第17話:旦那さま
今日中に次の
塔の外の空気を深く吸い込んで、僕はティフォルに告げた。
どんな反応をするのか。悲しむのか、喜ぶのか、怒るのか。
ほんの一瞬期待して、結局返ってきたのは「ふぅん」という短い含み笑い。
「俺、働きぶりによっては食料を分けてやらないでもない、って言ったよな」
「言ったね」
「まだまだ足りないなぁ。全然まったく足りてない」
「えー、まだ働かせるつもり?」
「当たり前だろ。食い物が欲しけりゃついて来い」
後ろ頭を押さえて「頭いてぇ」と呻く姿がおかしかったけれど、下手に馬鹿にすると怒られそうなので黙ってついていく。
どこかで水でも飲ませてやるべきかもしれない。
二日酔いに効く薬草を知っているが、この辺りに生えているだろうか。
「ピリカたちの様子も見にいきたいんだけど。三人だけじゃ危ない」
「この廃都って、母さんの魔法で上から人影が見えないようになってるんだよ。頭上を密猟者が通過したとしても、目には映らない。映らなければ襲いようもない。わかる?」
「あーはいはいわかりました。お手伝いいたしますよ」
安全だったとしてもあまり離れたくない。
ピリカが心細く感じてしまうかもしれないから。
あと、少し伸びた黄金色を手櫛で整えてあげたいから。
仕事を終えたらすぐに戻ろう。
そう決意して到着したのは。
「ほれ、ここ」
「ここ?」
苔むして緑に飲み込まれた廃墟の一角。
僕たちは屋根が崩れ落ち、外壁のみとなった石造りの家屋内へと足を踏み入れた。
ドアはすでに形を失い、洞穴のような四角形の穴を残すだけ。
「あ……」
四角形を潜り抜けた先。
苔が繁茂する屋内は、言葉を失うような美しい紅色の花が咲き誇っていた。
「もしかして、初めて見る?」
「……うん。初めて見た。苔ってこんな鮮やかな花をつけるんだね」
小ぶりで柔らかな八重の花びら。血色よりも深い紅。
染み込んだ紅は今にも滴り落ちそうに潤んで輝いている。
ただただ、惚れ惚れするような光景だった。
「雑草みたいなもん。剥がしても剥がしてもすぐに元通りになるわ、花を摘んでも三日後には次の蕾が出てくるわでな」
「僕草むしりさせられるの」
別に構わないが、骨が折れそうだ。
「いんや。むしるんじゃなくて、摘め。無尽蔵に生えてくる花で、花束を作れ。できるな?」
「またどうして花束? アルマさんにあげるのなら自分で作りなよ」
横着が過ぎる気がする。
「母さん用はもちろん俺が作る。お前は父さんの墓に供える用。せっかく来たんだから挨拶くらいするのが礼儀だろ」
「ああ、そういうこと。早く言ってよ」
「ほれ、さっさと手を動かせ」
背中を強めに叩かれて作業開始だ。
二人してかがんで、黙々と花を手折る。
派手な八重の紅を支える花径は意外と細く、少し力を入れるだけですぐに千切れた。
ティフォルは摘んでは纏めて、茎の末端を糸で縛った。
一方僕は。
「うわ。なに可愛いことしてんの。っていうか、どうやって作った、それ」
予想通り。
僕の拵えた紅の花冠に、ティフォルが喰いつく。
「知らないの?」
「悪いかよ」
お返しとばかりニヤついてやると、ティフォルはあからさまに不機嫌になった。
「僕たちのコロニーでは死者に花冠を手向けるんだ」
「お前のところだけの風習?」
「うーん、わからないけどやってるところは多くないらしい」
「ふぅん」
「教えて欲しい?」
再びのニヤニヤ。
眉間にしわが寄るのが愉快だった。
「教えろ」
「食料弾んでくれる?」
「顔に似合わずがめついな。俺が覚えられたら弾んでやらんでもない」
「なら厳しめにいく。しっかり覚えるように」
「へいへい」
こうして、気怠そうに後ろ頭を摩ったティフォルに小一時間、花冠を編み上げるための極意を叩き込んだのであった。
*****
予想外の飲み込みの早さに内心驚きつつ、廃墟を離れる。
「俺才能あるんじゃない?」
「まさか。ピリカだって上手に作るよ」
「俺の方が上手いだろ」
「僕の方が上手い。君が一つ作る間に二つ作ったの気づかなかった?」
軽い押し問答のような会話を繰り広げる僕たちの手には花冠がしっかりと握られていた。
ティフォルはアルマさんに。
僕は土の下で眠るアルマさんの旦那さんと、ピリカとレティにそれぞれ一つずつ。
「弟たちにも教えてやろ」
「どうぞご自由に」
人差し指で花冠をくるくる回すティフォルに呆れつつ、僕たちは塔へと戻った。
