第35話 初めて
学校から帰ってきた透くんは店の前に来て、いつものように「下で待ってる」と合図をしていった。わたしはそれに笑顔で応えた。
いつも通り、重い本を軍手をして運び、陳列していく。注文の本が入ったお客様に電話で入荷を伝える。レジを打つ……。
「凪ちゃんもすっかり一人前だな」
「ありがとうございます」
ぺこっと頭を下げる。
「透くんとつき合うようになってから、また一段と笑顔も増えたしね。いい恋はいい笑顔を作るってことか」
櫻井さんが冗談半分にそう言って、新人のバイトさんの指導に行った。
「お待たせ。ずいぶん待ったんじゃない?」
「うん、本、一冊読めた」
「……ごめん」
彼はパタンと本を閉じると、テーブルの上に置いた。一度、家に帰って着替えてきていた。
「凪、……あのさ、このまま今日、凪を抱いてもいい?」
「え、今から?」
「……合格したから、もう待てない」
わたしは下を向いて考えてしまった。こればかりは簡単に「いいよ」とは言えない。
「別の日じゃダメなの? わたし、なんの準備も……」
「準備なんていらないよ」
彼の目は真っ直ぐで、こういうとき、彼は意見を曲げない人だった。
「……嫌いになった? 強引だと自分でも思ってる」
「約束だったもんね……」
観念した。
あまり行くことのない駅裏の通りに、手を繋いでなんでもない顔をして入っていく。彼が手を引いて、わたしが連れていかれる形だ。
彼にそんなところはそぐわない気がしたけれど、他に場所もないのだからどうしようもない。
わたしが一人暮らしなら、と言ってもアルバイトの収入ではとてもやっていけない。
結局、入り口にそっと入った。
部屋のキーを彼が握りしめてエレベーターにふたりで乗る。緊張感が充満して、どちらも口をきかない。鼓動が速まるのは、緊張感からなのか、それとも期待からなのかわからない。
そっと、彼を見る。
彼はエレベーターの表示だけをじっと見ていた。
部屋のドアを閉めてカギをかけると、それまで抑圧されてきたものが堰を切るように、強く腰を引き寄せられて舌先がもつれる。頭の中が真っ白になって、何もかも、透くん以外のことはどうでもよくなる。
唇が離れ、お互いに息を整えながら体は離れずにいる。息が苦しくて、大きくため息に似た呼吸をする。
「ごめん、苦しかった? でも待てない」
そのままベッドにもつれこむように倒れた。
「いい?」
「……いいよ」
いきなりのことだったので、彼が上手に脱がせられるような服装ではなかった。自分で上着とセーターを脱ぐ。ぎこちなく、彼の指先がわたしのブラウスのボタンをひとつずつ外していく。
されるがままに、仰向けになってキスをあちこちに受ける。わたしも彼のきれいな首筋に、耳元に口づけする。
「シャワー、浴びていい?」
「あ……うん」
体の火照りがシャワーを浴びてもしずまらなくて、困ってしまう。
スモークガラスのシャワーブースの向こう側で彼は何を考えているんだろう?
備え付けのバスローブを身につけて、部屋に戻る。
「お待たせ。透くんも浴びる?」
「うん、ちょっとだけ待ってて」
頬にキスをして、彼は行ってしまった。
時間が砂のように流れる中、わたしはどうすることもできなくて無駄に大きなベッドの中の隙間に居心地の悪さを感じていた。
キュッと水を止める音がした。
彼もおそろいのローブを着て、歩いてくる。
わたしは恥ずかしくて背中を向けていた。彼がギシッと音をたててベッドに乗って、
「こっちを向いて」
と囁いた。
「嫌いにならないで……」
彼のキスは触れるか触れないか、とてもやさしくてふわっとした気持ちにわたしをさせた。バスローブがはだけて、お互いの素肌が直に触れる。透くんを感じる。……こんなに近くに彼を感じるなんて初めてだ。
彼はわたしの体のラインを確かめるように、キスをひとつずつ続けた……。
「女の子がやわらかいって、本当なんだね」
彼の手が、今までわたしが拒んできた胸に恐る恐る触れる。
「久しぶりなの。……上手くできなかったらごめん」
「ボクなんか経験値ゼロだよ。お互い様」
「ゆっくり、して」
彼の手が胸の上でゆっくり動くのを、わたしは体の真ん中で感じていた。そっと、彼の背中に手を回してその弧を描く背骨を指で確かめた。
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