第45話 甘えていいよ
「お待たせ。すごく待たせてごめん!」
「ううん、仕事のあとだからそんなに待たなかった……」
昨日会ったばかりだからなのか、真正面から直視されるのが恥ずかしい。
「昨日は気がつかなかったけど、凪、髪切った?」
「似合わないかな? 毛先の傷んだところを切って、少しすいてもらったんだけど」
「……なんかそれだけで新鮮だね」
このまま時が止まってしまってもかまわないなぁと思うくらい、うっとりとした時間がわたしたちを取り巻く。なかなか会えなくて、会いたくて、会う。それを楽しむ余裕はないけれど、とにかく会えたことがうれしい。
以前と同じようにふたりでカフェの角のソファに座ってそっとお茶をする。カップを持ち上げる時にちらり、と彼を覗き見すると、彼はふっと優しい顔で笑った。
昨日までの焦燥感はなんだったのか、本当に自分の馬鹿さ加減がイヤになる。
「あれ? ……凪、着替えてきたの?」
「ん……仕事で汗かいたし、時間もあったから」
透くんはわたしの服装を上から下までまじまじと見た。誰かに、特定の男の人に会うために、わざわざ着替えてくるなんて恥ずかしくて顔が火照る。
「……スカートなんだね」
「うん、仕事の時、履かないからたまにはと思って」
段々、自分のしてきたことに後悔し始める。彼はわたしを頬杖をついて黙って見つめている。
「……」
「ボクのこと、すき?」
「え、そんなこと聞く?」
「うん、ボクは凪がすきだよ」
改まって聞かれると、気恥ずかしくて言葉が出てこない。
「透くんのことがすきだよ。会ってないとさみしいの」
思い切って馬鹿なことを口にしてみる。そう、本当に馬鹿なことだ。
「よかった。同じ気持ちでいられて」
彼は目を伏せて、ボソッとそう言った。まだ、高校生だった頃の背伸びした透くんが垣間見えた気がして、わたしも妙に安心する。そう、わたしの知っている透くんは、まだここにいるんだ。
「まじまじと見ないでよ」
「会えてよかったな、と思って」
駅裏まで線路を越えて、手を繋いで歩いていく。彼の手は、繋ぐと言ってもふわり、とやさしい。これから行くところがどんなところかは関係なく、野原に遠足に行くような気持ちで電灯の暗い通りをくすくす笑いながら歩いた。
何も怖くなかった。
透くんから聞く大学の話はただ面白くて、わたしが不安になるような事は何も無かった。
ドアを閉めて靴を脱ぐ。スリッパも出さずに彼は、わたしの前髪を後ろにかきあげてキスをする。わたしは目を閉じてそれを受け入れると、彼は耳元、首筋、胸元にもキスをくれる。
彼の動きが不意に止まって、うっすらと目を開けると、
「凪」
彼はひとこと風のように囁いた。
「すきだよ」
答える間もなく唇に唇が寄って、体の中が痺れるような錯覚を覚える。わたしは彼の腕に思わずすがった。
「もっと……」
「もっと……?」
「会いたいって思ってもいい?」
「バカだなぁ」
背中が軋みそうになるほど、強く抱きしめられる。
「ねぇ? ボクが凪をすきで追いかけてるんだよ、忘れたの?」
「そんなの……忘れちゃった。わたしばかり待ちぼうけな気分になるの」
彼はわたしをベッドまで後ずさりさせて、そのままゆっくり倒した。ベッドがどさっと鳴る。
「会えない時間があって良かったかも」
「なんでそんなこと言うの?」
「……凪、今日、すごくかわいいからさ」
余計なことを言わないように唇を塞がれて、慣れ親しんだ舌先がわたしの舌先を探し当てる。
スカートにそっと手が入ってくる。あまりにも遠慮がちだったので、わたしの体も熱を帯びてくる。
「……んっ」
塞がれていても声が漏れて、どんどん世界が遠ざかっていく……。
「ごめん、ダメみたい。ストッキング、脱がせられない」
思わぬことに、笑いがこぼれる。
わたしはベッドの縁に座って、するりとストッキングを脱ぐ。
「……憧れてたんだけどな。難しい」
「次は履かないから」
「それもイヤだなぁ」
彼の手はわたしのお尻のラインをやわらかくなぞって、反対の手でブラウスのウエストから手を滑らせて下着の中の胸に触れる。
「昨日はまだ足りなかったから」
わたしの丸い胸は彼のものになってしまった……。
「ボクがいやらしくて怒ってない?」
「え? ……わたしが、思ってたよりいやらしくて嫌いにならない?」
顔と顔を見合わせる。そして、くちばしでつつくような軽いキスをする。きっと暗闇の中で誰も見てないはず。
「もっと凪がいやらしくなってもボクはかまわないよ」
「……それはない」
「わかんないじゃん。ボクが凪をそう変えるかもしれないよ?」
そんなことないわよ、と思いつつ、また手を繋いで自転車置き場に行った。
彼に触れた感触が、まだ体のすべてに残っていてやっぱり離れたくなくなる。まだ一緒にいたい気持ちでいっぱいになる。
「明日、休み?」
横に首を振る。
「じゃあ、凪の仕事が終わる頃、またあのカフェでレポートやってるよ。……受験生のころみたいだな」
自転車のハンドルを握る彼の袖をつい、と引っ張る。彼はわたしの方を見て、瞳をのぞき込んで、
「もっと甘えて」
と言って、わたしを抱き寄せた。
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