第78話 神様が見てる
雨が止んだおかげで気持ちよく宿を出ることができた。しかし、たった1泊しなしなかった宿なのに、離れがたく感じるのは何故なんだろう?いつも、それを不思議に思う。そして「また来よう」と思うのだ。
今日は彫刻の森美術館を見て、箱根神社に行く予定。透はすっかりわたしの立てたスケジュールに乗ってくれて、「楽しみだね」と笑顔を見せた。
彫刻の森美術館は立体造形が屋外にもたくさんあることが魅力なんだけど、透は彫刻が面白いと指をさして笑いを堪えてずいぶん楽しそうだった。何より開放的な屋外スペースがそういう気持ちにさせたのかもしれない。
その後、箱根神社に向かう。
これは昨日、透に散々、突っ込まれた。「遊覧船も大涌谷のロープウェイもあるのにパスして神社に行くの?」と。
「ご利益があるから!」
「ふーん、そうなんだ。有名なんだね。……縁結び?」
彼は声に出してわたしを笑った。
「そんなに笑うことないじゃない」
「だって……いまさらじゃないの?」
「いまさらじゃないよ。これから先のこともお願いするの。縁をずっと結んでもらえるように」
透はにやにやしてそれを見ていたけれど、ふと黙ってまた口を開いた。
「そう言えば、ボクも新年のお願いは『凪と一緒にいること』だった。同じだね。……もっともあの時は凪にすごく怒られたけど」
「透が受験生なのに不真面目だと思っただけよ」
きっと赤面してるに違いないけれど、怒っているふりをして話を流した。
箱根神社は立派な苔むした杉の木に囲まれた、荘厳な場所だった。
「すごく大きな木だね」
「うん、日があまり入らないから、なんだかますます霊験あらたかに見えるよね」
ふたり、手をつないで歩く。砂利道から、石畳に入る。箱根神社の本殿にまずお参りする。頼朝や家康も参ったという歴史ある神社だ。そのあと、社殿に向かって右側、九頭龍神社に向かう。
「ねぇ、ちゃんとお祈りした?」
「透こそ……また別のお祈りしてない?」
「ボクはどこに行っても凪のことしかお願いしないからさ」
と言って、にんまり笑う。バカ、と言って背中を軽く叩くとその手が捕まえられて抱きすくめられる。
「まだ神様も見てるよ」
「縁結びの神様なら、許してくれるよ」
なんてご都合主義だろう、と呆れていると湖面が見えてきて、その遠方に生クリームのように頭に雲を載せた富士山がぽっかり見えた。
ちょっとした1泊旅行はもう帰路に向かう……。なんだか帰りたくない。ここにいれば明らかにわたしたちは異邦人なのだけれど、何故かそのスタンスが気持ちいい。帰りたくない……。
「楽しかったね。帰りたくなくなっちゃう」
思っていたことを横でズバリと言われて、びっくりする。まさか、まったく同じことを考えているとは思わなかったから……。
「わたしも。わたしも同じことを思ってた」
「宿はいいところでご飯も美味しかったし、ふたりで貸切のお風呂もよかったでしょう? それから、湖の見えるいやらしいシングルベッドでふたりで寝て、縁結びをしっかりして、さ」
「うん……」
「何より24時間、凪と一緒にいられたのがいちばん新鮮だったよ……。また来ればいいよ、だからそんな顔しない」
「うん……」
楽しいことにはいつか終わりが来る。でも、終わるからこそ新しい始まりがあって、終わりに意味ができるのかもしれない。
夏休みの残りは、わたしは仕事が普通にあって、お盆も普通に働いたし、透も特別授業があったりして、お互い時間を作らないとなかなか会えなかった。
もっとも透は学校自体は2ヶ月休みだったので、また受験生のときのようにほぼ毎日、お昼を食べたり、カフェで待ち合わせたりした。わたしにはそのひとつひとつがかけがえのないものに思えた。欲しい時にあるわけじゃないことは、透の休み前によくわかったからだ。
ふたりで会うと手をつないだ。どんなに暑くても、お互いを離さないよう。その手と手からつながるものがどれだけ大きいのか、わたしたちは知っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます