第42話 自然体
ゴールデンウィークには透くんと思いっきり遊んだ、と言いたいところだけど、実際はそうは行かなかった。
わたしにはいつも通り仕事があったし、彼には彼のつき合いがあった。時間の合う時は積極的に会った。
「どう、もう入学して1ヶ月になるじゃない?
慣れた?」
「んー、教室や自分の席がないのは最初は驚いたんだけど、慣れたかな?」
明日は学科で一緒の友だち数人と出かけるらしい。わたしの学生時代もそうだったな、と思う。
「『東京知らなーい 』って地方の子が言ってさ、じゃあみんなで観光すればいいじゃん、て話になったんだ」
「そうなんだぁ、地方出身の子から見ると、いろいろ違うってわたしも聞いたなぁ」
ゆっくりとカフェラテをすする。
向こう側の公園を、声を上げて走る子供たちがいる。柳の若い枝が、ゆら、と揺れたような気がした。
「友だちができて、よかったね」
「……凪がいちばんだよ?」
「うん。いつも、優先してくれてありがとう」
「去年の予備校の日と同じ、火、木がバイトで、水曜日は実習で遅くなる。でも、土日は空いてるし、金曜は授業で遅くなるけど、月曜なら凪が終わるくらいに帰れるよ」
わたしは少し微笑んだ。
結局、わたしの生活の中心はすっかり「透くん」になっていたのだと思う。櫻井さんの言う通り、今までが普通ではなくて、今が普通。わたしが大学生に戻れるなら話は別だけど、そんなことはない。
「透くんが『会いたい 』って気持ちでいっぱいになったら、会ってね」
カップを手に持って赤くなる。恥ずかしいセリフも、彼には言ってしまう。伝わらないのは損だし。
「凪、そんなこと言ったら、ボク、大学行かなくなるよ? あーあ、同じ書店でバイトしょうかなー。櫻井さん、雇ってくれるかな」
「や、なんか、それはダメ」
「冗談だよ。お互いの仕事ぶり見るなんて、ナンセンスだよな」
透くんが笑顔でそう言った。最近の彼は受験の重圧から解放されて、すっかり自然体だ。たまに、彼にはこんなとこがあったのか、と驚くことがあるくらい……。
動物園のエントランスをくぐって、ちょっと長い階段を上ると満開の八重桜がわたしたちを見下ろした。
「……」
わたしはその素晴らしさに言葉を失って、しばらく立ち止まってしまった。
「動物園にまだ桜が咲いてるよって友だちが教えてくれて。ほら、桜祭りにはなんだかんだ行けなかったからさ。と言っても、今咲いてるのはここだけなんだって。」
「うん、八重桜のほうが咲くの遅いのよね。いにしえの ならのみやこのやえざくら」
「きょうここのえに……あれ? 覚えてない」
百人一首の歌を詠んで、ふたりで声に出して笑う。
「まぁ、八重桜の歌だよね」
「そうそう。立派な枝を献上したのよね」
「国語は凪に適わないよ」
わたしはまた笑った。
それでも彼はこれからどんどん勉強して、わたしの知らない物理の法則や数学の定理を吸収していくのだろう。
そんなことにこだわっていたら、ふたりとも成長できなくなってしまう。
花びらが風に舞って、手でそれを掴む。
「凪、象!」
袖を引っ張られて移動すると、大きな象が2頭いた。どちらも楽しそうに鼻を揺らして散歩している。微笑ましい。
「ね、隣にはキリンがいるよ。すげー近いの」
またまた引っ張られると、今度は餌である木の枝がこちら側に取り付けられていて、普段は見ることのないキリンの顔が間近に見えた。
黒くて長いまつ毛と、その影に縁取られた潤んだ瞳……。キリンというのはとても人間的な表情をするんだなぁと感心する。
「凪ー、次はね……」
「はいはい」
男の子ってみんなこんな風なのかな、と苦笑する。わたしの知ってるのは高校生までの男の子で、卒業して大学生になってもこんなにテンションが高かったかしら、と不思議に思う。
でも、わたしたちが出会った時がふたりとも精神的に張り詰めていた時期だったのだから、これが本当の彼なのかもしれない。
本当のわたしは……どこかに置いてきてしまったのだろう。
「ん? どうしたの?」
「ああ、なんでもないの。フラミンゴ、きれいだね」
「片足立ちだよね」
「ふふ、そう思うと済ました顔してるけど、ちょっと決まってない感じもするね」
ふたりで柵の前で話をしていると、どこかのカップルに写真を撮って欲しいと頼まれる。透くんは快く了解して、さらにお返しに自分たちも撮って欲しいとお願いしてきた。
「はい、チーズ」
朱鷺色の羽を持つフラミンゴの前で、スマホで撮ってもらった写真を見た。わたしの肩に手を回す彼。わたしは照れてしまって少しうつむきがちだった。
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