イドラ

勝哉 道花

イドラ


 あぁ、また失敗した。


 ビリッと、紙が裂ける音が、僕の手の中で鳴った。


      **


 理解ができなかった。

 どうして彼女が死ななければならないのか。僕は、まだ、なにも伝えられていない。僕は伝えたかった。伝えたい言葉があった。だからこそ、ここで彼女を死なせるわけにはいかなかった。

 僕は時間を戻ることにした。それは途方もないことだった。それでも僕は彼女を助けたかった。

 けど、また彼女が死んでいく。僕の目の前で。助けられなかった彼女の身体からたくさんの色が流れ出ていく。


 あぁ、また失敗した。


 ビリッと、紙が裂ける音が、僕の手の中で鳴った。


      **


 ライトが僕の頭上を照り出していた。熱くなかった。人工の光は、自然の光よりも優しい。無機質で無感動でこちらに干渉して来ない。ただそこにある光景だけを照らす。

 熱いと喚く必要も、眩しいと嘆く必要もなくその場にいられる。だから、彼女が死んでいくその瞬間も、僕はその場に立ちすくみ、彼女を眺めることができる。

 理解ができなかった。どうして彼女が死ななければならないのか。僕はやはりまた、なにも伝えられなかった。僕は伝えたい。伝えたい言葉があった。だからこそ、これではいけなかった。

 けど、また彼女は死んでしまった。僕の目の前で。助けられなかった彼女が息絶えていく。

 僕はまた時間を戻ることにした。


 あぁ、また失敗した。


 ビリッと、紙が裂ける音が、僕の手の中で鳴った。


      **


 彼女が笑う。彼女が泣く。彼女が怒る。そして、また笑う。

 彼女には蓮華がよく似合った。蓮華の花言葉は、「あなたと一緒なら苦痛が和らぐ」「心が和らぐ」。まさに、その言葉通りの人間だった。彼女は皆に好かれていた。僕もその皆の一人だった。僕は彼女が好きだった。彼女は皆が好きだった。

 ライトが僕の頭上を照り出していた。冷たくはない。人工の光は自然の光よりも柔らかだ。

 無機質で無感動だからこちらに干渉して来ない。ただそこにある光景を照らし出す。寒いと喚く必要も、暗いと嘆く必要もなく、その場にいられる。だから、彼女が死んでいくその瞬間も、僕はその場に立ちすくみ、彼女を眺めることができる。

 理解ができなかった。どうして彼女が死ななければいけないのか。僕は、まだなにも伝えられずで終わってしまう。僕は伝えたい。伝えたい言葉があった。だからこそ、やはりこれではいけなかった。

 けど、彼女がまた死んだ。僕の目の前で。僕では彼女を助けられない。けど、僕がやらなければやれる人はもっといない。

 僕はまた、時間を戻った。


 あぁ、また失敗した。


 ビリッと、紙が裂ける音が、僕の手の中で鳴った。


      **


 初めて出会ったのは、もうどれだけ前のことだったろう。それは覚えていないけれど、そのときのことは覚えている。だって、彼女が美しい微笑みを僕に向けてくれたから。その一瞬で僕の胸は、今までに感じたことがない高揚感を覚えた。

 彼女が笑う。彼女が泣く。彼女が怒る。そして、また笑う。

 蓮華がよく似合う彼女の笑みは、蕾がゆっくりと開き、その内側から美しい華を咲かせたときのようにハッとさせられる美しさがあった。彼女の笑みに、皆惹かれた。僕もその皆の一人だった。僕は彼女が好きだった。彼女は皆が好きだった。

 ライトが僕の頭上を照り出していた。なんだか光が弱くなってきた。それでも人工の光は自然の光に負けず僕を照らし出す。無機質で無感動だが、最後まで自身の務めを果たそうと必死になる。 僕も必死だ。僕も彼女を死なせないために、最後のときが来るまで必死になる。

 理解ができない。どうして彼女が死ななければいけないのか。僕は、まだなにも伝えられずで終わってしまう。僕は伝えたい。伝えたい言葉があった。だからこそ、やはりこれじゃいけなかった。

