第38話 甘えてもいい?

 とうとう透くんも明日、高校を卒業する。その日をずっと待っていたような気もするし、卒業したら、どんなに約束していても離れてしまうんじゃないかと心が揺れる。


 小田くんからのLINEは通知をオフにして、気がついたときに断りの返信をした。それでも彼はこまめに誘ってきたし、わたしはこまめに断り続けた。




 卒業式の前日は予行練習になっているので、彼は今日は学校だ。帰りに寄ると言っていたので、そのうち現れるだろう。

 長い自由登校の間、会えなかった友だちもいるだろうし、帰りはいつもより遅くなるのかもしれない。


 お昼休みを終えてお店に戻る。と、なんだか騒がしい。棚の向こうで学生が話している。

「あー、信じらんない! なんでお前だけ」

 ひょい、と顔を出すと透くんが友だちといた。どうしていいのかわからずに、小さく「初めまして」と言った。


「バドミントンの試合に来てくれてたんですよね?」

「あ、はい。応援に」

「オレ、こんなキレイな人見逃してた。つーか、コートにいたからなぁ」

 わたしは照れくさかったけれど、それより彼の言葉が面白くてくすくす笑ってしまった。


「コートからじゃ、応援席はほとんど見ないでしょう? 集中してて」

「ですよ。なのに、こいつだけズルい! いやいや応援に来てたのに」

 どきり、とする。

 あの日、わたしも透くんも半ばいやいや観戦に行った。それがきっかけでわたしたちは知り合ったんだ……。


「お陰で透くんと知り合うきっかけになったから、お礼を言わないと」

「ああ、なんかリア充感漂ってる」

「いい加減にしろよ、山口。凪、仕事中だから」

 わたしは苦笑した。確かにあまり騒いでいると、櫻井さんに怒られてしまう。


「ごめんね。透くん……」

「凪が終わるくらいに来るよ」

 自然に口元がほころぶ。あまり会ったらいけないような中で会っていたので、自由に会えることが素直にうれしい。




「凪、ごめん。山口、まけなかった」

「凪さんて言うんですよね? 山口です、よろしくお願いします」


 わたしたちは3人で下のカフェに入った。

「凪、何がいい?」

「カフェラテで」

 透くんが席を立つと、「おい、待てよ」と言いながら山口くんも飲み物を買いに行ってしまった。


 わたしは教師ではなくなったけど、やはり今でも高校生はかわいい。……山口くんは明日、卒業するのだから「高校生」の括りに入れるのは失礼かもしれないけど。


「オレも凪さんみたいな彼女、欲しいなぁ。有り得ないでしょう、受験生の間に彼女作るとか」

 わたしはカップを抱えて曖昧に笑った。


「思い出した。N高の山口くん、決勝まで勝ち残ったのよね、シングル」

「あー、覚えててくれたんですね? なんか照れる……。オレも思い出した! 凪さん、もしかしてK高の引率の先生?」

 誤魔化すこともできたと思う。透くんもこっちを見た。


「うん、そう。K高の教師だったんだけど、あの年で辞めたの……」

「そっか。K高のバド部に友だちいるんだけど、若くてかわいい先生が辞めちゃったんだって聞きましたよ。凪さんのことだったんだー。うん、若くてかわいい」


 どんな顔をしていいのかわからず、とりあえず笑おうと思うんだけど笑顔になっていたか自信がない。


山口くんから見えないところでそっと、透くんがわたしの手を繋いでくれる。その手は「大丈夫だよ」と言ってくれていたけれど、私の心の中の大きな波をすべてしずめるには至らなかった。


「残念がっていましたよ」

 山口くんはにこにこ人の良い笑顔を見せた。




「透くん、送ってくれる?」

 山口くんが先に帰ってから、わたしたちは何も言わずコーヒーを飲んだ。

「うん、そのつもりだよ」

 自転車をふたりで引いて、わたしの家に行く。

「上がっていってくれる? ……甘えてもいい?」

 彼が驚く顔は夕闇でよく見えなかった。けれど、彼は何も言わずうなずいてくれた。




 パタン、と後ろ手にドアを閉める。今日はわたしが彼を閉じ込めた。

 くつろいだ姿勢で彼が座った瞬間、彼の胸に飛び込む。そっと、やさしく背中を撫でられる。何も言わなくても伝わるものがあるようだった。


「ごめん、怖かったんじゃない?」

「平気、今は」

と小さく答える。

「上手に守ってあげられなくてごめん」

「大丈夫だよ、抱きしめてくれれば」

「凪……」


 耳をそっと噛まれる。体のどこかの鍵がひとつ外れる。彼はそのことに気がついて、わたしに特別なキスをする。鍵の外れた体で受け入れる。

わたしのどこに鍵があるのか彼はよく知っていて、ひとつひとつ丁寧に外していく。


 溺れてしまいそう……。

 我慢していても彼の背中に爪を立ててしまう。

「透くん……ごめん、お母さんが帰ってくると思う……」


「感じた?」

 ひとつ、うなずく。

「おいで」

 衣服をお互い調えて、また腕の中にまあるく納まる。さっきまでの肌の熱さがまだ残っていて、わたしを安心させる。


「初めて、凪との年の差を超えた気がした。守るよ、ずっと」

 彼の声が子守歌のように耳にやさしく響く。その声はわたしを安心させるのに十分だった。



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