早朝の駅の待合所は静寂に満ちていた。立ちこめる朝靄によって周囲一面が白くぼやけ、まるで霊界に迷いこんでしまったかのように幻想的だ。

 始発列車にすら早い時間とあっては、当然、構内に人の姿も二つしかない。二人の少年が長椅子に並んで腰かけていた。

「で? そっちはこれからどうするの?」

 少年の一人、ディノは隣に目を向けることもなく問いかけた。問いかけられた少年であるヴェイルも隣を見ようとはしない。

「決まっている。いつかは決着を着けるさ」

 ただ静かに、再戦への決意を舌に乗せるだけだ。

「ヂェゼビードの動向は専門の追跡部隊が探っているが、報告が上がってくるまでは別の案件に回されるだろう。が、まあ、その前にだ」

 ヴェイルは自分の掌に視線を注いだ。果たしてこれは本当に自分の手なのだろうか? ヴェイルの目には、なにか得体の知れないものに見えていた。

 まだ人間でいられるのか、それともすでに人間をはみ出してしまったのか、それはヴェイル自身にもわからない。

 ただ一つ心の拠りどころであるのは、彼の周囲にはそんな些細なことを気にしない連中ばかりが集まっている、ということだろう。

「取りあえずは本部に戻されて、徹底的に健康診断と精密検査だろうさ」

「……大丈夫なのか?」

 不安そうに尋ねるディノに、ヴェイルは「なにがだ?」と疑問に疑問を返した。

「いやその、そんな特殊な症例で、無警戒に戻っても大丈夫なのか?」

「つまり拘禁されたり、実験動物にされたり、解剖されたりするんじゃないかと?」

 直接的に表現してきたヴェイルの言葉に、ディノは硬い表情で頷いた。

「人外部隊の異名は伊達じゃない。あそこは特殊すぎてなあ。むしろ天魔獣を喰うだけの俺なんか珍しい部類に入らないくらいだ」

「そ、そうなのか?」

 ディノは半信半疑という調子で相槌を打った。ヴェイル以上に特殊な人間なんて想像もできやしない。

「そういうお前はどうするんだ」

「まずは故郷に報告かな」

 ディノの口調はとても静かだった。

 彼の故郷を滅ぼしたエルビキュラスは、本意でない形とはいえ死んだ。以前はそのことに対するわだかまりがあったが、この数日でじっくりと考えて結論を出したのだろう。ディノの表情は落ち着いている。

「それはそれとしてだ。学校、辞めちまってよかったのか?」

「ああ、いいんだ。僕は人間を守るための力が欲しくてあの学校に進んだ。そしてその力は手に入った」

 ディノの視線が握られたカイザーキマイラのキャリバーに注がれる。

「だったら僕は、一日でも早くこの力を皆のために使いたいんだ」

「友人と離れ離れになるのにか?」

 ヴェイルは素朴な疑問を口にしていた。ディノの人間を守りたいという感情は、守りたくても守れなかった人たちに対する罪悪感や贖罪意識によって形作られたものだ。

 だが、ディノはあの学園で新たに守りたい人たちを手に入れた。だったらもう少し同級生や友人、恋人と一緒にすごしていてもいいはずだ。

「確かにケビンスやグラサンにも止められたし、ジュリアさんなんか僕についてくるって大泣きされて大変だった。僕の中にもう少し彼女たちと一緒にいたいって気持ちがあるのも事実だ」

 ディノは素直な胸の内を口に出した。

「だけど駄目なんだ。一度でも先を見つめてしまったら、この気持ちを抑えておくことなんてできっこなかった」

「それに」と、ディノは続ける。

「今はバラバラになってしまうけど、同じ方向に歩いていけば遠からずまた一緒にいられる」

 ヴェイルはその可能性が決して高くないことを口にしない。天魔獣との戦いはそれだけ過酷だ。負傷によって一線を退くか、ベッドに固定されるか、最悪は死に別れてしまうか。あるいは壁の高さに絶望して道を諦めてしまうかもしれない。

 だが、誰もが最初は希望に向かって一歩を踏みだすのだ。

「今はそう思うことにするよ」

 ディノの微笑は、今にも消えてしまいそうに儚かった。

「お前がそれでいいなら、それでいいんだろう」

 ヴェイルはディノの意思を尊重するように頷いた。それからふとした憂慮を浮かべる。

「俺から言えるとしたら、大人しく学校に通ってりゃ難なく免許が取れたのに、ってことだろうな。個人で免許を取ろうだなんて正気の沙汰じゃない」

「…………ん? 免許?」

 ディノはまるで異界の言葉でも聞いたかのように両目を見開いた。初めてヴェイルに顔を向ける。ヴェイルもまた、ディノの反応に珍獣を見る顔を向けてきた。

「ちょっと待って。免許ってなに?」

「まさか知らないで退学したのか? キャリバーの所持使用は免許制になってるんだよ。犯罪に使われる可能性もあるからな」

 ヴェイルはウサボルトのキャリバーを取りだした。ディノが注視すると、確かに登録番号らしき数字が柄に刻印されている。

「この登録番号を調べればどこの誰が所持者かわかるようになっている。所持者が調べられるってことは、免許持ちかどうかも調べられるってことだ。俺たちのキャリバーは《薔薇園》の所有物で一時貸与って扱いだけどな」

