第49話 誰に見られても

「なに? 柿崎の知り合い? 文学部の子?」

「……そうと言えばそう」

 透くんが小さなものまで全部拾って、バッグに戻してくれる。

「凪、なくしたものない?」

「うん、大丈夫だと思う。……手伝ってくれてありがとう、えーと」

「柿崎と同じ工学部の忍野おしのです。よろしく」

 握手を求められる。透くんがその手をぴしゃりと払いのける。


「悪いな、彼女だから、握手はなし。迷惑かけたな」

 いつもは「ボク」という透くんが、「オレ」と自分を呼ぶのを初めて見た気がする……。すごく驚いて、棒立ちになってしまう。

「なんだ、柿崎の彼女なんだって」

「彼女さん、かわいいってよく言われるでしょう?」

「いえ、あの……」

 透くんが背中にそっと隠してくれる。


「凪は人見知りだからあんまりガンガン来るなよ。びっくりしてるじゃん」

「凪さんかー。やっぱり文学部はかわいい子が多いなぁ。で、向かいにいるのに出会いはない」

「悪いけど誰か2コマ、代返お願いできる?」

「嫌だけど貸しな」

 透くんはみんなに手を振って、わたしの手を引いて歩き始めた。よく見知ったはずのキャンパスが、まるで違ったところのように見える。


「来るなら来るって言えば待たせないで済んだのに」

「ごめんなさい、今日は休みだったから思いつきで……」

 嘘だ。来るか、来ないか散々迷った。

「怒ってないから、そんな顔しないで。むしろ、こんなかわいい彼女がいるんだってボクはドヤ顔」

 透くんは朗らかに笑った。


 ああ、ここで彼は自由に日々を過ごしてるんだな、と、友だちに囲まれる彼を見た時に感じた。そして今、わたしの方が長くいたこのキャンパスを悠々と歩く彼が不思議でならなかった。


「凪さ、どうしてそんな恰好なの?」

「……おかしいかな? 浮いてる? 大学のときとか、教師のときに着てたんだけど」

「おかしくないよ」

 彼を見上げると、彼はわたしの方なんかちっとも見ていなくて、それなのに繋いだ手にぎゅっと力が入った。

「文学部の子ならこんな感じかなって思ったの」

「すごくかわいい……。ほんとにさ」


 彼はため息をついた。

「言ったらいけないと思うんだけど、こういう時に、『ああ、同い年だったらな』って思っちゃって。そうしたらこんな風にかわいい凪と毎日、無理なく会えたでしょう? ……ごめん、やめようね、年の話は」

「ううん、服、褒めてくれてありがとう」

 わたしは芝に両脇をおおわれた見通しのいい舗道を、下を向いて気持ち小さくなって歩いた。だって、そう、もう少し年の差が小さければなぁ、と思わずにいられないもの。




 何となくふたり、言葉少なげになってしまって、駅前の大手チェーンのカフェに入った。

「ここで良かった?」

「うん、どこでも」

 コーヒーを飲みながら、隣合うカウンター席で手を繋いで座る。ようやくほっとする。

 窓の外は学生が、学校の中に出たり入ったり忙しなく歩いていた。


「さっきはごめん」

 彼が突然、頭を下げる。

「え? 透くんは何もしてないよ?」

「したよ。凪がバッグ落とした時、一番に気がつかなかった」

「それは仕方ないじゃない。透くんより近い子がいたんだもの」

「……それでも。それでも凪が困った時に助けられなかったら、意味ないからさ」

「バッグ落としたわたしが悪いから……」

 最後の方はごにょごにょと尻つぼみになる。


「凪、かわいい格好しすぎなんだもん。気がつかないよな。LINEしてくれたらよかったのにさ」

「ほんとだね」

 きっと、事前に約束なんてしなかったと思う。こっそり、ひとりで来たことに意味があるから。遠目から、大学生の透くんを見たかったから。


「今日は実習ないんだよ。だから午後はまるまる空いてて。向こうに帰ったら連絡しようと思ってたんだけど、ご飯食べたら一緒に帰る? それともせっかくだからどこか寄る?」

「うーん、確かに最近、あまり出かけないからどこかに寄りたい気もする、けど、時間を無駄にしたくないな……」

「凪……」

 ふと呼ばれた方に目を向けると、そっと手が伸びて頬に触れられそうになる。でも、今日は手前で止まる。


「ここでキスとかまずいから。ガマンする。できるところまで」

「そうだね。誰に見られるかわからないものね」

 わたしは彼の年相応の態度に笑ってしまった。地元では、「誰に見られても」よくても、やっぱり、学校の友だちに見られたくないのはなんとなくわかる気がした。

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