第5話 手と手を重ねて

 昨日、櫻井さんと行ったカフェで透くんを待つ。

昨日は初めてだったからか緊張してよく見られなかった店内も、今日は落ち着いて見回せる。ナチュラルな内装の店内は、それぞれのテーブルが独立したような作りで、ゆっくりできる。


「凪さん、待った?」

「ううん、そんなに待ってないよ」

「よかった。今日も『1日1問』解けないヤツがいて、しかもHRホームルームに質問して、長引いたんだ。ひとりで聞きに行けばいいのに」


 わたしは彼の話に、ふふっと笑ってしまう。彼は重そうなリュックを空いた椅子にドサッと下ろした。

「……遅くなると、凪さんと会える時間が減っちゃうから」

「……毎日、会ってるからいいじゃない」


 言ってしまってから、しまった、と思った。手で口を押さえたけれど、出てしまった言葉は戻っては来ない。

「うん、そうだね。毎日、会ってるんだから焦らなくていいんだよね」

 透くんはいつもとちょっと違う感じにそう言った。照れているのかもしれなかった。


 ふたりで照れながら、メニューをにらめっこする。

「……あの、昨日はスコーン食べたんだけど。……おすすめ」

「美味しいんだ? ふたつ味の違うの頼んで、半分こ……半分こはなしだったよね、ごめんなさい」

「いいよ、半分こ」

 わたしは思い切って、言ってみた。

「ドライフルーツのと、チョコチップのにしない?」

「凪さんがよければ」


 今日はなんだかわたしも透くんも、調子がおかしい。間に1日挟んだせいなのか、会話がするするとは進まない。

「飲み物、凪さんどうする? ボクは……カフェラテにしようかな」


「あの……わたし、ウインナーコーヒー」

「……クリーム、たくさんだよ?」

「ずっと試してみたかったんだけど、勇気出なくて。でも、透くんの前ではもう大きなパフェにも挑戦しちゃったから……」


 透くんは少しの間、わたしを見ていた。やっぱりわたしらしくないものにいきなり挑戦するなんて、おかしかったかしら、と考えた。

 しかしふと、彼はいつも通りの彼に戻り、この前のように注文をしてくれた。


「やっぱり……いい年して生クリームのたっぷり乗ったコーヒーが飲みたいだなんて、おかしかったかしら」

「そんなことないよ。もしそうなら日本中のカフェのメニューから、ウインナーコーヒーが消えてる」

「確かに」


 カフェの中にはお客さんも少なく、ひそひそと話す声さえ気にならないほどだった。わたしと彼は注文が届くまでの暇つぶしに、メニューを端から端まで見ていた。


 マフィンやパンケーキ、スフレ……。

 どれも美味しそうで、はどれを食べようかとふたりで思案した。それはとても楽しい時間で、つい、笑顔がこぼれて子供じみた気分になってしまった。


「昨日はひとりで来たの?」

「あ……昨日は、バイト先の人に誘われて」

「そうなんだ。いいお店、教えてもらえてよかったね」

 そう、昨日は櫻井さんとここに来た。……こんなに話も弾まなかったし、このお店が居心地のよいお店だとも思わなかったけれど。


「男の人と来たんだね」

「どうして?」

「なんとなく。……大人同士の職場のつき合いには入れないね。つまらないな、子供は」

 そう言って頬杖をついて窓の外を見る彼の横顔は、拗ねた男の子だった。


 その後、次々にやってきたコーヒーとスコーンをわたしたちは出迎えた。

 スコーンはサクサクしているので、ふたつにきれいには割れず、わたしたちは笑いながら分け合った。もちろんどちらも美味しかった。


 初めて飲むウインナーコーヒーは、想像通りにたっぷりの生クリームで、わたしを贅沢で幸せな気持ちにさせた。


「……美味しい」

「凪さん、今、すごくいい顔してるよ」

「そう?」

「うん、初めて見た日から今日まででいちばん。……その瞬間に一緒にいられてよかった」

 そんなふうに言われると、何も言えなくなってしまう。わたしはうつむきがちになった。


「凪さん、手を、片手でいいからテーブルの上に出して」

「片手?」

「うん」

 わたしはなんの疑いもなく、右手をテーブルの上に出した。その手の上に、透くんは自分の手を重ねてわたしの手をそっと握った。


「すごく勇気がいることだから、言おうかどうしようかすごく迷ったんだけど、やっぱり凪さんが好きです」


「でも……」

「凪さんから見たら『でも』がたくさんつくのはわかってるんだけど、……二度と会えないと思ってた人に会えたんだ。今しかないんだよ」


 テーブルに置かれた右手はすでに怖気づいて、緊張で動けなくなっていた。

 透くんとつき合えない理由なら、ノートに書き出せるほどたくさんある、と思った。


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