 けど、彼女がまた死んだ。僕の目の前で。助けようにも手段が限られている。だからこそ、僕は必死になるのに、彼女の身体からは黒い液体ばかりが流れ出ていく。

 僕はまた時間を戻った。


 あぁ、また失敗した。


 ビリッと、紙が裂けていく音が、僕の手の中で鳴った。


      **


 

 最初は車で轢いた。次は焼いた。次は首を絞めた。次は溺死。次は病気。この世にある、何千、何万の死を彼女が体験する。僕がそれを助ける。助けるために、何度も最初に戻る。

 初めて会ったのがいつだったかは覚えていない。けど、そのときのことは覚えている。そのときまで僕は戻る。そうして彼女と出会い、高揚を胸に抱き、彼女を助ける。

 彼女が笑う。彼女が泣く。彼女が怒る。そして、また笑う。

 それから死ぬ。蓮華が似合う彼女。花弁が散り、その下にある醜い姿だけを残すように。醜い姿を残して死ぬ。皆、そんな彼女の姿を嫌った。僕はそんな皆と違った。そんな彼女も好きだった。けど彼女はずっと皆が好きだった。

 ライトが僕の頭上を照らす。もうあまり光る力は残っていないようだ。けど、人工の光は光として最後まで務めを果たそうとする。無機質で無感動だが、仕事の責任は持っている。僕もそうだ。

 僕も彼女が好きな限り、最後まで務めを果たすつもりだ。

 理解ができない。彼女が死に行く理由が。僕はまだ何も伝えきれずに終わってしまうんだ。僕は伝えたい。伝えたい言葉があった。これじゃ、だめなんだ。これじゃ、やっぱりだめなんだ。

 けど、彼女はまた死んでしまった。僕の目の前で。彼女の身体がどんどんと冷たくなる。

 僕はまた、時間を戻った。


 あぁ、また失敗した。


 ビリッと、紙が裂けていく音が、僕の手の中で鳴った。


      **


 カリカリと音を立てながら、無機質なペンの音が、紙の上を走る。

 黒色の液体が紙を滑り、文字を生み出す。その文字が彼女の姿を、時間を、その全てを形成していく。

 これは物語だ。僕が他者にこれまで言えずに来たことを、この物語を通して、彼女が伝えてくれる。これまで何度もそうやって、僕は彼女と共に過ごしてきた。彼女は僕の頭の中にしかいないけれど、本の中の彼女は世界中の皆の心に居座り続ける。

 幸せだった。僕と彼女が作り上げたものが皆の中に残り続けることが。

 なのに、どうしてだろう。気付けば彼女が死んでいく。何度書いても書き直しても、彼女が死んでいく。

 最初は車で、次は火で、次は紐で、次は水で、次は病で。この世にある何千、何万の死因で彼女が殺されていく。僕が助けなければ。彼女を作れるのは僕だけで、殺せるのも助けられるのも僕だけだ。

 初めて出会った頃など忘れた。けど、その頃の原稿は手元にある。だから何度もその頃に戻れるし、出会い、高揚し、物語を作り変えれる。

 彼女が笑う。彼女が泣く。彼女が怒る。そして、また笑う。

 それから死ぬ。何度作り変えても、蓮華のような彼女の身体が縮れ、バラバラにされ死ぬ。そんな姿、読者は待っていない。僕はそんな君も好きだ。でも皆は嫌いだ。

 机上のライトが僕の頭上を辛うじて照らす。そろそろその命が絶える頃だ。でも、彼女の命はまだ絶えさせない。決して、絶えさせない。

 とうに理解はできていた。どうして彼女が死ぬのか。

 ただ、理解したくないだけなのだ。僕にはそれだけの力量しかないのだと。所詮、僕はただの凡人だったなどと。物語を書く力など、備わっていなかったのだと。

 彼女がまた死ぬ。僕はまだ世の中に伝えたい言葉があるんだ。これじゃダメだ。これじゃ。

 僕は破いた。物語が綴られた紙を。戻したい最初の頃まで。


 あぁ、また失敗だ。


 紙の裂ける音が、室内に響き渡った。


                        ――END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イドラ 勝哉 道花 @1354chika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