終章
ウロボロスとドレッドノート ➀
「…………え?」
その場の誰もが困惑し、呆然としていた。呆気に取られたと言うべきだろうか。
ヴェイルも、ディノも、そして当のゼヒルダでさえも。
ゼヒルダは無傷だった。ゼヒルダへと襲いかかった破壊の奔流は、しかしゼヒルダに到達することなく受けとめられ、押さえこまれて消滅していた。
ゼヒルダの前方に突如として出現した、一軒家にも相当する巨大さの無色透明の塊によって。
「なんだこれは? 鉱物……結晶か?」
「言ったはずだ。我は不落」
その場でただ一人、ヂェゼビードだけが事態を理解していた。ヂェゼビードの全身から放たれるのは暴力的なほどの圧力。ヴェイルでさえも呼吸困難に陥りそうなほどの、圧倒的な敵愾心と威圧感だ。
「《不落の》ヂェゼビードなり」
「まさか、あれだけの猛攻を見せつけておいて!」
「本来の鏖力は絶対防御能力だとっ⁉」
「防御だけではない。応用すればこういうこともできる」
ヴェイルとディノの驚愕を一笑するようにヂェゼビードが指を鳴らした。
ゼヒルダの前方に鎮座していた大結晶塊に亀裂が走り、分裂。結晶の塊は無数の柱となり、ヴェイルとディノを中心とした地面に突き刺さる。
柱の配置は真円の等間隔。そして柱は震えていた。
「これはやばい!」
ヴェイルが危険性に気付いたのは直感に近かった。慌ててその場を離脱し、一拍遅れてディノも続く。
それぞれの柱がそれぞれの柱の振動に共鳴し、増幅していき、そして柱の周囲が一気に爆発した。粉塵が間欠泉となって空高くまで舞い上がり、二人の体に衝撃と轟音が叩きつけられる。結晶体の共振増幅を利用して極地地震を発生させたのだ。
校庭には巨大な穴が広がっていた。穴の底では土も石もなにもかもが微細に砕かれ、さながら巨大な蟻地獄の様相を呈している。
ディノが両目を見開く。自らの前方にもまた、一握りほどの大きさをした結晶が飛来していたのだ。その結晶も柱と同じく小刻みな振動を繰り返している。
「くっ!」
ディノが両腕で急所を防御した直後、今度は結晶自体が爆発した。両腕が消し飛ばされ、ディノの体が血霧の放物線を描く。
「相棒っ!」
「他人の心配をしている場合だとでも思うのか?」
ヴェイルの目の前で分裂していた結晶が再結合されていく。現れたのは太い四肢に屈強な体躯を有し、骨格と筋肉と神経と皮膚までもが結晶によって作り上げられた無色透明の巨人だ。
巨人の体内には微細な振動が駆け巡っていた。有機生命体の思考や運動を司るのが電気信号だとするなら、同じように振動を信号として思考し、手足といった器官に命令を下す擬似生命体を成立させることも可能なのかもしれない。
無色透明の巨人が拳を握り、ヴェイルへと突きだす。巨人の拳は一撃でヴェイルのすべての防御を容赦なく粉砕。全身を強打されたヴェイルが空中に放物線を描き、地面へと激突。二度、三度と地表を跳ね、転がり、慣性がつきてディノの隣で停止する。
「貴様も戦場に立つのなら覚えておくがいい。勝負とは常に、先に切り札を切ったほうに負けが訪れるのだと」
二人の魔装が解除された直後、巨人の全身が崩れ落ちていく。元々鏖力によって強引に成立させた生命体だ。呆気なく寿命が終わり、単なる結晶へと戻っていった。
「あ……圧倒的すぎるだろうが」
地面に倒れ伏し、動けなくなったヴェイルから苦言が零れた。
「お前、なんで今まで手加減してやがった……」
「貴様らの世界にもあるだろう。縛り規則というやつだ」
その言葉は本来、遊戯における遊び方の一つであるはずだ。ヂェゼビードはそれを生死の賭けられたこの現実の世界、それも最終決戦という大一番に持ちこんでいたのだ。
「別に切り札を隠していたわけでも貴様らを侮っていたわけでもない」
ヂェゼビードが残された左腕を掲げる。掌には一つだけになった腕輪が乗せられていた。
「私の目的の一つはこいつの性能検証にあった。その際の邪魔となりうる自らの鏖力を封殺していたにすぎない」
