第18話:牢獄


 大切に大切に、少しずつ食べていた食料が八割方なくなった日。

 僕たちはある廃都へと降り立った。

 この辺り一帯は背の高い葉地ロトスが多く、なかなか低層で降りられる場所がない。

 このままでは夜が来てしまう。と危惧した僕は苦肉の策で中層の葉地ロトスへ立ち寄ることを決めたのだった。


「消霧機能は大丈夫そうなんですが、よく見えないんです」


 降り立つ前に、ピリカが不思議そうに首を傾げていた。

 レティも同様に「霧じゃない何かで見えないみたい」とじっと様子を窺う。

 念のため二人にはローブを深く被ってもらい、葉の淵から中を覗いた。

 ピリカたちの証言に反して消霧機能は正常に働いているらしく、視界は良好。

 人影はない。


「あれ? おかしいですね。今は見えます」

「見える……どうして?」

「とりあえず降りようか。塔に向かって歩いてみよう。多分ここは無人廃都だ」


 二人が転ばないよう注意しながら、砂利の敷き詰められた平地へ降り立つ。

 周囲に異常はないが、肌を刺すような冷気が辺りに立ち込めていた。


「しゃ、しゃむいです……」

「息が白い……」


 急激な気温差で二人とも肩を抱いて震え始める。

 愛寵種フューシャはあまり寒さに強くない。

 早めに塔内に避難して暖をとらなければ。


「体が冷える前に移動しよう」


 恐らく、塔の機能が故障して葉地ロトスの気温が狂っているのだろう。

 震える華奢な肩を摩って温めながら、僕たちは塔を目指した。

 平地はある地点から住宅の乱立が始まり、石畳の通りへと繋がる。

 塔近辺には木造の平屋が通りの脇にずらりと並んでいた。


「だ、旦那さま。ここ怖いですぅ……」

「し、死んでる、の?」


 異変は間もなくやってきた。

 通りのど真ん中や建築物に背を預ける形で人間の死体がごろごろ転がっているのだ。

 怯えるピリカとレティは僕にしがみつき死体から目を背ける。

 死体はどれも腐乱しておらず、まだ新しい。

 吐瀉物に塗れているもの、皮膚に紫色の発疹が広がっているもの、苦悶の表情を浮かべて息絶えたもの。

 様々ではあるが、外傷はなさそうだった。


 ここで一体何が起きたのか。

 不審に思いながら「大丈夫だよ」と二人を宥めてナイフを確かめる。

 塔の入り口にも一人、人間がうつ伏せに倒れていた。

 死体を足でどけて、扉を開く。

 幸い内部は空調が機能しており、快適な温度が保たれていた。

 照明も広い部屋の隅々まで自動で灯る。


「しゃ、しゃむかったですぅ……」

「はぁ……喉が凍りそう……」


 惨状と寒さで二人はその場にぺたんと座り込んで動けない。

 体は小刻みに震え、体温が戻るまで無理をさせられないのは明らかだった。

 毛布か何か、保温できるものがないだろうか。

 外には生きた人間の気配はない。

 ならば。


「体を温められそうなものがないか、探してくるよ。二人はここで待ってて」

「嫌ですぅ、ピリカを置いていかないでください……!」

「すぐに戻るよ。お願い。風邪を引いたら大変だからさ」

「うぅ」

「ね?」

「ピリカちゃん、私とここでぎゅうってしてよう?」


 嫌がるピリカとは反対に、レティは僕の提案を受け入れてくれた。


「……うぅ、わかりました。すぐに帰ってきてくださいね」

「ありがとう。行ってくる」


 抱き合う二人に僕のローブを被せて、塔深部へと扉を開く。

 細い通路は緩やかな曲線を描いて延々と伸び、途中にいくつか分岐や階段があった。

 曲がったり上ったりは、まず突き当りまで到達してから。

 僕は分岐を数えつつ、ひたすら道なりに進んだ。


「……ん?」


 四つ目の分岐点。

 そこで違和を感じた。いや、感覚的なものではない。

 分岐路から異様な悪臭が漂ってくるのだ。

 しばらく無視してまっすぐ行くか迷って、分岐路に入る。

 道幅は若干狭くなり、壁には意味不明な図形や数字が描かれていた。

 まるで落書きのような三角形や星型やひし形の続く通路。

 進めば進むほど鼻をつく臭いは激しくなる。

 視界に開け放たれたままの扉が見えた頃には、鼻が曲がってしまいそうなくらいの耐えられない刺激臭と化していた。

 腐敗臭だ。

 嫌な予感にかぶりを振って、通路から部屋へと踏み入る。

 僕が入った瞬間、ぱっと照明が灯り眼前に広がったのは。


「っ!」


 あまりの惨状に呼吸が止まった。

 牢獄だ。

