第46話 見えない年の差

 土曜日、昔のようにお昼に透くんがお店に現れた。櫻井さんが、教えてくれる。棚から覗くと、透くんがこっちを見て手を振っていた。

「凪ちゃん、もう大丈夫だからお昼、行っておいで」

 ありがとうございます、もそこそこに、エプロンを外しながらロッカーに向かう。……以前のわたしにはこんなことは当たり前で日常的なことだったんだと思うと、過去のわたしに嫉妬しそうになる。


「凪、どこで食べる?」

「えーと、ファミレス? 近いからゆっくりできるし」

 ゆっくり考える間も惜しい。早く彼とふたりになりたい。向き合って、彼のやさしい声と、笑顔を見ていたい。

 透くんはわたしの手を繋いで、交差点の向かい側にあるファミレスに向かった。土曜日だからわりあい混んでいたけれど、運良く窓際の席が取れた。


「手、出して」

「何?」

「いいから」

 不思議に思いながら、テーブルの上に右手を出す。透くんはわたしの手の上に、そっと自分の手を置いた。何故か微笑んでいる。

「どうしたの?」

「うん、こうやって凪に告白したんだなって思い出して」


 ああ、そう言えばそんなことも……。

 彼はあのとき、「こんな風にたまに会ってくれませんか」と言った。

 あの頃のわたしはかたくなで、周りのことは何も見えてなくて、ただ毎日を生きているだけのようなところがあった。

 彼と知り合ってからは周りの色彩がどんどん、まるで白い冬から鮮やかな春へと変わるように色づいていった。


「……透くんはどうしてわたしなんかに告白したの?」

「言ったじゃん。バドの試合見に行って……」

「それって、遠目に見ただけじゃない? 遠目で見た人なんて、中身はわからないのに」

 透くんはドリンクのほとんど残っていないグラスのストローをカチャカチャとかき混ぜた。


「んー、そんなこと今はどうでもいいよって言いたいとこだけど。何だろう? 凪が一生懸命笑顔で応援してて、そこが魅力的だったけど、その一生懸命さの向こうに何かが見えたからかな? ……今なら、それがなんだったのかが少しはわかるつもりだけど」


「そう、試合見に行った時は痛いくらいにひたむきな人だと思った。再会してからは、……とっても純粋な人だと思ってるよ、って、口に出すと恥ずかしいからさ、この辺でお終い!」

 そっか、痛々しかったのか……。テーブルの下の両の手のひらをぼんやり見た。まあ、事実、大切だった仕事を手放すくらい、いっぱいいっぱいだったんだからそう思われても仕方ない。


「なんか、気に障ること言っちゃった?」

 彼が不安げにわたしを見た。わたしは手のひらから視線を移して彼を見た。

「なんにも。すきになってくれてうれしい」

「なんだよ、取ってつけたみたいな。言葉にするの、国語苦手だから大変なんだよ」

「それでも一生懸命、言葉にしてくれてうれしい」


 食後に、まだ少し時間があったので以前のように公園の小さな池の周りをぐるっと歩く。

 池の縁にある柳の木の影で、こっそりキスをする。それは濃厚なキスではないけれど、彼の体温に触れて、彼はそっとわたしに忍び込む……。


「仕事終わるまで、図書館でレポートの続きやってるよ。図書館がしまったらまたコーヒー飲んでるから」

「うん! 仕事、がんばってくる」




「凪ちゃん、充電できた?」

「櫻井さん、からかわないでくださいよ」

 エプロンをかけながら、お店に出る。棚の整理や在庫管理など、ちょこちょこと仕事を続ける。すきな作家の新刊を、少しだけドキドキしながら平積みにしていく。売れるといいな、と思う。


 楽しみにしている時間は、なかなか時計の針が進まない。先に進みたいのにここから出られない。 ……こんな気持ちで仕事をするのは久しぶりで、気持ちがふわふわしてしまう。レジを打ってお客様に商品を渡す時に、いつも以上に笑顔をなってしまう。


「最近、凪ちゃん、笑顔がパッとしなかったけど、今日は見事な笑顔だね。イキイキしてるよね。透くんが来ると違うなぁ」

「櫻井さん、あんまりからかわないでくださいよ」

「いやいや、本当のことだからさ」

 それだけ言うと、櫻井さんは入荷した本の品出しに倉庫に行ってしまった。




「凪、お疲れ様」

「ごめんね、すごく待っちゃった?」

「いや、レポート書いてるからちょうどよかった」

 彼のリュックにノートパソコンがしまわれていく。この間まではノートかルーズリーフが主流だったのに、と思うと、自分の学生時代が思い出されて、本当に彼とわたしの目に見えない年の差が縮まっているように感じた。


 ゆったりと腰を掛けてコーヒーを飲む彼に、いつもよりドキッとした。




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