「じゃ、じゃあ、学園で使っていたやつは?」

「いわゆる仮免許ってやつだ。さてはお前、生徒手帳を見てなかったな?」

 ヴェイルの指摘にディノは顔を引きつらせた。

「多機能生徒手帳自体が仮免許証になっていて、学園島内、及び学園島外では教官の承認がある場合のみ、キャリバーの使用が認められると書いてあっただろうが」

「マジか……」

 そうは言われても生徒手帳はすでに返還したあとだ。ディノに確認するすべはない。

 ヴェイルはディノが握ったキャリバーを指差した。ヂェゼビードから奪ったキャリバーに、当然ながら登録番号はない。

「ちなみに無登録キャリバーはばっちり違法だ」

 ヴェイルはディノからひょいとキャリバーを取り上げた。ディノが狼狽を口にする時間すら与えず、足元に置いていた鞄に放りこむ。

「あー! 下手こいたー!」

 椅子に深く座りこんだディノは、顔に両掌を押しつけて自らの失敗を嘆いた。

「つまりなにか? 僕は学歴一か月未満で、しかも無免許でキャリバーなしってことか?」

 ヴェイルはこくりと頷く。

「そんなの地雷じゃねえか。どこが相手にしてくれるっていうんだよ……」

「ちなみに、ウチには免許取得講座もあってだな」

「……マジで?」

「マジで。かく言う俺もその講座で免許を取った」

(……ん? ちょっと待てよ)

 もしかして今のヴェイルの発言は、そういう意味なのか?

「最短だと一年で免許を取れる。つまり」

「学園三年間で行われる授業を、三倍の速さで詰めこんでいるってことか……」

「とんでもなくキツいぞ?」

 ヴェイルは口の端を吊り上げ、悪友を誘うような笑みを浮かべた。

「いくに決まっているだろう」

 ディノも口の端を吊り上げて笑みを返す。

「お前ならそう言うと思ったよ」

 長い長い金属音の尾を引いて始発列車が駅に止まった。台数は二編成。駅の上りと下りの発着場にそれぞれ停車している。

 ヴェイルとディノが立ち上がり、背を向けあって、逆方向へと歩いていく。

「じゃあ」

「ああ」

「一年後に」

「一年後に」

 ヴェイルは新たな戦場に。

 ディノは故郷に。

 だが、二人の道は、近い将来必ず交わることになるだろう。



 マユキは姿勢を正し、直立不動となっていた。純白の執務机を挟んで座るエセルドレイデ伯爵が報告書から視線を上げる。鋭い槍のような眼光に射竦められただけでマユキの体が跳ねた。

「つまり最終的な結論として、研究成果は奪われ、討伐対象も逃がし、任務は完全なる失敗に終わったと。そういうことでよろしいですね?」

「はっ、はひぃいっ」

 極度の緊張感でマユキの声も裏返っていた。

 滝のような汗を流しながらマユキは考える。どんな罰が待っているのだろうかと。

 減給くらいならまだいい。それとも降格だろうか? でも、それだとヴェイルと一緒の仕事にいけなくなって嫌だなあ、なんて色ボケした思考を紡いでいた。

「まあ、よいでしょう」

「は……っ? えっ?」

 しかしてエセルドレイデ伯爵の反応は予想外だった。マユキは両目をしばたたかせる。

「こちらにも認識不足がありました。まさか聖ヴォルフガング学園の一件が、魔人どもによる同時多発襲撃の一部にすぎないなどと誰が予想できたでしょう。これは帝国全体、ひいては人類全体の敗北です」

 エセルドレイデ伯爵の表情は硬質だ。自らの失態を直視し、その上で次の一手を見据える指揮官としての顔だった。

「今回の一件で少なからぬ被害が出ました。学園だけでなく帝国軍部や民間人、我々からも」

 エセルドレイデ伯爵の言葉にマユキも消沈となる。犠牲となった身内には、ヴェイルや彼女の顔見知りも含まれていた。

「しかし今は失敗や失ったものの大きさに俯いている時間はありません。得たものにだけ目を向けるとしましょう」

 今回の一件で彼女たちが得たものは二つだ。一つはヴェイル・ゼルザルドの成長。そしてもう一つは、新しい人材。

「彼の暗号名はそうですね…………《勇気ある若者ドレッドノート》とでもしましょうか」

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ヒトを喰らうケモノを喰らう人(ケモノ)たち モドキもん @modokidou

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