 十メートル四方の部屋は左右に牢があり、その中に折り重なって――


「うぁ……」

「……あ……あぅ……」


 十はゆうに超えるであろう数の愛寵種フューシャが囚われていた。

 かろうじて命を繋いでいる者もいるが、腐乱して羽虫が集っている亡骸もある。

 長い間ここに囚われていたのだろう。

 生きている愛寵種フューシャですら全身が黄土色に汚れ、髪も油で固まってしまっている。

 汚れた裸体はやせ細り、あばら骨と骨盤が浮き上がっていた。

 四肢は触っただけで折れてしまいそうなくらいだ。

 助けなければ。

 咄嗟に牢に手をかけて強く揺する。

 しかし堅牢な金属のそれはびくともしない。


「くそっ! 開け! 開けよ!」


 手が痺れる程繰り返しても開かない。


「鍵、鍵がどこかに――」

「動くな」


 鍵を探さないと。

 そう思って振り返ると、鋭利な切っ先が僕の鼻筋に突き付けられた。


「お前は密猟者か」

「……違う」


 大剣を突きつけてきた人間は、僕を睨めつける。

 淡い灰の短髪に、筋肉質な長身。

 どこか、既視感があった。


「ならば何故愛寵種フューシャを二体連れている」

「幼い金の髪の子が僕のつがいだ。白髪の子は密猟者から助けだした。僕たちはその子を故郷に戻すために旅をしている」

「ほう。ではもう一つ聞こうか」


 つがいを襲って愛寵種フューシャを奪い取ったと勘違いされているようだ。

 今は一刻も早く囚われた彼女たちを助けなければならないのに。


「…………」

「首にかけているその護り石はどこで拾った」


 もどかしさに唇を噛み、真実をそのまま伝える。


「旅の途中に出会ったつがいから貰い受けた」

「そのつがいの名は?」

「シュラとナナ」


 名前を発した途端、人間の目が見開かれる。


「シュラ、だと」

「僕が密猟者に襲われているところを助けてくれた人の名だ。僕らが別れる時にお守りだとこれを。嘘はついていない」

「見せてみろ」


 信用を勝ち取るため、僕はお守りを首から外して人間に手渡す。

 人間は大剣を突きつけたまま、彫られた文様に目を凝らした。


「そうか……無事に旅を続けているんだな」


 切っ先がゆるりと下ろされた。


「疑って悪かった。これは間違いなくお前に向けられたものだ。祝福者がシュラとナナとなっている」


 お守りを返される。

 あの文様を読み取ったのか。

 不審に思っていると人間は表情を柔らかく変えた。


「俺はシャガだ。シュラは俺の一つ上の兄にあたる」

「シュラさんの、弟さん……」

「ああ。お前は?」

「カナンです」

「そうか。さっそくで悪いが牢を破壊する。離れていろ」


 頷いて言われた通りに退く。

 非力な僕の腕ではどうにもならないが、あの大剣なら。


「ふんっ!」


 渾身の力で振り下ろされた大剣は、あっけにとられるくらい簡単に鉄格子を切り裂いた。何度か大剣を薙ぐと充分人の通れる空間が生まれる。


「シャガ! どうした!」


 物音に気がついて駆けつけたのだろう。

 シャガさんの仲間と思われる人間が数人駆け付け、絶句する。


「同志が先に発見していた。ひとまず広い部屋に運んで手当てするぞ」

「あ、ああ。わかった」


 僕たちは、駆け付けた人間たちと共に、息のある愛寵種フューシャを抱き上げてピリカたちのいた部屋へと運び出した。



 *****



「我々は密猟者に囚われた愛寵種フューシャを保護している。今回ここを訪れたのは極寒の無人廃都が密猟団のアジトとなっているとの情報を得たためだ。カナンはどうだ」

「ただ、寝床を求めて立ち寄ったら見つけた、という感じです」

「そうか。運がいいな」


 衰弱し、うわごとを呟く若い個体を抱き上げて、ピリカたちの元へ戻る。

 広い空間を誇る一室には、人間たちのつがいであろう愛寵種フューシャが治療のための道具を広げているところだった。


「順に奥からシーツの上に寝かせて」


 指示された通りに、痩せた体を横たえさせては、また牢獄へ。

 何度も何度も繰り返して、かろうじて命を繋いでいる子たちの治療が始まった。


「旦那さま……」


 痩せ細って骸骨のようになってしまった同類に怯え、ピリカは僕のそばを離れない。レティは泣きながら、同年代の愛寵種フューシャの体を清めていた。

 もう寒さなんて感じている暇はない。

 囚われていた子たちは皆裸だが、乳房は萎み、臀部も太腿も骨と皮。

 ただただ痛ましく、いやらしい気持ちなど起きなかった。

 濡らした布で体を清め、干からびた唇をこじ開けて、ネクターの搾り汁を流し込む。不衛生と飢餓は死と直結する恐ろしいものだ。

 ある子には傷口に沸いた蛆虫を取り除いて消毒をした。


 酷い。

 あまりにも酷すぎる。

 泣きたくなる光景に唇を噛み切った。

 もうネクターの搾り汁すら飲み込めず、口の端から垂らしてしまう子もいる。

 全員が助かることを願いながら、それは無理だと思う自分を呪った。

 治癒魔法で治せるのは外傷やちょっとした病だけ。

 限界までやせ細って弱り切った体に魔法を使用したところで、肉付きがすぐさま戻るような奇跡は起こせない。

 境界線を越えてしまった肉体は、いくら癒しても結末を変えることはできない。

 死は覆せないのだ。


「カナン!」

「は、はい!」


 大声で呼ばれて、シャガさんの元へ向かう。


「あ、う……が、か……ひ」


 筋肉質な膝元で横たわっていたのは、まだ幼い愛寵種フューシャ

 目元や頭皮が炎症を起こしてめくれ上がり、頬は削げ、淡い銀色の眼球をぎょろりと剥き出しにしている。

 しなやかだったであろう脚は、膝から下が壊死して黒く腐っていた。

 逃亡を図ったのか、泣き声が障ったのか。明

 らかに人為的な外傷だった。


「肩を押さえていてくれ」

「はい」


 シャガさんの奥さんのアナさんが必死に治癒魔法をかけるも、激しい痙攣は止まらない。

 押さえた肩は魚のように跳ねて、僕の指が触れた場所の皮が剥がれた。


「きゃ……な……や……く、ひ……は」


 ぶくぶくと泡と吐瀉物の混ざった液体がひび割れた唇から溢れ出す。

 次第に淡い銀色は上転し、白目しか見えなくなった。


「か……あ……」


 そして。

 一度びくりと大きく跳ねて痙攣は止まった。


「……ごめんなさい」


 アナさんの表情は、萌葱色に朱や檸檬色の混じる髪に阻まれて覗えなかった。

 治癒魔法を施していた手のひらが震えながら離れていく。


「お前のせいじゃない」

「救えなかった……」


 シャガさんに救いを求めるように顔が上がる。

 アナさんは大粒の涙を流して「ごめんなさい」とまた謝った。

 幼い愛寵種フューシャは白目のまま、微動だにしない。

 首筋に手を当てても、脈動は感じられない。

 救えなかった。

 この子は、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて絶命したのだ。


「そんな」


 これまでにない憎悪が心に芽生えたのを感じた。

 どす黒い感情が膨れ上がって吐き気がする。


「死化粧を頼む」

「……うん」


 まだ温かい遺体は別の部屋へと運ばれていった。

 僕もピリカの元に帰って、年若い愛寵種フューシャにネクターの搾り汁を飲ませてあげる。

 この子はまだ飲む力が残っていて、ゆっくりと流し込むと喉が動いた。


「旦那さま、ピリカはお水を換えて……ぴゃっ!」


 清拭用の布が入った桶を持ったピリカが、僕を見て飛び上がる。


「だ、だだだ旦那さま! お、お顔が」

「え?」


 ピリカのラズベリー色は恐怖に染まって、動揺を隠さない。


「顔がどうしたの」


 触ってみるが、別段変化はない。

 いつも通りの場所に鼻があって、目があって、口がある。


「おい、お前、まさか」

「うそ……!」


 動揺したのはピリカだけではなかった。

 周囲で懸命に手当てをしていたつがいが、次々と僕を見て慌てふためき始めたのだ。


「ええと、あの、僕の顔、何か変ですか?」


 置いてけぼりの僕に、濃い黄色の髪をまとめた愛寵種フューシャが手鏡を貸してくれた。


「……なんで、な、これ、これは」


 鏡に映った自分の顔にぎょっとした。

 確かに鼻も目も口も移動してはいない。

 しかし、顔面には紫色の発疹が無数に広がっていたのだ。

 痒みも痛みもない。しかし、明らかに危険な色。

 外に転がっていた死体と同じ、発疹だった。


「カナン、ちょっといいか」


 硬直する僕をシャガさんが室外へ呼び出す。

 僕は逆らう余裕すらなく、彼の背についていった。



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フューシャと愚者のエスカトロジー 景崎 周 @0obkbko0

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