第31話 ご褒美に
透くんはやはり実力を発揮して、本命のセンターを通ってしまった。元々、透くんの成績からしたら当然の結果なんだけど。
次に迫るのは本試験。
彼の志望は工学部なので、数学と英語、物理を受ける。
完全文系のわたしには、理系の数学なんかとても理解できないし、ましてや物理なんて法則のひとつもわからない。
英語見てあげるのと、あとは……邪魔にならないよう、応援してあげることしかできないかなぁ。
「少し、散歩」
わたしの仕事が終わってから彼は、コーヒーをテイクアウトして公園にわたしを連れていった。
「寒いよ。風邪ひいたら困るでしょう?」
「大丈夫、インフルエンザの予防接種、ちゃんと、2回受けたし」
いつもは手を繋いでるのに、今日は手も繋がずにさっさと前を行ってしまう。「待って」と声をかけると、やさしく振り向いて、手を出してくれた。
夕闇の中をゆっくり、腕を絡めて歩く。わたしの手は彼のポケットの中にあって、こちら側だけふたりとも手袋を外して温もりを分け合っている。
年が7つ違っても、やっぱり彼の方が手が大きいし、彼の指は、まだ学生だからこそ滑らかで細い。大きな手に掴まれて、わたしは心の底から安心する。
「ボクのこと、すき?」
「え? いきなりなんで?」
彼は意地悪い表情で微笑んだ。
「今、凪の顔に書いてあったから」
「え、やだ……そんなこと」
「すきでしょう?」
突然、腰に手を回されてぐるっと彼と向き直る。彼の瞳をそっとのぞくと、たぶん戸惑うわたしがいる。そういう諸々のことが恥ずかしくて、顔を上げられない。
更に腰に回された手に、ぐっと力が入って、わたしは彼の肩に額を預ける。
「違うよ、こっち向いて」
彼は今日はあまりに意地悪だ。試験が上手くいっているから、安心したのかもしれない。
「ここまで試験がんばったんだから、ご褒美、くれるよね」
「まだ終わってな……」
そうなることはわかっていたけれど、唇を深く塞がれてしまう。空気の冷たさと違って、彼の舌先から彼の体温が流れ込んでくるように思えた。
乱れた呼吸を戻すため、唇を離そうとしても許してもらえない。彼の手袋をはめてない方の手が、わたしの……胸に置かれる。
「ん……!」
ようやく離してもらえた。
「試験中はキスより先はしないって、約束……」
「大丈夫、着込んでて全然わからなかったから。うーん、ここまで考えてきたのに不毛だなぁ」
凍えそうに冷え込んで、とりあえずベンチに座って温かいコーヒーを飲む。
「はぁー」
とその温かさと、さっきあったことに対する動揺を感じる。
「ごめんなさい、いやだった?」
そんなことを言われると、そのときのことを頭の中でリフレインしてしまう。
「嫌ではなかった、と思う……わたしも、触られたな、くらいしかわからなかったけど」
「……触ったら嫌いになる?」
びっくりして透くんの顔をまじまじと見てしまう。街灯に白く照らされた彼の顔は、とても真面目な目をしていた。
「嫌いにはならない、と思うよ」
わたしの上着のジッパーの上の部分が注意深く、彼の手で下げられる。そのゆっくりとした動作に余計、鼓動が速くなる。いま、触られたらそのことがバレてしまうかもしれない……。
もう一度、ベンチに座ったまま向き直って、キスをする。ジッパーを下ろしたところから、彼の手がすっと入ってきて、そっとセーターの上を動く。……こんなことなら、もう少し薄着の方がよかったかも……なんてバカなことを考えていると、控えめに撫でただけで、彼は胸から手を離した。
「……ごめんなさい、胸、小さかったでしょう。がっかりした?」
バカみたいだけど女として情けない気持ちになる。だからって「こうしてほしい」とか、そういうのがあるわけではないのに、自分でも口にした言葉に呆れる。
「もっとガッツリ触ってよかったの? それなら、服の上からなんて言わないよ。そんなこと言われたらダメって言われるかなと思ったから、こんな寒いところに来たんだけど……」
「?」
「凪の部屋に行かせてもらっても、と思ったんだ。でも……歯止めがかからなくなったら困るでしょう? その、つまり直接素肌を触ったりしたら、ボクには刺激が強すぎるし」
彼は冷めたコーヒーを両手で抱えて、ぐっと飲んだ。
「試験が終わるまではしないって決めてるから……なんかいやらしくてイヤになる、そんなこと言ってる自分が。凪がすきなのに、体が欲しいとか奪いたいと思ったりとか……だから今日は妥協案なんだよ」
わたしはすぐには何も言えなかった。
男の人が、すきだからこそ体を求めてもそれはそういうものだってわたしはもう割り切っている。それに、それは男性だけじゃないし……。しっかり触られたかったと思った自分が本当はいることを、隠していた。
「……お願い、服の上からで申し訳ないんだけど、もう一回ちゃんと触って? 女にも、そういう気持ちってあるんだよ」
「いいの?」
「透くんが風邪をひく前にね。やっぱり公園は寒いよ、次はあったかいところで……」
少し冷気の入ってしまった服の隙間から、怖々と彼の手が入る。わたしは彼に抱きしめられるような形でそれを受け入れた。
ゆっくり、撫でられて、形を確認される。やわらかさや、体温。透くんが今まで触れなかったものに、いま、触れられていることをイヤでも意識する。
「愛してる……」
思い余って、感じたことをため息でもらす前に言葉がこぼれ落ちる。
彼は一瞬、動きを止めたけれど、……首筋に口づけてから、
「ボクもだよ」
と言った。
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