第48話 欲張り

 6月になると、大学も新歓気分が抜けていよいよ本格的になってくる。土日にも特別講義があったり、実習が入って帰りがうんと遅くなったり。

 わたしは文系だったから細かいことはよくわからないけれど、そういうものらしい。現に、透くんはたまにしか現れなくなった。


『全然、会えなくてごめん。土日はどう? 今週は特に予定がないからよかったら会わない?』




 休憩時間にいつものカフェでサンドイッチを買って食べていると、スマホに連絡が入った。

 1人だったのでカウンター席に座ったら、まるで外の激しい雨が目の前で滝のように流れているような錯覚に囚われる。


「相澤さん、久しぶり」

 小田くんは「たまにはお昼を」なんて言ってたくせに忙しかったのか、久しぶりに顔を見た。

「久しぶり。仕事、忙しかったの?」

「そうなんだよ、上手い具合に車が売れてね」

 にこっと、人懐こい笑顔を見せる。


「ちょっとごめん」

と断って、スマホの返信をする。


『土曜日は仕事で、日曜日は休みです。晴れるといいね』


 適当な返事を急いでする。

「彼からじゃないの?」

「あ、スマホ? うん、そうだけど」

「悪い知らせ?」

「ううん、次の約束」

「……うれしそうじゃないよ?」

 小田くんは仕事柄か人の心を察するのが上手い。そう、わたしは久しぶりに会うことに不安を感じている。


「ずっと会ってないの?」

「そんなことないよ、週に一度は時間作ってくれるから」

「ふうん。まあ、相澤さん、社会人だもんな。オレは大学のとき、彼女も大学生だったからすきなだけ会ってたからなぁ。ほら、サークルとかも同じでさ」

「うん、わたしも大学時代は同じ大学の人とつき合ってたから……正直、今はどうしていいかよくわかんないの」


 コーヒーを持ち上げた姿勢で、彼は止まった。

「『会いたい』って、ちゃんと言ったし、彼も努力してくれてるけど、なんだか満たされない気がしちゃう。欲張りなんだよ」

 作り笑顔で笑ってしまう。だって、そうしないとなんだか寂しい女になってしまうから。


「まあ、下心があるかないかは置いといて、お昼に相澤さんがひとりで、公園やここにいるのが見えたら、お昼、一緒に食べようよ」

「いつもありがとう、誘ってくれて」


 小田くんの誘い方はストレートなようでいて、いつもやさしい。こっちが傷つかないように上手に誘ってくれる。そういうのはやさしいと思うし、わたしも助かる。助かるんだけど……それと、わたしの心の問題は別なんだよな……。




 久しぶりに電車に乗る。

 透くんと出かける時にしか乗らないので、一人だとちょっと緊張する。何度も乗っていても、乗り換えを間違えないかとか、ホームの並ぶ位置はここでいいのか、とか、小さな疑問符の連なりがわたしを緊張させる。


 でもまあ、さすがに通い慣れた所だったので迷うことは無く、きちんと着く。駅前のお店が少し変わっている。この辺りのお店はわりと入れ替わりが激しい。

 駅前の交差点を渡ると門がある。本当に緊張する。自分で何度も考えて決めたことなのに、なんでこんなことしてるんだろう、と思うくらい緊張する。


 大学には大学院もあるし、研究生から講師、様々な年代の人がいるので、わたしもまだ学生に見えるだろう。25になったから、院生くらい?

 それくらいに見えるように今日は大学時代に着ていたような服を選んだ。細いプリーツの紺の水玉のスカートに、半袖の白いブラウスとカーディガン。上手く擬態できているのか。


 1コマが終わる時間に間に合うように来て、工学部の人たちが講義が終わると出てくる大きな扉が見えるベンチに座っている。

 暇なので、「今月のおすすめ」で並べている本を広げた。


 自分のやっていることにドキドキする。

 気づかれたら、どうしよう?

 ……気づかれなかったら、どうしよう?

 もし気づかれなくても、こうして突然来たんだから仕方ないんだ、と自分に言い聞かせる。


 どうしよう、時間だ。

 後ろからは文学部の女の子の嬌声が聞こえてくる。

 透くんは前方の扉から出てくるはず……。

 どっと、男の子たちが扉からあふれ出る。みんな、思い思いのことを喋って、ふざけ合っている。工学部でも少数の女の子はいて、その子たちは固まって話していた。


「あ」


 透くん。

 知らないふりをしようと決めていたのに、思わず立ち上がってしまい、膝の上にあったスマホも、文庫も、開けっ放しだったバッグまで落としてしまった。


 誰かが気がついて、そのまた誰かに声をかける。わたしは逃げたい気持ちでいっぱいなのに、落としてしまった荷物を片づけないとこの場を離れられない。泣きたくなる。

「大丈夫ですか?」

 親切な男の子が走ってきて荷物を集めるのを手伝ってくれる。

「……ごめんなさい」

 後ろからまたひとり歩いてきて、

「大丈夫?」

 と声をかけた。

 ……。

「あんまり大丈夫じゃないみたい」



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