第39話 「愛してる」ってこんな気持ち?

 春休みの間、大学は私服通学になるからと休みの日にショッピングに連れ出された。何しろ透くん自身は毎日、暇なのだから仕方ない。


「とにかく枚数確保」

 まったくと言っていいほど、男の子の服はわからないので大人しく脇で見ている。

 ……いつも、オシャレにしてると思うのになぁ。

 わたしは前回の失敗から考えて、白のボタンダウンシャツとチノパンツの八分丈、ゆったりしたカーディガンを羽織った。


「ちょっと疲れた! お茶しよう」

 入ったことのないお店に入るのは緊張する。

 案内された席は、ゆったりしたソファー席で面積がわたしたちふたりには勿体ないくらいだった。

「すごい席だね」

「ふかふかだよ」

 ふたりで席の感想を言い合って、笑う。


「何にしようか」

「ボク、ブレンド」

「うーん、わたしはカフェオレかな?」

 透くんがオーダーをしてくれる。ふぅ、と小さくため息が出る。


「疲れちゃった?」

「ふだん歩かないからかなぁ」

「立ち仕事でしょ」

 苦笑い。言わないわけにはいかないかもしれない。

「人で……人で溢れかえってるとこがちょっと苦手かな」


「早く言いなよ、そういうことは。地元で買ってもよかったし、もっと小さいショッピングモールに行ってもよかったのに」

 怒らせてしまって、気持ちがしゅんとなる。普通の「カレカノ」のように、ただの買い物も楽しんでみたかっただけなのに。


「……前、クリスマスのときは大丈夫だったから、大丈夫なのかと思うじゃん」

「最近は大丈夫だったの。ここのところ、仕事も忙しかったから」

 書店では参考書コーナーを一新して、翌年度の参考書が並ぶ。それから、うちの書店の隣接していた同系列の文具店が吸収されて一緒になった。


「忙しそうだったよね。ちょっと、誘いにくかった」

「ごめんね、誘われてうれしかったからつい来ちゃったの」

「ダメなときは言って。ボクは凪のことを全部、知りたいから」


 全部を知っちゃったら、きっと嫌われてしまう。わたしは、彼が大学生になることが不安だった。

 今まで当たり前のように毎日会っていたのに、きっと会えない日も増えて……たぶん会える日の方が少なくなる。


「凪?」

「はい」

「えーと。これから大学に行くとどうなるのか、ボクには全然わからないんだけども。もし、会える時間が減っても、凪のことがいちばんだよ」

 どうして考えていたことがそのまま伝わってしまうんだろう? そして、なんてつまらないことでわたしはこだわっていたんだろうと思う。……子供みたいに。


「やだなぁ、そんなこと言ったら図に乗っちゃうから」




 帰りの電車で透くんも疲れて何も言わない。

 そう言えば、ふたりで電車に乗るのも恥ずかしかったっけ。


「あのさ」

「うん?」

「遅くなっても平気?」

「遅くなるかもって言ってきたから、大丈夫」


 ……また沈黙。電車の走る音だけが、軋むようになり続ける。


 駅について人波に押されて改札を出ると、透くんに手を引かれる。自転車は、置き去りのままだ。

 そのままこの間のホテルの前まで来て、「今日、ダメな日?」と聞かれる。首を横に振るけど、それならいいのかと言われると、心の準備ができてない気もする。




 部屋に入ると、彼がそっとわたしの手を引いて抱きしめる。

「凪……いやだった?」

「嫌ではないと思う」

「『したい 』っていうわけじゃなくて、『大事 』なんだって言いたくて。そういうの、あり?」

「うん、ありかも……」


「今日さ、凪が萌え袖で一日中、すごいかわいかった。年なんて関係なくかわいくて」

「かわいいなんて年じゃないもの」

 シャワーを浴びるために服を脱ぐ。

 順番にシャワーを浴びる。


 キスをする。

 それはやさしいキスで、お互いを強く求めてるとか、強く繋がりたいとかではなく、ただ愛しいという気持ちを表すようなキスだった。額と額がくっつくような距離で、抱き合う。


 透くんのつむじが見える位置に、頭を抱える。くすぐったくて、笑ってしまいそうになる。

「笑うなよ。……下手かな?」

「下手とか、そういうの考えないで」

「どこを触ってもやわらかいなんて、やらしい」

 この前と違って、おしゃべりしながらふたりの時間を楽しんだ。リラックスした空気がわたしたちの間に漂った。


「ダメだったら、言って」

「うん、ゆっくり来てね……」


 彼はそっとわたしに近づいてきて、間違うことなく、真っ直ぐにたどり着いた。わたしはそれをそっと待っていた。

「『愛してる』って、こんな気持ち?」

「わからないけど……わたし、透くんを『愛してる』」

「じゃあ今はボクのことだけ考えて」






 彼がやさしくわたしの髪を撫でる。伸ばしていた髪が、肩下まで伸びた。……とうとう、そういう関係になってしまった。嫌だったわけではないけれど、何かがちょっとさみしい気もする。何かが失われたように思うのはどうしてだろう?


「気持ちよかった?」

「……そういうの聞くのなんか狡い」

「そうかな、ボクは初めてっていうのを除いても、気持ちよかったよ。やっとボクの知らない凪を知れたから。大学に行く前に、凪にボクを知って欲しかった」


 彼の声のトーンが耳に心地よくて、ずっと寄り添っていたい気持ちになる。そっと彼に手を回すと、貪欲なわたしがやって来る。




 傘を持ってないのに、雨の気配がする。

 朝は、まだ来ない。

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