第6話 あなたといた時間が好きでした

『透くん、気持ちはとてもうれしいけど、わたしはあなたとつき合えません。理由は言わなくてもあなたならわかるんじゃないかと思うので、ここには書きません。でも、わたしはあなたといる時間が好きでした』


送信。


「好きでした」、と打って送信した瞬間、涙が落ちた。過去形にしたら、すべてが失われてしまう。もちろん、これから未来のある彼にはこれでいいんだ、と自分を慰め、押さえつける。


 なかなか返信は来ない。


 わたしがそれを待っているのか、それとも来ないことを望んでいるのか、自分でもよくわからない。

 小さくスマホが手の中で振動した。

 心を決めてLINEを開く。


『凪さん、急ではなかったとは思うけど……ごめんなさい。ボクの間違いです。これを言ったら会えなくなってしまう、という一線を衝動で越えてしまいました』


『言った言葉に嘘がないのは、凪さんが知っていると思っています。そして、少なくともボクがもう少し現実的な意味で大人になれば、問題が小さくなるんだろうと思います。お願いします。つき合ってほしいと、大人として認められるまでは言わないので、これからも会ってくれませんか?』


『透くん、なんと言っていいのか……。まず第一に、元教師だからというわけではなく、わたしがあなたの受験勉強を邪魔しているのではないかといつも心配しています。あなたの時間を大切に使ってほしいです』


『凪さんは誤解しています。ボクはあなたと会った後、帰宅してからやるべきことはきちんとやっています。凪さんを理由に、成績が落ちたりするわけにはいかないと思って勉強しています』


『確かにあなたは元教師のわたしから見ても成績優秀な生徒のようですね。だからこそ、あなたの未来をわたしが損なうわけにはいかないと思うのです。一緒にいて楽しくて、早くそう言い出せなかったわたしの狡さを許して下さい。受験、受かるよう、祈っています』


 送信。

 ……返信は待たずにスマホの電源を落とした。


 頭の中で、小さな笑顔や、仕草や、言葉が繰り返し、繰り返し再生された。

 もしわたしが高校生で、彼に好かれたくて髪を切ったり、ほんのりリップを塗ったり、数学を教えてもらったり……。そんな過去はありえない。取ってしまった年は逆再生できない。

 いい大人になってしまったわたしは、いい大人として、ものわかり良く物事を選択していかなくてはいけない。たとえ、彼を失っても……。




「凪さん!」


 書棚の整理をしていると、大きな声で名前を呼ばれた。

「透くん……どうして?」

「凪さん、とにかく終わる時間に下で待ってるから。仕事の邪魔をしてごめんなさい」

 どうして……と思ったけれど、簡単だ。昨日からスマホの電源を切ったままだけど、それでも職場を知っているのだから会いにこられるのだ。


「凪ちゃん、高校生につきまとわれてるんじゃないの? 困ってるんなら相談に乗るよ」

「ありがとうございます。大丈夫です」

 櫻井さんが心配して声をかけてくれる。でも、問題はそういうことではなくて……。



 仕事が終わり、階下に下りる。彼と初めて話したカフェまで歩く。彼は中に入らず、入口の壁にもたれて単語帳をめくっていた。

「透くん」

 慌ててカバンに単語帳を入れようとした彼のカバンから、乱雑に物が落ちていく。拾ってあげようと思うとその中に、画面割れしたスマホが入っていて、ぎょっとする。


「これ……」

「……凪さんが未読無視するから……頭にきて投げたら割れちゃって……」

 彼の悲しげな横顔を見ていたら、たまらない気持ちになった。あの割れてしまった画面は、わたしの心を映しているだけではなくて彼の心も同じだったんだ。


「ごめんなさい」

「凪さんが謝ることじゃないよ」

「ごめんなさい、ほんとに」

「凪さん……とりあえず、お茶しよう?」


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