ヂェゼビードが笑みを浮かべる。それは獰猛な戦士の笑みでも、ましてや相手を見下す勝者の笑みでもなかった。
「だが、腕輪の片方は失われ、私は自らに課した誓約を破った。この戦いは貴様らの勝ちだ」
それはいっそ清々しいほどの笑みだ。全身全霊をかけて戦い、相手の力量を認め、そして力及ばず敗れた者の笑みだった。
「…………は?」
ヴェイルは、ディノは、呆然とする。それ以外の感情が思い浮かばなかった。
「どうやら時間切れのようだ」
ヂェゼビードの視線が横へと向けられる。ゼヒルダの顔面は蒼白となっていた。瞳にも霞がかり、棺桶に片足を突っこんだ死人の表情になっている。
「このままではゼヒルダがもたん」
ヂェゼビードは左腕一本だけで、ゼヒルダを姫君のように恭しく抱き上げた。
「ご主人様、駄目ですわ。わたくしの身など案じず、どうか彼らと雌雄を決してくださいまし」
「それで満足か?」
ヂェゼビードが口にした問いに、ゼヒルダは「……え?」と訊き返していた。
「お前は世界の片隅でしかないこんな小さな戦場で散って、それで満足なのかと聞いている」
言われてみれば疑問が浮かんでくる。先ほど、死を予感した瞬間、満ち足りていたのは確かだ。ここが自分の死に場所で、望みを叶えて死んでいく安らかささえあった。
だがヂェゼビードの言葉を聞いて考えてしまった。まだ先があるのではないかと感じてしまった。自分が最後を迎えるには分不相応だとすら思えるほどの、華々しい死に場所が。
「私ならば用意してやれる。貴様の最後に相応しい特大の戦場をな」
「……ご主人様、いけませんわ」
ゼヒルダは熱に浮かされたように口を開いた。
「わたくしがあなた様にいだいていた感情は、あくまで主人と従者としての忠誠。ですが、そんなにも情熱的な言葉をかけられてしまったら、一人の殿方としてあなた様を愛しく感じてしまうではないですか」
ゼヒルダの瞳は熱を帯び、頬は赤く染まって、まるで恋に恥じらう乙女のようになっていた。ゼヒルダの腕がヂェゼビードの首に回され、安らぎの中で眠るように目を閉じる。
「私は先にいく」
ヂェゼビードの触手が動いて腰に吊ったキャリバーの一つを銜えた。魔装したヂェゼビードに巨大な翼が出現する。
ヂェゼビードの言葉はこの学園から去るという意味ではない。ヴェイルやディノよりも遥か先の場所に、舞台に、進んでいくという意味だ。
「私と決着を着けたいのなら追ってこい」
そしてヂェゼビードは飛び立っていった。翼を羽ばたかせて、瞬く間に遠くの空へと消えていく。
「……ちくしょう」
それがどちらの発した言葉なのかはわからない。
ヴェイルの握った拳からは血が滲んでいた。
ディノが食い縛った歯の軋む音が聞こえた。
二人は小さくなっていくヂェゼビードの後ろ姿を、いつまでも睨み続けていた。
魔人による聖ヴォルフガング学園を含めた帝国沿岸地域への同時多発攻撃の報は、瞬く間に世界中を駆け巡った。
人間側の被害は十二の軍事施設と聖ヴォルフガング学園、民間人あわせて三千人以上の死傷者。施設に保管されていたキャリバーの多くも強奪されることとなった。
対する魔人側の被害は兵隊級から族長級あわせて一万体以上、魔人九名中二名、そして魔人長三名中零名。
この事件に際して、ある者は軍備の拡張と天魔獣の排除を声高に叫んだ。
またある者は対話や条約による魔人との不可侵、融和を。
一部では魔人による支配こそが正しい在りかたであると主張する者までが出た。
そして大多数の人間は、自分たちとは関係のない対岸の火事だとして無関心でいた。
ただ一つ確かなことは、世間で喧々諤々の議論を巻き起こし、人間と天魔獣の関係が次の段階に進んでしまったということだろう。
それから数日が経過した。
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