第40話 間違い探し

 ふたりの間にそういうことがあって、何か変わってしまうんじゃないかと怖い気がずっとしていた。


 夜の駅前をふたりで歩く。

 電灯に照らされたふたりの長い影が、人もまばらな舗道に落ちる。わたしは、透くんのシャツの腰の辺りをつまんで歩いた。


「遅くなっちゃったね。凪、怒られる?」

「わたしは言ってきたから。透くんは?」

「うーん、うちも基本、放任だからどうかな?」


 遅くなったね、と言いながら何となく離れ難いのはやっぱりさっきまで素肌を重ねていたからだろうか? 彼に寄り添うと、そっと大きな手のひらで彼はわたしの肩を抱いた。温もりが服越しに伝わってくる……。


 こんなつもりじゃなかったのに……。

 確かに彼をすきだと思ったけれど、だからと言ってこんな風な関係になるはずじゃなかったのに。

 バカみたいだけど、すき過ぎて胸が痛い。ちょっと離れることがすごく怖い。

 でもそれは、彼に抱かれたばかりだからかもしれない……。


「送るよ」

「もっと遅くなっちゃうよ」

「女の子を夜道でひとり、帰すわけにいかないでしょう? それに……まだ一緒にいたいんだ」

 下を向いて考えてしまう。

「じゃあ、送ってもらう。でも遅いから、そのまますぐに帰って?」


 透くんは自転車のハンドルを握りながら、少し傷ついた顔をした。

「子供じゃないから。送ったらもちろんすぐに帰るし。……凪を抱いたからって、全部ボクのものになったわけじゃないことくらい、わかってるから、牽制しないで」

「全部、透くんのものだよ……」

 透くんの背中に手を回す。わたしより背の高い彼の影にすっぽり隠れてしまう。


「凪、ずっと一緒にいて」

「……」

 ずっと一緒にいてほしいのはわたしのほうで。彼はこれからわたしの手の届かないところに行こうとしている。

「もちろん、いるから」

 半分は本気だけど、半分は不安だった。こういうことが、『年の差』なんだと意識する。


 やっぱり、その差が縮んだように思えても、時間は止めようがないんだ。




 透くんが大学に通うようになって、早いもので2週間。友だちもできたらしく、帰りが早い日には寄ってわたしの顔を見ていく。

『明日は半日なんだけど会えるかな?』


『ごめん、今日は仕事だから終わらないと無理かも。透くんはお昼までに帰れないでしょう?』


『電車の時間があるからお昼は難しいね。夕方、店の前に迎えに行くよ』


 すべてがこんなノリで、それまで毎日のように会っていたのが嘘みたいだ。思っていた通り、少しずつ離れて、そのうちかわいい彼女ができたりするのかもしれない。

 それが、「年相応」ということだから。


「凪ちゃん。最近、ぼくとランチばかりでつまらないとは思うけどそんな顔しないで」

 櫻井さんに言われてハッとする。気がつけば透くんのことばかり考えている。透くんの学校生活を想像してしまう。

「ごめんなさい……」


「辛いのはわかるけど、考えてみれば今まで毎日のように会っていたのが珍しいことなんだよ」

「はい。わかってはいるんだけど……」

「透くんが高校生じゃなくなって、いちばんうれしいのは凪ちゃんじゃないの? 透くんは喜んでると思うよ。社会的には年の差が縮まったんだから」


 そうなのかしら、と思う。

 どんなにがんばっても、大学生の女の子には勝てない。




「凪、やっと会えた!」

「あ、まだ仕事中」

 久しぶりにゆっくりその人懐こい笑顔を見た。

「ごめん、うれしくて。下で待ってるよ」

 彼はあの見慣れたリュックではない、真新しいリュックを背負っていた。


「お待たせ」

「そんなに待ってないよ」

 彼はテーブルの上にスマホを置いた。……前はスマホをテーブルに出したりしなかったのにな、と小さいことが気になる。これじゃまるで間違い探しみたいだ。


「履修科目、決まった?」

「うん、もう提出した。……そっか、ちょっと前は凪も大学に通ってたのか」

「もう何年か前の出来事になったけどね」

 カフェラテを口にして、少しさみしい気分を濁そうとする。


「工学部、目の前が文学部でしょう?」

「うん、そう」

 わたしもそこに通ってたの、と言おうとして言葉が詰まる。久しぶりに時間を取って会えたのに、会話がスムーズに進まないのがもどかしい。


「凪」

「ん?」

「どうして難しい顔してるの?」

 カップを置いて、頬杖をつく。

「……探しちゃうの。今の透くんと、前の透くんの違い」

 彼は一瞬、目を大きく見開いたけれど、そこからため息をついた。

「なんだよ、それ。何も変わってないよ。考えすぎ」

「そうだよね」


 わたしが本当に言いたかったのは、そんな嫌味なことではなくて……。

 頬杖をやめてテーブルの上に手を置く。自分の手の頼りなさに泣きたくなる。

「ごめん、なんか今日はダメみたい」

 飲みかけのコーヒーを持って席を立つ。

「何がダメなの?」

「……もっと一緒にいてほしいって思っちゃうから」

 ゆっくり腕を引かれて、元いた場所に座らされる。


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