第36話 重ならない
「ごめん、思ってたのと現実はやっぱり違うね」
見るからにがっかりする彼にどう接したら適当なのかわからなかった。
わたしたちは言葉にすると、「すべきこと」を順序よく行ったけれど、彼が上手くいかなかった。
「初めてだし、よく聞くよ?」
言っても無駄だろうと思いつつ、口にしてみる。正直に言えば、なんて慰めればいいのかわからなかった。
「わたしは……透くんがわたしの体で気持ちよくなってくれてうれしかったな」
彼はずっとうなだれていたけど、ようやく上を向いた。
「凪の体、思ってたよりずっときれいで……ごめん、興奮しすぎた」
「もう1回、する?」
「ううん、またにする。抱きしめててもいい?」
言葉にせずに、こめかみにそっと口づけして、彼の腕の中に潜り込んだ。
「愛してる」とか、「急がなくてもいい」とか、そういう言葉のすべてが今この場では嘘くさく感じて、言葉なんて信じずに彼の素肌に黙って包まれた。
彼に送ってもらって、ふたりで自転車を引きながらうちに帰った。「合格おめでとう」とわたしが言って、帰り際に軽いキスをした。さっきまで触れていた温もりが消えてしまって心許ない。
部屋に入ってベッドに転がる。
自分の初めてのときのことを考えてみたけれど、あまり覚えてなかったことに驚く。あのときは世界が終わるくらいの
でも。
彼の素肌に触れて心が震えたのはわたしも彼と一緒だ。そんな日が来るなんて、出会った頃は爪の先ほども思わなかった。
透くんはわたしが教えていた生徒と同じ高校生で、恋愛対象になんてなるはずもなかった。それなのに……。
彼の腕の中にいたときのことを思い出す。彼は間違いなく大人の男性で、わたしはただの女だった。
スマホが着信を告げる。
『今日はごめん。ご褒美は保留にしてくれる?』
『卒業のお祝いもしなくちゃいけないね』
『凪の肌、きれいだった。上手くいかなくてごめん。今も凪を感じてる。早く抱きたい』
卒業しても同じ関係が本当に続けられるのかな、と思う。彼は大学生になる。たくさんの人と知り合って、たくさんの経験を積む。
こんな田舎にいる年上の女のことなんか、すぐに忘れてしまうのではないかという思いがどうしても拭いされない。
スマホを置くと、また着信があって、続きかな、と思う。開くと、
『小田です。明日も仕事かな? ランチはどうかと思ったんだけど』
『ごめんなさい、明日は休みなんだけど彼とランチに行く約束なの。誘ってくれてありがとう』
『じゃあ、午前中に少しだけどう? この前、約束した本を貸すから』
透くんとあんなことをした後であまり気乗りがしなかった。断ることにする。
『強引に誘わないって約束したのにごめん。不意に相澤さんの顔が見たくなったんだ。それ以上でも以下でもないよ。デート、楽しんで』
それ以上でもそれ以下でもない。……その辺が大人、と思う。押すとこは押して、引くとこは引いてみたり。わたしと透くんの間にはまだ、駆け引きはない。
いつものカフェ前で待ち合わせをする。もう3月とはいえ、肌寒い。
「相澤さん」
「え? どうして?」
目の前を走っていた車がスムーズに停車したと思うと、小田くんの車だった。
「運転してたら見えたの。あ、これ本ね。駐禁だから、行くよ」
じゃあね、と彼は言いながらディーラーの営業らしいピカピカの車で去っていった。
「友だち?」
「そう、この間の同級生」
わたしより背の高い透くんから見下ろされる。
「なんか不愉快だな。友だちでも、それを許せるほどまだ余裕が無い」
「何も進展とかないから」
「他の男に凪を近づけたくないよ」
わたしたちは野菜ビュッフェに来ていた。ふたりでブツブツ言いながら、たくさんの種類の野菜を食べる。
煮物も、サラダも、玉ねぎのステーキも、なんでも。
「好き嫌い、ないの?」
「食べ物? 特にはないよ」
「ふうん?」
透くんの食べ方はすごくキレイで、見ていて気持ちがいい。食べ方のキレイな男性は魅力的だ。
「ここはわたしのおごりで。一応、ご褒美。」
「……ありがとう」
「ほら、そんなに明らかに嫌な顔しないでよー」
傷を掘り返すようなことはしたくないんだけどなぁと思う。
「美味しいもの食べた時は笑顔じゃないとね」
「悪かったよ」
と彼はようやく目を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます