第67話 彼女の日

 お湯をあがると、また小田くんを待たせてしまったことに気がつく。

「ごめんなさい、待たせちゃって」

「いや、いいんだ。……今日は、お部屋食でご飯食べながら休憩できるからゆっくりできるよ。あ、また海鮮だな」

 小田くんは笑った。私もつられて笑った。……休憩。そういう想像をついしてしまう。もしそうなっても、この間のわたしの発言を省みたら何も言えない。


「……凪?」

「あ、はい」

 小田くんは後ろ頭をかきながら、言いにくそうに言葉を続けた。

「あー、休憩って、そういう意味じゃないから緊張しないで」

 下を向いて耳までたぶん赤くなってる。自分はバカだと思う。




 案内されたお部屋はオーシャンビューで、太平洋の荒々しい波がどこまでも続いて見える。『休憩』になったお陰で浴衣まで借りられた。

「お風呂もすごかったけど、お部屋から見える景色もすごいのね。あ、男湯もお風呂、バーンと見えた?」

「うん、迫力あったよな。……凪は海がすきなの?」

「まぁ、『凪』だけに、それなりに」

 彼はくっくっと声に出して笑った。わたしは、

「そんなに笑わなくたっていいじゃない」

 と彼に格好だけ怒った。


 たっぷりの海鮮料理を食べると、お腹がいっぱいだったこともあって、ふたりとも何も言葉を発さなかった。海の音だけが部屋を支配した。


 小田くんが動く音がザザッと畳を擦り、わたしの隣で止まる。

「凪」

 呼ばれて振り向くと、当たり前のように小田くんの顔があった。耳元からうなじに手を回されて、スマートにキスをされる。

「手は出さない方針なのかと」

「……キスはこの間しちゃったし、今日は都合よく『彼女の日』だから」

「もう……」

 わたしたちの間にあったよそよそしい空気はどこかに流れ去り、親密な空気が間に生まれてくる。


「凪……」

 頭をそっと支えられて敷いてあった座布団の上に押し倒され、求められるままにキスをした。わたしは彼の背中にしっかり捕まって、彼のやさしいキスを受け入れる。舌先が絡んでは時には反発し、彼に流されていく。


「いい?」

 緊張して少し間を置いて、うなずいた。

 するっと浴衣の上半身を緩めて、彼はあわせから手を入れつつ、胸に顔を埋めた。

「着痩せするんだね」

「今まで小さいと思ってたのね」

「……思ってたよ、ごめん」


 結局、彼はわたしの胸を弄んで最後までせずに「行こう」と促した。




「次は白浜とか行ってみる? 砂浜は真っ白でキレイだし、海の色ももっと青いんだ。花を浮かべたお風呂があるホテルがあって、エステが受けられるって」

「……」

「引いた?」

「なんて言っていいかわからなくて」

 海沿いの道を走っていると、夕日に照らされた風力発電の風車がたくさん回っていた。

「言いたいように、言えばいいんだよ。言いたくない時は口を開かなきゃいい」

「そういうもの?」

「凪は生真面目だからなぁ。そんなんじゃ流されちゃうよ」


 岬の灯台から夕日がきれいに見えるところを見つけて、Uターンして灯台の駐車場に車を停めた。

 彼の方から迷いがちに手をつながれて、

「きれいだね」

と言うと彼も、

「こういう景色を凪に見せたかったんだよ」

と言った。やさしさが、身に染みる……。


「やー、なんて言ったらいいのか実際に会ってるとわからなくなる。凪がオレの手の届く範囲にいるのに、どうしたらいいのかわかんないんだよ。本当はもっとまめに会ったりしたいのに」

「それ、本当? ……忙しいから連絡も会うのも少なくなるのかと」

「がっつきたくないだけ。痩せ我慢だよ。さっきだって最後までできな……」

 子供のようなことを喋る彼の唇をふさぐ。そんなことを気にする必要は無いのに。いつもやさしさを分けてもらってるのはわたしなのに。

 両腕の手首を掴まれる。

「このキスはもらっておくけど、やっぱりオレからさせてよ」


 わたしこそわからなくなってくる。わたしが向かうべき方向が。

 このまま逃げ切れるのかもしれない。そして、今ここにいる彼のやさしさに包まれていたらしあわせになれるのかもしれない。

 ……わたしの心はもう傾いている?

 ううん……。まだ忘れてない。自分の気持ちを確かめるためにも、逃げないで会わないといけない。櫻井さんの言う通りだ。




『凪に会いたいよ。もし呼ばれたらどこでも行くから』


 小田くんに送ってもらって自室でスマホを開くと、透からの定期便が届いていた。


『本当に? 呼んだらいつでも来る?』


 パッと間を置かず既読がついて、……3分くらい経っただろうか? わたしはテーブルにスマホを置こうとした。……直電。

「凪、会ってくれるの?」

「……うん」

「10分待ってて」

「え、今すぐ?」

「いつだっていますぐ会いたい」

 いつだって、か。彼の本質は変わってないのかもしれない。今も息を切らして自転車をこいでるに違いない。うちに駆けつける彼を、何度待ったことだろう。

 ひょっとして、変わったのはわたしの方なのかもしれない。


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