第44話 会いたいから、待ってる
『明日は何時くらいの電車で帰ってくるのかな? 授業で遅くなるって言ってたけど、5限が終わるくらいまでなら、わたし、待っててもいいかな? 』
ずっと透くんがわたしを追いかけていた、その時期は過ぎて、今はわたしが彼を求めている。スマホを片手に、ひとつ息を吐く。
今日はバイトだと言っていたから、帰るのは9時過ぎになるんだろうな……。
なかなか返事が来ない。
『下にいるよ』
信じられない思いで自室の窓のカーテンを引く。暗闇の中に、ほのかに電灯に照らされた透くんが手を振る姿が見えた。階段を下りる足がもつれそうになる。
「……」
なんだかめちゃくちゃに走ったせいで、息が切れる。呼吸が荒くなって、言葉にならない。
彼に伸ばした手を、彼がぐいと引っ張ってわたしは腕の中に隠されてしまう。
「凪、会いたいと思ってくれた? ボクはずっと我慢してた」
「我慢なんて、しないでくれたらいいのに。今まで毎日会ってたのに、会わなくなったらわたし、どうしたらいいのか……」
ぎゅうっと、押しつぶされそうになる。
彼の懐かしい匂いを感じて、されるがままになっている。解かれたと思うと、今度は顔をじっと見られる。
「泣いてるの?」
「ううん……まだ泣いてない」
「ひとりぼっちにしてごめん。まだ、大学のシステムに合わなくって」
彼はわたしの両頬を挟むようにして、キスをした。
玄関の門柱のところにふたりでしゃがんで話をした。わたしは特に変わったことは無かったけれど、透くんには変わったことだらけで毎日が慌ただしいと言っていた。
その気持ちはよくわかった。わたしが進学した時も、毎日がバタバタだったから。
「でも、それでも、もう少し会いたいって言ったら……ワガママだよね? ダメならダメで……」
彼の手がわたし髪をかきあげて、耳の裏側にそっとキスをする。
「会いたいときは、会いたいって言って。それで会えるかはわかんないけど、そう言われたらすごくうれしいから」
「……重くない?」
「軽いよ? 持ち上げてみようか?」
「もう!」
ご近所に聞こえない程度のボリュームで、ふたりでくすくす笑った。狭いところに座っているせいか、ちょっと笑うだけでも肩が触れ合ってそこだけが熱を帯びる。
「大学にもさ、面白いやつがいっぱいいるんだけど……凪ほど話が弾むやつはまだ、みつからない」
彼はそう言うと、わたしの首筋に顔を埋めた。わたしはそぉっと、彼の背中に手を回した。そして、その頭をやさしく撫でた。
「あー、胸に埋もれればよかったかも」
「……大人しくしてなさい」
「年上の彼女っていいものだよね。みんな、年上の人とつき合ったらいいのに」
ふっ、とわたしは笑った。こんなことで彼を癒せるなら、いくらでもしてあげるのに。
「少しだけ、ごめん。凪を覚えて帰る」
ごそごそとカットソーの下から不器用な腕が伸びてきて、下着のホックを外される。下着の束縛を解かれ、今度は彼の手が、わたしの輪郭をなぞる。
「あ……」
胸に手が回って、彼の気が済むまで、幾度もその指先が行ったり来たりして、わたしの心を揺さぶる。
「ダメ……」
「どうして?」
鎖骨から首筋にキスを続けていた彼を、手で押しとどめる。
「……したくなっちゃう」
わたしは服の裾を正して赤くなった。彼は一瞬はっとしたけれど、ちょっと意地悪な目をして、
「……する?」
と聞いた。
「ダメだよ。透くんが帰るの、遅くなっちゃうもん」
「もう十分に遅いよ」
「……明日も学校だよ」
「ちぇっ」
いたずらっ子のように笑った。
「明日は帰さないから」
わたしは困った顔をして見せた。
「だってさ、大学の駅前にラブホあるんだよ?
誰々が入っていくの見たとか目撃発言続出 」
「だから?」
「……うらやましいとも思うけど……それより、いろいろ思い出して困る」
「やらしーなー! 出し惜しみしてる気はしないんだけど」
「うーん」
さりげなく下着のホックを止めて、服を直す。
「さっきまで、凪も弱い女の子なんだなーって思ったのに、もう大人の顔して狡い」
「こんなところでいつまでも、下着のホック外したままでいられないでしょう?」
わたしが苦笑すると、彼も「そうだね」と笑った。
「じゃあ、帰るよ」
「うん」
繋いだ手と手を離しがたくて、少しの間、見つめ合う。その指がそっと離れて残り1本になる。
「明日……学校終わったら連絡するよ」
「うん、いつものとこで、たぶん待ってる」
1本残った指が、ついと離れて瞬間、ふたりとも迷った目をしたけれど、
「明日ね」
と彼は帰って行った。自転車の滑るような音が真っ暗な夜空に吸い込まれていくように消えていった。
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