狐の御宿へようこそ!
雪女 燐
序章 祖母の夢
いつだったか祖母が聞かせてくれた物語がある。
その話はどの日本昔話とも西洋のお姫様の絵本とも違って、祖母は語る度にあんな人もいた、こんな物もあったと思い出しながら詳細に話してくれた。当時はただ、祖母がとても楽しそうに笑顔で語ってくれることが嬉しくて何度も何度もこの話をねだったのだ。
「ばぁば、また御宿のお話聞かせて」
「沙那ちゃんは本当に御宿の話が好きねぇ」
そう言って祖母が語り出す。摩訶不思議な昔話。
あれは私がまだ少女だったころの話。
ある日、貝を採るため海岸の岩場で作業をしていたのだけど岩から岩へ移動する時に足を滑らせてしまって海へ落ちてしまったの。私は必死に陸へ上がろうとしたけど運悪く大波が来て海底へと引きずり込まれてしまった。薄暗い海の中で朦朧とする意識の端で海底で神秘的に輝くモノを捉えた気がして必死にそちらに手を伸ばしたのだけど、ちょうどその時強い海流が押し寄せてきてね...私ははついに意識を手放してしまった。あの光の側には小さな御稲荷さまの祠があった気がしたわ。
その後、目が覚めたときには天国に来てしまったのだと思ったわ。
だってとても豪華でこの世の物とは思えない一風変わった御宿にいたのだから。可愛らしいちょっと変わった従業員の方たちにお世話してもらって、はじめて見るものばかりの夢のようなところだったわ...いえ、本当に夢だったのかもしれないわね。お世話してくれた方によると、御宿の玄関脇にびしょ濡れになって倒れている私を御宿の若様が見つけて部屋を用意してくださったそうなの。そこで若様の客人として迎え入れられ、十日間ほど御宿で楽しく過ごしてから元のお家へ帰して貰ったの。帰り際に、この狐白楼に必ず戻って来ると若様に約束してね。
これが主なストーリーで聞く度に求婚された話だの命を狙われた話だのなかなかにスリリングで幼心を擽る話が追加されたりしたものだ。
思い出しながらふふっと笑いが漏れる。
たとえ現在進行形で山で遭難しているこの状況でも。
「なんでこんなことに!!足も捻ったっぽいし、雨も降ってきたし」
最悪だ。社員旅行のハイキング中の山道で足場が崩れて崖下に転落してしまったのだ。
しかも足を捻ったらしく上手く歩けない。
新社会人一年目で優しい先輩と一緒に旅行ができるとはしゃいでいた昨日が懐かしく思えてくる。
「無理。寒いっ!雨の凌げるところに避難しよ」
私は腫れている足を引きずりながら強くなってきた雨を凌げる場所を求めて歩き出した。
途中でちょうど胸の高さぐらいある棒を見つけたのでそれを杖がわりにして山の奥へとゆっくりゆっくり進んでゆく。
もうどれくらい歩いただろう。落ちたときに時計をなくしてしまったから正確な時間はわからないけれど、一時間くらいは歩いたのでは?
いい加減、身体が冷えてしまってるから落ち着ける場所をそろそろ確保しないとヤバイかもしれない。
そう思っていた矢先、少し先に大きな岩で出来た洞窟を見つけたので私は急いでそこへと足を向けた。
入口に着くと高さが3メートル程あり、中も広々としていそうだ。洞窟はそれほど奥行きはないようで入口からでも最奥がうっすら見てとれる。奥には小さな御稲荷さまの祠があり、二体の狐像が左右に構えている。とても昔に作られたのであろう祠と狐像は所々苔むしていて、なんだか寂しそうだ。きっと最近は誰も訪れていないに違いない。
なんだか悲しいわね。そうだせっかくだし掃除してみましょうか。
さっき崖から落ちたときにタオルがボロボロになってしまったから、これを使いましょう。水はその辺に溜まっている雨水でいいわね。
狐像を念入りに磨いていく、最初は祠からと思ったが触れたら倒壊しそうだったので断念することにした。狐像は普通の鼠色の石材でできていると思っていたが、磨いていくと苔と汚れのしたから透き通るような白の岩肌が出現したので夢中になって残りも磨いてしまった。
「つるぴか御稲荷さまの出来上がり!!いやぁ、頑張った私」
磨き終えた狐像を満足気に眺めていると、二体の首もとに玉が嵌め込まれていることに気がついた。さっきまでは全身白い石のみで出来ていると思っていたので左右で、黄色と緑の玉が嵌め込まれていることに少しビックリしたのだ。その玉から目が話せなくじっと見つめていると一瞬チカッと光った気がした。瞬きをしてもう一度玉に視線を戻すと文字が浮かび上がっていた。
「何かしら?...山吹、山葵??」
文字を読み上げた瞬間、薄暗かった洞窟の壁に無数の青白い火の玉が現れた。
「ひゃぁぁぁぁ!!」
壮絶な叫び声をあげ、腰を抜かしてしまった私。逃げられない、ああ、あの火の玉に包まれて死ぬんだ私。きっと御稲荷さまの怒りでもかってしまったんだろう。短い人生だったなぁ、どうせならお祖母ちゃんの話してくれた御宿に行ってみたかった。さらば今世、つぎ生まれ変わったら長生きさせてほしい。
走馬灯のようにさまざまな思いでとやり残したことが一気に思考を流れていく。時間にして数秒で小夜は火の玉に全身を包まれ灰のように消えてしまった。
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