第51話 年の差を感じないくらい
「あのさぁ」
「なぁに?」
学部裏にある、あまり知られていない小さな植物園のベンチに座っていた。
「……やっぱり、大学時代に、彼氏、いたよね?」
すぐに声が出ない。いても不思議はないわけだし、隠しだてすることではないんだから、
「いたよ」
ってすぐに言ってしまえばいいのに……。
「いたよ」
「だよなぁ。そっかー、そうだよなぁ。わかってるから聞きたくなかったんだけど、聞かずにいられなくて」
「……仕方ないじゃない、その頃、透くん、ここにいなかったもの」
「そんなことはわかってるよ。……凪が思いつかないくらい、何回もその計算はしたから」
透くんはそれだけ言うと、下を向いてしまった。
「かわいいから、もてたでしょ?」
「特にもてたわけじゃないよ。ちょっと気の合う男の子がいて……」
「いて?」
「……ある日、つき合ってほしいって言われただけ。おしまい。」
彼は不服そうな顔をして前を向いていた。まさに不機嫌だった。
「ひとりだけ?」
「え? もうやめようよ」
「いいじゃん、ここまで話したんだから」
「……プライベート」
「次もいたんだね」
わたしは大きく息を吐いた。
と、同時に今日一日、大学にいて、前つき合ってた人とどんな風に過ごしていたのか、透くんが隣にいたのにいろいろ思い出してしまっていた。
「つき合った人はふたり。最初の人は2年くらいつき合って、2人目の人は1年もつき合わなかったよ。それだけ」
彼は何も言わず、両肘を膝につけて頬杖をついていた。けれど突然こちらを向いて、わたしを抱きしめた。
「ねぇ、ここ、学校!」
「ここ、誰も通らないから関係ないよ」
「通るかもよ?」
彼の唇がわたしを黙らせようと、わたしの唇をふさぐ。こうなっては抵抗してもどうしようもないことはわかっている。
「嫉妬くらい、してもいいでしょう? その人ともここに来たんでしょう?」
「……」
わたしは自分から彼の胸にそっと飛び込んだ。
「年の差が、なければよかったね。そしたらあのとき一緒にここに来たのは……」
唇に指をつけられる。
「その話はしない約束。ボク、逆に言えばここまで凪に追いついたんだよ」
わたしはぎゅっと彼の背中に腕を回してしがみついた。
とぼとぼと、駅に向かって歩く。
黙っていても、ふたりの手が離れることはない。
駅の明かりが煌々と辺りを照らす。
「ねぇ? この前言ってたラブホは行かなくていいの?」
わたしは笑い混じりにそう言った。
「行きたい?」
「女の子はそういうとき、『行きたい』って言わないものじゃないのかなぁ?」
「そうかもね」
透くんも笑った。
「いつものとこと比べたくなったら、でいいんじゃない? ラブホはいっぱいあるし、凪もたまに大学に来てくれるって言うしさ」
わたしはくすくす笑ってしまった。
「だってあんなにうらやましそうだったじゃない? この間は」
「いいんだよ、凪、意外としつこいなぁ。今日はこんなとこまで来てくれたし、それでいいんだよ」
「そっかぁ」
と、わたしはするりと彼の腕に自分の腕をからめる。なんだかちょっと、学生気分になる。
駅のホームへの階段を上る。朝、ここを下って来てしまった時はものすごい後悔に泣きたくなったのに、今は彼と一緒に「学生のように」帰れるのがうれしい。指を絡めて電車を待つ。こんな気持ちになったのはいつのことかなぁと思う。
今、わたしたちの年の差はまったくなくて、それを知る人もいなくて、ただの恋人同士だ。
いっそ……いちゃついてると思われてみたい。
彼の腕に寄りかかる。
彼はわたしの顔を見る。
「凪、今日はなんか、甘えん坊?」
「たまにはそういう日があっても、良くない?」
「ボクはかまわないけど、……なんか、学生同士みたいで」
にこっとわたしは微笑んだ。
乗り込んだ電車はぎゅうぎゅうで、そんなときは透くんがそっと周りの人から守ってくれる。むかし、つき合ってくれた人もそうだったのかもしれないけど、今ほどどきどきしなかった。
あんなに『子供』だと思っていた透くんが、今、男の人の顔でわたしを守っている。
しかも必死ではなく、余裕を見せて、「大丈夫?」と時々、聞いてくれる。わたしは「大丈夫だよ」と答える。たったそれだけのやり取りが、ものすごく甘美に思えるのは何故なのだろう? 彼を、離したくないと強く思った。
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