第68話 気持ちの整理

 キキッとブレーキがかかって本当に透が……現れた。お店に来てくれた時に遠目で見たことはあるけれど、こんなに近くで会うのは久しぶりだった。

「凪」

 彼は自転車を停めると走ってきて、呆然としていたわたしを捕まえた。抱きしめられて逃げられなくなる。


「こんな資格ないとわかってるんだけど……。ずっとこうしたくて」

 身動き出来ないほどきつく抱きしめられる。声も出せない。

「すきな人ができたなんて、嘘でしょう?」

「……本当」

 抱きしめられていた腕が緩んだかと思うと、今度は腕を掴まれる。

「どうして?」

「彼は大人なの」


 その言葉は透の心に重くのしかかったようで、うつむいたまましばらく身動きもしなかった。

「自分でまいた種だけど、こんな風に凪が心変わりすると思わなかった。許してくれるとは思わなかったけど、でも……」

 彼は傷ついた少年のような顔をした。

「……ごめん、ふられたって仕方ないことしたんだ、少し気持ちの整理をさせて」

 彼は自転車にまたがると暗闇の中、すぐにその背中が見えなくなってしまった。




 たぶん、これでいい。

 心の整理がつかなくてひとり、夜道をただ歩く。そう決めたはずなのにもう一人のわたしが、「これでよかったの?」と声をかけてくる。「これでよかったの?」……わからない。もう傷つくのが怖いだけなのかもしれない。


 気がついたらうちとはちょっと離れたバイパス沿いのマックまで来てしまい、少し迷ってから入った。ポテトとアイスコーヒーを頼む。

 ここは24時間営業なので時間を気にすることなくいることができる。店内はガラガラで、ほとんどのお客さんはドライブスルーのようだった。

 スマホを取り出し、LINEを開く。……まだ起きているかな? 戸惑いながらメッセージを送る。


『まだ起きていますか? ちょっとだけ、声が聞きたいかも』


 少し待っていると既読がついた。彼の節々の太い指で、フリックで入力しているのかなぁと思う。


『こんな時間に電話していいの?』


『ちょっとなら大丈夫』


 すぐに着信があって、店内での電話は非常識かなと思いつつ、電話に出る。

「どうしたの? こんな風にお願いしてくること、珍しいよ」

「ごめんね、迷惑だった?」

「いや、起きてたから。それより凪、外にいるの?」

「うん、たまにはいいかなって」

「良くない。先に言いなよ、どこ?」

「……マック」




 彼は車でブーンと来てしまって、飲みかけのアイスコーヒーはドリンクホルダーにしまわれた。

「凪の家からずいぶんあるのに、歩いてきたの?」

「うん、……呆れてるよね?」

「呆れるよね?」

「ごめんなさい……」

 大きな交差点の信号待ちで、彼はイライラしたのかハンドルを指でタップしていた。




「……せっかくだから、ファミレスでも行こうか? 甘いものでも食べなよ」

 バイパス沿いにはたくさんのファミレスが立ち並び、その中で朝までやっているお店に入った。

「これで凪を連れ込まないで済む」

「え?」

「オレ、一人暮らしだから」

 なんだか生々しい発言で恥ずかしくなってしまう。気がついたら小田くんの部屋、ということもあったわけだ。


 わたしはアールグレイを飲みながら、キャラメルパンケーキを食べていた。

「それで? 愚痴をこぼしたいのかな? いいよ、どんなのでも聞くよ」

「……透に会ったの」

 小田くんは一瞬、緊張した。

「すきな人ができたかもって、話した」

「かも?」

「かも……」

 本人を前にするとめちゃくちゃ恥ずかしくてただ真っ赤になってしまった。まだ熱い紅茶を飲むふりをする。


「思い上がりなら笑って。何しろ読解力ゼロだから」

「今はそんなことないでしょう?」

「それって、オレのことだって思っていいのかな?」

「あ、はい、たぶん……」

 わたしはどぎまぎしていた。わたしの方こそ高校生に戻ったみたいだった。

 大体、早生まれのわたしより、恐らく彼の方が数ヶ月か先に生まれているんだろう。

 透とは結局そこのところで折り合いがつかず、いつでも摩擦の原因になりかけた。でも、この人とはそれはない。苦しい思いもしなくて済む。


「凪、次は白浜がいい? それとも部屋に来る?」

「……お任せで」

「じゃあ、オレの部屋においで。迎えに行くから」

「はい……」


 車の中で彼は、

「こんな夜中に甘いもの食べたら太っちゃうぞ」

 と笑った。

「食べろって勧めたの、小田くんじゃない」

「そうかもな」


 わたしの家の前まできっちり送ってくれて、降りるときにおやすみのキスをした。

「もう少し、まめに連絡するようにがんばるよ」

「本を読むくらいなら電話して」

 とわたしは書店の店員らしからぬ発言をして、彼を笑わせた。








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