「あ! 旦那さまおかえりなさい!」
道中、洗濯物が揺れる物干し竿群生地帯からピリカがひょっこり顔を出した。
「ただいま。お手伝い?」
「はい! アルマさんだけじゃ大変ですから。レティさんもいらっしゃいますよ」
ピリカが「レティさーん」と呼ぶと白いシーツの後ろから白髪頭がにょっきっと伸びて目が合う。
「おかえりなさい」
「お疲れさま」
「それは、なに?」
アクアマリンが、じっと手に持った花冠を注視していた。
「ああ、これはプレゼントだよ。ちょっと来てくれるかな」
手招きすると、揺れる洗濯物の合間を縫って二人は僕の元に並ぶ。
「綺麗でしょ」
「ほわぁぁ。真っ赤なお花……」
「カナンが編んだの?」
反応は良好。喜んでくれるかな。
「うん。ピリカとレティの髪色に似合うだろうなって思って。はい」
優しく頭に乗せてあげると、ピリカがふにゃりと笑った。
「んふふ。ありがとうございます」
指先で触れて、花びらを弄ぶ。
ピリカの目にこの紅はどう映っているのか。
魅力的な色であれば嬉しい。
「きれい……ありがと」
レティもはにかんでお礼を言ってくれた。
「うん。やっぱりそうだ。二人ともすっごく似合ってる」
僕もにこにこしていると、カナンが「あ」と右手側に顔を向ける。
「あらまぁ。楽しそうなことをしていらっしゃるのね」
視線の先には、大きな洗濯カゴを両手で持つアルマさんの姿があった。
瞬きする間にティフォルはアルマさんに駆け寄り、カゴをかわりに持つ。
「ティフォルは力持ちねぇ」
「そんなことない。普通だ」
僕に対しては絶対にしない顔と声色。
でも、茶化す気にはならなかった。
「さぁ、これで最後よ」
カゴが僕の前に置かれる。
「旦那さまは別のお仕事ですか?」
子供用の白いシャツを手にしながらピリカが尋ねる。
「うん。ごめんね、一緒にいられなくて」
「ぎゅーってしてくれたら怒りませんよ」
「本当?」
「試してみたらわかるかもです」
なんて誘われたら断れない。
僕はシャツごとピリカを抱きしめた。
首筋に顔を埋めて、柔らかい体を堪能する。
長い間そうして腕を解くとピリカは満足そうに頬を上気させていた。
「頑張ってくださいね。ピリカもレティさんと頑張りますから」
「いってらっしゃい」
服のしわを伸ばすレティが小さく手を振る。
その隣では、ティフォルが「これ、母さんに」とアルマさんの頭に花冠を飾っていた。
「まぁ、ティフォルが作ってくれたの?」
「ああ」
「嬉しいわ。旦那さまにも自慢しなくっちゃ」
「父さんもきっと綺麗だって褒めてくれるよ」
「もう、ティフォルったら」
朗らかで、ありふれた、背筋の凍りつく会話だった。
「じゃあ、あとで」
短く挨拶を交わして、僕とティフォルはその場を離れた。
離れてからは言葉を発することなく、ずっと無言のまま歩く。
ちょうど調理場から塔を挟んで反対側に旦那さまのお墓はあった。
子供の頭ほどの石が積み上げられ山となったお墓が。
石はところどころ欠け、コケやカビで年季の入った色に変化していた。
しかし崩れることなく噛み合い、膝ほどの高さを保持している。
明らかに人工物だとわかる形が草と木々の合間にあるのが奇妙だった。
「あーもーあいつらめ。置くなって言ったのに」
積み上がった山の麓には、木の葉の上に蜜固めが数個。
「別に怒らなくても」
「虫が集るから嫌なんだよ」
後ろ頭を掻きながら「後始末する人間のことを考えてくれ」とぼやくティフォル。
「どうせ花も萎れたら片付けなきゃいけないんだし、似たようなもんじゃない?」
「気持ちの問題」
「ああそう」
ならば何も言うまい。
ぶつぶつ文句は垂れるティフォルをよそに、僕は花冠を墓石に立て掛けた。
僕たちのコロニーでは手を組んで祈りをささげるが、ティフォルは墓石を撫でただけ。
教わる人間がいなかったからか、アルマさんのコロニーではそうだったのか。
聞くのはやめておいた。
「母さんな、外が暗くなってくると父さんが死んだことを思い出して悲しくなるんだ。墓に縋り付いて泣き喚いて、俺たちが担いで部屋に連れていってる。たまに噛まれるし、叩かれるけど墓のそばじゃ涙が収まらないから無理やりな」
「毎日?」
「毎日。俺が物心着いた頃には泣いてた」
「そう」
旦那さまにも自慢しなくっちゃ。
その弾んだ声が耳にこびりつく。
