第57話 待ち合わせ
わたしの彼はどんな人かと聞かれたら。
やさしくて、頼もしくて、大人びていて、誠実で、ひたむき……もっともっと、言葉が足りない。でも誰かに聞かれたらまず一番に、「年下なの」と答えてしまう。
なんでかな? わたしが、彼とつき合っていることに罪悪感を感じているのかもしれない。
今日みたいに彼の学校に遊びに行くことも、時々ならいいけど度々になったら、それは「バカげたこと」だ。彼の学校生活にわたしが割り込むのは間違っていると思う。
彼はいいと言ってくれるけど、慎重にならないといけないかもしれない……。最近のわたしは浮き足立っている。
電車の中でごとんごとんと単調な揺れを感じながら考え事をしていたら、気がついたらきちんと乗り換えも済ませて学校に着いていた。改札を抜けて、駅を出る。今日は一日雨降りだ。
持っていた薄い水色の紫陽花柄の傘を下向きに開いて、この前、透を待っていた工学部前に向かって歩く。
雨だし、何を着ようかずいぶん悩んだけど、デニムは重くなるし、ベージュの軽い素材の短めのワイドパンツと、襟のない白いブラウスを着た。ふだんは仕事の都合上、デニムだけれど、実のところはスカートがすきなんだと思う。学生時代はずっとスカートだったし。
少し早く着いてしまったので、掲示板を読むではなく眺める。休講のお知らせ以外は特に面白いことも無く、それでさえわたしには関係ない。……待ち合わせの場所、変えればよかったかな。
でもここはわたしの出た文学部の前なので、それほど抵抗なく一人でもいられるのがいいところなのだけれど。
時計を見ると時間になって、間もなく大勢の男の子たちがあふれ出てくる。目で探していると、その中の前方に透を見つける。手を振ったりはしないけれど、自然、笑顔になる。
「凪」
透はわたしを見ると駆け出しそうな早足でやって来た。
「待たせた?」
「ちょっとだけね」
「屋根のあるところで待てばよかったのに」
今、透の歩いてきた通路は屋根があるのでそこで待てばよかったのだけど、「文学部もどき」のわたしとしては男子の多い工学部内では待ちにくかった。
「傘があるから大丈夫だったよ」
「凪さんじゃないですか? 透とこれからご飯?」
「うん、そうなんだよ。だから
「なんだよ。いつもはご飯、一緒に行くくせに」
大学生になっても男の子たちの会話は変わらなくて面白いなぁと思う。高校生の男の子たちもお昼時は騒がしくって、わたしから見たら恐ろしい量のご飯を食べていたっけ。
久しぶりに、「凪ちゃん」と生徒たちがわたしを呼ぶ声が耳の中にこだまする。たくさんの賑やかな男の子たちの声、そして女の子たちの笑顔……ああ、どうしてあの子たちの信頼を手放してしまったんだろう……。
「凪、寒い?」
「ううん、全然」
忍野くんもわたしの顔を見る。
「凪さん、顔色悪い。ほら、柿崎、早くご飯連れてってやれよ」
「お前に言われることじゃないよ。じゃ、3コマな」
透は自分の傘は持った畳んだままで、わたしの傘にすっと入って柄を持ってくれる。
「大丈夫?」
こんなとき彼は、高校生のときと同じ顔になる。心配そうな、ちょっとおどおどした顔……。
「会えたから、もう大丈夫」
彼の肩にほんの少し、おでこをつける。その部分から温もりが伝わってくる気がする。
「時間ないから、ファミレスでいい?」
「あ、その方が助かるかも。3コマの間、ゆっくりお茶して待ってられるし」
透は口元で笑って、わたしがさっき通ってきた紫陽花の並ぶ駅までの道へわたしを誘った。
この大学を卒業したわたしは、このあまり目立たずに植えられた紫陽花たちがすきだった。雨の中で光るほどの存在感はないけれど、そこにじっといて、桃色や水色に薄ぼんやりと咲いている。そんな紫陽花たちを見ながら、ここを傘をさして今日と同じように歩いたことを思い出す。
……なんだかあの頃はいろんなことが忙しなくて余裕もなくて、学生時代の恋愛も、自分の気持ちに振り回されて終わってしまった気がする。今、透が楽しんでいるのと同じ時間をわたしは無駄に使ってしまったのかもしれない。
「どうしたの?」
「え、何もしないよ」
透が狭い傘の中で、顔を覗き込んでくる。
「だってずっと黙ってるからさ」
「ごめん。この辺、むかしと変わらないなぁと思って」
「凪、おかしいよ。そんなに言うほど昔じゃないだろ」
透は笑うけれど、わたしには何も考えずに毎日を消費していたあの頃が、とても昔に思えた。
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