第13話 笑顔が見たい
月曜日になった。
今日は透くんの予備校がない日なので、わたしの仕事が終わったら会える約束。
「凪、最近、帰りが遅い気がするけど、大丈夫なの? 仕事、無理してない?」
「大丈夫よ、お母さん。職場の人とお茶したり」
「ならいいけど」
また嘘をついてしまった。お母さんこそ、わたしに高校生の彼がいると知ったら驚くに違いない。
そんなことを考えていると、わたしもただの女だなぁと思えてくる。好きな人のことを思って毎日を過ごす。彼に触れられると、そこから彼の色に染まってしまうような錯覚に陥る……。
「凪、いくら自転車でも遅れるわよ」
秋風が、日増しに深く濃厚なバターのように冬を連れてくる。透くんにクリスマスには何か防寒具を買ってあげようと思った。高校の通学時間はわたしより早い。
そしてわたしも日増しに彼のことを考える時間が増えていく。わたしはいいけれど……彼も同じなら、勉強の邪魔になる。
とりあえず彼を大学に合格させなければ、何も変われない。
「おはようございます」
「おはよう、凪ちゃん」
櫻井さんが何もなかったかのように、挨拶してくれてホッとする。
「そんな、見るからに安心したって顔しないでよ」
「そんな顔してません」
とりあえず清掃作業から入る。床や、棚を掃除していく。開店まではまずその準備だ。それから、今日発売の新刊を並べていく。
バイトの求人を探していた時、目についたのがここの募集だった。9時から17時まで、週休2日。大好きな本とずっと一緒にいられる……と思ったけれど、本の移動は重労働だし、ブックカバーひとつ着けるのも、いまだに様にならない。
櫻井さんはそんなわたしをいつも励ましてくれて、仕事を丁寧に根気よく教えてくれた。
「今日は高校生とランチ?」
「……彼とは夕方まで会わないので」
「よかった。一緒に行かない?」
レストラン街のパスタのお店に入った。
相変わらずせっかちに櫻井さんはメニューを頼む。
「凪ちゃんは?」
「Cのセットで、アイスティー、ストレートでお願いします」
「俺とつきあってくれたら、もっと美味しいもの、ご馳走するのに」
「される理由がありませんから」
「だから、つき合ってくれたら、という話」
わたしは多少、キツい目で櫻井さんを睨んでしまった。
「櫻井さん、わたしに彼がいるの、知っててそういう冗談、やめてください」
櫻井さんは思わせぶりな目をして、こっちを見た。
「あのさ、俺たち、つき合ってることになってるよ、パートの人の間で」
「……どうして?」
「ご飯毎日、一緒に来てるでしょう?」
「櫻井さんの彼女に悪いから、気をつけます」
櫻井さんが水を飲んだグラスから、結露した水滴がぽたりと落ちた。
「そんなのいないって。誰も誤解しないし、俺は凪ちゃんにわかってもらえるようにできるだけ優しくしてきたつもりだけど」
「……そう言われてるのを知られたくないのは、高校生クンでしょう?」
彼の耳にそんな噂が入ったら、彼はどうするだろう? 二股かけられたと思って、わたしを軽蔑するかもしれない。
「ねぇ? 他人のことだけど、高校生クンの前でもっと笑わないの? 彼のことを考えるとき、難しい顔ばかりしてる」
「……」
「ほら、眉間にしわ寄ってる。ふつう、好きな人の話をする時って、女の子は特に笑顔になるんじゃないの?」
図星だった。
わたしは透くんのことを重く考えすぎなのかもしれない……。彼との年の差が気になって仕方がない。
仕事が終わると、下のカフェに向かった。
「透くん」
何も考えないで、大きな声で彼の名を読んだ。
「いいことあったの?」
「どうして?」
「……いつもと違う」
わたしは隣の席に荷物を下ろした。
「……違ったら、透くんの好きなわたしじゃなくなる?」
すごく大胆だと思った。今までつき合った誰にも言ったことがないくらい。自分のしていることにドキドキした。
「ううん、すごくうれしかった……凪さんがボクの名前を大きな声で呼んでくれるなんて、夢みたいで」
何を今まで頑なに守ってきたんだろう?
わたしは確かに年上だけど、この子とつき合っていて、この子が好きなんだ。
透くんの笑顔が見たい。
「透くんの笑顔が見たいの」
勇気を出してみた。
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