もし、僕が旅の途中で斃れてしまったら。
もし、ピリカだけが生き残ってしまったら。
憶測でしかないけれど、ピリカも同じ道を辿ってしまうんじゃないだろうか。
コロニーの未亡人だって時折心を病む。
考えて、ぞっとした。
僕の死を忘れて、思い出して、泣いて。
疲れ果てては眠って、孤独を癒すために子供を拾って自分の元に縛りつけて。
ピリカを護るためには僕が強くなければならない。
強さとは、命を顧みないことではない。
自らの命を保ったまま対象を護りきらなければ最悪の終焉が待ち受けている。
ピリカを、レティを護り抜く。
あの日の決意を噛み締めて、僕はお墓に祈りを捧げた。
「なにしてんの」
「死者には手を組んで祈るんだよ、僕のコロニーでは」
「ふぅん」
目を伏せてしばらく思案したティフォルが、僕を真似て手を組む。
どうか安らかに。どうか、どうか。
霧の向こう側へと旅立った御霊が、どうか彼らを包んでくれますように。
正しい道へと導いてくださいますように。
「……赤の他人に祈るなんて、お前みたいな旅人は生まれて初めてだよ」
「赤の他人でも死者を悼む気持ちは変わらない、と僕は考えてる」
「ま、ある意味俺も父さんとは赤の他人だしな。間違っちゃいないか」
組んだ手を解いたティフォルは、天を仰いで深いため息をついた。
「食料は弾んでやる。だからさっさと行け」
「お酒はいらないから」
「誰がお前にやるか。固形食糧と燻製肉だけだ」
「あれ、肉くれるの」
「弾んでやってるんだよ。感謝しろ」
最後まで素直じゃないというか、ふてぶてしいというか。
その様子がおかしくて、僕は苦笑してしまった。
「じゃあ、ありがたくいただいておこうかな。その代わりに僕から二日酔いに効く薬草を教えてあげる」
「なに、そんなんあるの」
そう、ついに見つけたのだ。
「目の前に生えてるよ。三つ又の矛みたいなあれ」
お墓の後ろに広がる緑の中に、見慣れた薬草が紛れていた。
「あの雑草、薬草だったのか」
感心したようにティフォルは薬草に手を伸ばす。
「よく洗って、ポットに入れて、熱湯を注いでしばらく蒸らす。お湯が薄緑色になったら冷まして飲むんだ」
「お前意外と物知りだな」
「意外はいらない。何で微妙に貶すの」
「人は見かけによらないってヤツ」
「酷いな!」
さすがに堪忍袋の緒が切れて、二日酔いの後ろ頭を思い切り引っ叩いた。
「いっ!」
「ごめん、割と本気でやっちゃった」
「謝るなら最初から殴んな。あぁー、ガンガンする」
「自業自得でしょ」
「もうお前さっさといなくなれ……」
不貞腐れるティフォルとは、それから二三言葉を交わして別れた。
僕は洗濯物を干し終えたピリカとレティと合流し、借りた部屋を掃除する。
隅々まで綺麗に、借りる前の状態に戻して荷物を纏め、揃って塔を出た。
「おら。もってけ」
やはりというか、まさかというか。
出たところでティフォルが待ち構えていた。
手には膨らんだ麻袋を抱えている。
半ば投げてよこすかのように、燻製肉が入っているであろう麻袋を受け取った。
「大切に消費させてもらうよ」
「ああ」
集まってきた弟たちと別れのあいさつを交わし、最後にアルマさんに礼を告げる。
「他所の方とお話しできて、わたくしもとても楽しかったわ」
「お元気で」
「あなたたちも」
ピリカとレティも感謝を述べ、僕たちはゴンドラに乗り込んだ。
「ごめんなさいね。旦那さまったら恥ずかしがり屋で挨拶は難しいみたいなの」
「アルマさんからよろしくお伝えください。ありがとうございました」
「ええ。旦那さまもあなたたちのことを好いているもの。きっと寂しくて部屋から出られないんだわ。わたくしがお伝えするわね」
慈しむように目を伏せるアルマさんに頷きだけを返す。
今夜もきっと泣くのだろう。
「ピリカ、飛ばして」
「はい! いっきますよー!」
ゴンドラが緩やかに浮上していく。
「カナン」
遠ざかっていくティフォルが僕を呼んだ。
「死ぬなよ」
飄々とした雰囲気はなく、ただ真剣な眼差しが交錯する。
「さよなら」
精悍な緑色は霧に阻まれるまで僕たちを見上げ続けていた。
二度と会うことのない人へ、さようなら。
たったそれだけが、最後の会話となった。
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