答えたので、急いで思い出すのを諦め、目を開けて答える。

 もふもふは捨てがたいが、あの兎でなくてもいいしね。

 しかし、紫晏はキッと目を見開いて今度ははっきり聞き取れる大きな声で叫んだ。

 「そうじゃなくて、私じゃダメなの!?」

 「はい?」

 「私だって狐姿はモフモフであんな兎なんか目じゃないでしょ!」

 私の方が断然可愛いしもふもふだと紫晏は強めの主張をしてきたのだ。

 予想の斜め上を行き過ぎていて一瞬言葉を失ってしまった。

 そんな私を見据えたまま耳と尻尾をピンと立てて興奮ぎみでいる紫晏の姿は頬が紅潮しているのも相まって、小さい女の子が嫉妬しているようでなんだかとても可愛らしい。

 「なんだ、そんなことで怒っていたのね。」

 「違っ、怒ってなんかないし!」

 「じゃあ、さっきの兎への嫉妬かしら?」

 ふふっと笑いながら言ってみたのだが、図星だったのか目玉が零れんばかりに目を見開いて口をパクパクさせて固まってしまった。

 少し虐めすぎたかしらと思いつつも、その愛らしい姿に笑みを消すことはできなかった。

 「そんなにもふもふして欲しいなら言ってくれればいいのに」

 「べ、別にそういうわけじゃっ!」

 「まぁ、そう言わずに」

 ほら、おいで。と私が両手を広げるとなんだかんだ最初にあったときと同じ狐姿になってトテトテとこちらに来て腕の中に収まってくれた。

 思う存分、紫晏をもふもふしながら部屋へ戻る。

 そろそろ夕食の時間かしらなんて考えながら鍵つきの襖を開けるとテーブルの上に豪華な料理が所狭しに並んでいて、一気にお腹が空腹を訴えてくる。

 ただテーブルの片側には肩ぐらいで切り揃えられた金髪に丸眼鏡をかけた優男が座って、なぜか持参した煎餅をかじっていた。

 入ってきた私に気づくと優男は眼鏡の奥の目をよりいっそう細めて迎えてくれた。

 「あぁ、会えてよかった...おかえりなさい。そして、ようこそ狐白楼へ!」

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狐の御宿へようこそ! 雪女 燐 @yukime_0000

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