第14話 やきもちがうれしい
今頃、彼は学校だ。
学校――わたしの逃げ出した場所。そして、彼が今はまだ出られない場所。
あんなに嫌な場所だったのに、今になって思い出すのは生徒たちの笑顔やざわめき、わたしに手を振る姿……。もう何もかも遅いけど。
『凪さん、仕事中ならごめんなさい。ボクは今、休み時間なので。単語を覚えたりするのに飽きてしまって』
昼休みに透くんからLINEが入るのは初めてだ。
『わたしが怒らないと思ったんでしょう? 休み時間まで勉強しなくてもいいんじゃない? お友だちと仲良く話したり、今しかできないことだよ』
『そんな相手、今更いないよ。凪さん、先生っぽい』
それきり、返事は来なかった。
火曜日は彼は予備校なので、仕事をやっつけて、終わったら帰るつもりだった。
「数学はどれ使ってるのー?」
「何回言えばわかるんだよ。数学はこれ、S社が基本で、英語はO社。つーか、岬、今から始めて受験、間に合うの?」
「透みたいには行かないけど、もう少し緩い学校なら十分」
「こっちは3年間がんばってきたのに納得いかねー」
どきり、とした。
幸い参考書コーナーは新刊が少ないので、出入りする用が少なかった。でも、その裏の海外小説のコーナーには売れ線のミステリーや、映画の原作などがあり、わたしは聞き耳を立てるような形で作業をしていた。
櫻井さんが通りがてらに私を見て、棚の向こうをのぞき込む。
またわたしを見て、アイコンタクトをした。
「高校の参考書? おすすめ、教えましょうか?」
「あ! いや、ボクのじゃないんで……」
「残念、うちには元教師がいて、参考書の推薦、してるんですけどね」
なんてことを言うんだろう、と思いながら身動き取れずにいた。平積みの文庫がまだこんなにある。泣きたくなってくる。誰がこんなに売れる本を出したんだろう?
「お前、ひとりであとは選べよ。出版社、教えただろう」
「透?」
コツコツとローファーの音がして、隠れてしまいたいのに真裏の棚にいたなんて。恥ずかしくて倒れそうになる。透くんが隣にしゃがむ。
「凪さん、ちょっとでも会えてよかった」
「……」
「凪さんが先生ぶるから、放課後、変なのに捕まっちゃったじゃん」
透くんは微笑んでいた。まるでわたしの嫉妬なんてお見通しのように。
「あのさ……顔に書いてあるから」
「え?」
「……凪さんの気持ち。本当になんでもないんだよ。予備校、行ってくるからまたLINEする。……こういうのって、うれしいんだね」
「岬、遅れるぞ」
「ちょっと、まだ参考書、買ってない」
「売り切れないから、別の日に来いよ」
嫉妬が顔に出ている?
恥ずかしくて前を向けない。透くんが行ったあとでも前を見られない。
「はい、よかったね」
「櫻井さん!」
斜め向かいの壁に店員用の扉があり、櫻井さんは本が山積みなワゴンを押してそこから現れた。
「櫻井さん、どうして……」
「凪ちゃんがピンチだったから」
「……」
「世の中的には、高校生は高校生とつき合う。ということは、凪ちゃんは不利な立場にあるんだよ、あの女の子よりね」
「……ありがとうございます」
「嫉妬されるとうれしい、か。若いっていいね」
お客さんが来て、櫻井さんはレジに走って行ってしまった。
『凪さん、予備校終わりました。明日は水曜日だね、よかったらどこかでお茶しようか? あ、『先生』っぽく、明日は会わない約束、とか言わないでよ。凪さんの顔が早く見たいなぁ。欲を言えば……また、凪さんの頬に触れたい』
『透くん、予備校お疲れ様。会ってもいいけど、少しだけ。いつも手を繋いでるじゃない? それじゃダメなの?』
『凪さんはクールに見えるけど、本当はクールに見せてるんだね。今日、わかった。うるさいやつに無理やり連れて行かれたけど、思わぬ収穫があってうれしい。あの男の人にも、お礼を言わないと』
『……やきもちをやくってどんな気持ちか想像できる? わたしは今までこんなに辛い思いをしたことがなかった気がします。わたしより年下のかわいい女の子に勝てる気はしません』
と、直電が入って、驚いて何度も画面を見返してしまう。
「突然ごめんね。でも誤解が解けないなら、何度でも言うよ。あの子とはなんでもないよ」
「でもすごい親しげに……」
「予備校、ずっと一緒なんだ。今、クラスも一緒だし、それだけ」
「だって……」
「凪さんの『でも』、と『だって』だけですごいレポート書けそう。明日、全部聞かれたことは話すよ。約束。でも今は勉強してることになってるから、またね」
「あ……」
「どうしたの?」
「ううん、おやすみなさい」
「おやすみなさい、また明日」
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