第20話 先生じゃないあなたがすき

 開店前の店内の空気がすき。


 とてもよく知っている空間に、知っている数人の人しかいない。どことなくリラックスしたムードが漂っていて、これから来るお客様のための準備を整える。


 12月に入ってからうちの店もすっかりクリスマスムードになった。ツリーが立ち、ガラスにはスノースプレーでトナカイたちと夜空を飛ぶサンタクロースが描かれている。

 クリスマスのプレゼント用に本を買うお客さんも増えて、とにかくラッピング、ラッピングとなる。


「凪ちゃん、次もラッピングいいかなぁ」

 櫻井さんが申し訳なさそうな顔でそう言った。

「大丈夫ですよ。ラッピングの番号は?」

「包装紙が5でリボンが2」

 メモ用紙に書き留める。間違えるわけにはいかない。櫻井さんが謝ってきたのは、わたしが実はラッピングが得意で朝からずっと任されていたからだ。


 包み終えた児童書を更に手持ちのビニール袋に入れて、手渡す。どの人も優しげに見える。

「ありがとうございました」

と言って顔を上げた視線の向こうに、透くんはいた。そろそろわたしの上がる時間になったんだろう。

 目が合うと指で下をさした。いつものカフェってことかな、と思ってうなずく。軽く手を振って彼は行ってしまった。


「つき合い始めてけっこう長いよね?」

「え? そうですか?」

「3ヶ月って長いよ。これからは凪ちゃんが嫉妬に振り回されるわけだな」

 櫻井さんが意地悪な冗談を言う。確かに3ヶ月つき合えば、わたしたちの関係から言って安定したと言えるのかも……。

「じゃあ、櫻井さん、お先に失礼します」

「また明日、お疲れ様」


「透くん」

「お疲れ様」

 持っていたカプチーノを置いて、席につく。

「はー、今日は疲れちゃった」

「どこも賑やかだよね」

「クリスマスだものね」

 どちらともなく口を閉じる。


「クリスマス、どうしようか?」

「……どこも混んでるしね」


 例えば、うちに来てもらうとか、透くんの部屋に行くとかあるんだけど……お互いの親に会いづらい。

「凪さんと一緒なら、どこでもいいんだけどな」

「……わたしも」

 テーブルの下で指を絡める。こんなにしあわせでいいのかな、と思う。


 年明けにはセンター試験が待っている。

 透くんは国立大学を第一志望にしているので、避けて通るわけにはいかない。だから、クリスマスだからと言って、浮かれている場合じゃないのは、本当はわかっている。

 この冬休みの冬期講習の持つ意味の重要性も……。


「凪さん」

「え?」

 驚いて顔を上げると、透くんが怖い顔をしていた。

「え、何かな……?」

「いま、先生みたいなこと考えてたでしょう?」

「あ……。透くんも、遊んでる場合じゃない時期になるなぁとか」

 両手でマグを持って、わたしは適当に答えた。


「……信用ないな。ちゃんとやってるよ、勉強。ノート、点検する?」

「しない」

「いまだに凪さんが教科、何持ってたのか知らないけどさ」

「……友だちとかに聞いてないの?」

「聞かれたいの?」


 わたしは口を噤んで目線を上に上げた。透くんがそっと手を上げて、わたしの頭の後ろ側をやさしく撫でた。

「ボクがすきなのは先生じゃなくて凪さんだから、そんなのどうでもいいんだよ。だから凪さんも、ボクの前で先生にならないで」


 十代だったらきっと泣いてしまっていた。

 教師だった頃のことを思い出すと、いろいろな角度からツラさが胸に突き刺さるように思えた。その中の一部分のせいで自分から辞めることになったこともまた、自分にツラさとなって跳ね返ってきていた。


「……本当は泣いてもいいよって言ってあげたいんだけど……人前だもんね。いつでも聞くし、泣きたくなったら味方になるよ」

 透くんの声がいつも以上にやさしくて、涙が目のふちギリギリまで迫ってきて、ハンカチで何気なく押さえた。アイラインが流れるなーとかバカなことを考えていた。つまり、限界だった。


 不意に、店内だったにも関わらず、気がついたら透くんの胸の中にいた。


「ごめん。どこでも動じない男になれなくて。意気地ないよな」

 抱きしめられる腕に、ぎゅっと力が入った。わたしの涙は現金なことに、不思議と止まってしまった……。

 でも今はまだ悲しい顔をして、彼の胸の鼓動を聞いていよう。狡いかもしれないけど……。

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