第2話 その女、鰻につき

鰻の脚はほの白くてすらりと長い。氷室真帆は鰻の足をみるたびに自身の両腕で鰻のあしをばっきりと音を立てて折ってやりたい衝動に駆られる。もちろん現実にはしないし、そんなことはできない。


鰻と氷室は同じ都立高の同級生で今年3学年になる。ふたりとも陸上部の短距離選手だった。だった、というのは去年の春、氷室は交通事故に巻き込まれて左足を切断したためにやむなく退部したのだ。


鰻は本名を鰻ほのかという。苗字である鰻のインパクトが強すぎるが、それ以上に鰻の外見の可愛らしいさが上回っているため、ほぼ誰も鰻のことを鰻とは言わない。ほのか、と呼びたがる。

妖艶な鰻。まるで猛毒を持った蛇のよう。

あの目でちらりと見られただけで、大体の人間は堕ちてしまう。


男でも、女でも。


鰻と呼ぶのは幼馴染みの氷室と同級生の吾妻周悟だけだ。


現在の氷室の足には義足が装着されている。氷室は交通事故にあって、左足を切断してから、父の所有していた電動バリカンで一気に頭を丸坊主にした。それは自分なりの怒りの表し方だった。


そもそも交通事故にあった理由。それは鰻からの頼まれ事から始まる。鰻はその愛らしさからよく同性異性に問わず告白されるのだか、鰻も一回一回断ることにうんざりしていた。そこで鰻は告白に呼ばれると氷室に断ってもらうように頼んでいた。それも一度や二度ではない。


氷室も最初は自分で断れと言っていたが、やがてそれも面倒になり、鰻のいわれるままに相手にその旨を伝えていた。


ある日、校門の前で振るためだけの用事で氷室が立っていると、猛烈なスピードで車が突っ込んで来た。避ける間も無く氷室に激突した。激痛の中、自分の脚が異様な方向にねじ曲がっているの見て、意識が遠のいた。

次に氷室が目を覚ました時に、氷室に左足はなかった。


初めて義足を装着してから、氷室は鰻をいたぶり殺す夢を毎日のように見た。その大きく潤んだ二重の目玉に金串を刺して、口から泡を吹かせる夢。白く細い首筋に両爪を押し込み、まっすぐ下へ一気におろして血みどろにさせる夢。亀甲縛りにしたうえで炙り焼く夢。どの夢も残虐でそしてどの鰻も美しく、氷室が目を覚ましたとき、不思議なことに性的な興奮状態にあった。


「いままで内緒にしていたけど、わたしね、氷室のことがすきだよ」


6月第1週の金曜日の放課後、誰もいない教室で鰻に告白された。


「何言ってんだよ。いままでいいように使ってたくせに」


鰻のいつもの私ってかわいいよねアピールの一種だろうと鼻白んだ。


「あんたの自己中心的な考えのせいで私の左足がなくなったよ!」


「この前の映画の主役みたいでかっこいい」


その言葉で本気で殺意が芽生えた。


「殺してやる」


鰻を突き飛ばして馬乗りになった。鰻は声もあげない。


「殺していいよ」


「殺す!」


目を瞑り少し顎を上げた。綺麗だ。

鰻の首のあたりに両手を重ねる。


「そこじゃ締めても死ねない」


鰻が氷室の両手を取って、頸部へと誘った。


「一気にね。一気に殺してね」


鰻が笑って、八重歯が覗いた。

無性に腹が立って鰻の制服のブラウスを思い切り破いた。飛び散るボタン。からからと床に散らばる。


破けたブラウスから覗く鰻にはおびただしい数の青あざができていた。先ほど鰻に導かれた頸部にもうっすら鬱血したような痕がある。


「誰に」


「さあ」


鰻を転がしてキャミソールをめくる。バーナーで炙ったような痕があった。それから焼きごての痕が痛々しい。


制服を着ていたら絶対にわからない部分にだけいたぶっているようだ。


「誰にやられたんだっつってんの」


「それ聞いたら氷室死ぬか殺すかするから絶対言わない」


鰻はにやにや笑ってる。ちろちろとピンク色の舌が動く。


「はい、さっきの続きして。殺すんでしょ?」


焼きごて。ふと氷室は思い出した。氷室の実家は老舗の和食屋だ。出汁巻き玉子も有名で、焼きごてを当てて客にだす。氷室の両親が営む和食屋の焼きごてには「氷」と印字されている。


「焼きごて…これ、うちの…」


氷室は近くの椅子に手を掛け立ちあがった。走ろうとしても震えてうまく歩くことができない。それでも走って親父をぶち殺したかった。

そのとき鰻に腕を掴まれた。いままでにない力だった。


「わたしは気にしてないよ!氷室をつかって楽した罰だと思ってるから。


こういう顔に生まれたのだって、氷室のお父さんとかいろんなひとにいろんなことされるのも、暴力受けるのも全部何かの罰だと思って生きてるから!


だから氷室も堪えて!!すぐ殺すとか安易に考えないで堪えろ。

もっと頭、使って、どうでもいいことから堪えろ!」


鰻の両目はぎらぎら、ぬらぬらとして、それまでとは異なる美しさを発していた。


鰻は氷室のベリーショートの頭を何度か撫でてから、氷室の腰に抱きついた。


「これからは養殖物じゃない天然の、

誰にも飼われない世界で泳ぎたいの。

氷室、わたしと一緒に天然の鰻になってくれない?」


鰻は上目遣いで氷室に乞うた。


「…鰻となら、どこまでも」


氷室の答えを聞いて、鰻はにっこり微笑んだ。

美しい八重歯がきらりと光る。

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