第7話 女の一生

 エリカは男の言うことを聞き、ロイの道を選んだ。街でよく見るハンサムキャップが男とエリカの前を走っていった。通りからアコーディオンの音色が聞こえてくる。ここはもう安全なのがわかった。

「この街で人気の『ミス・ピュピュ』という映画がある。観に行かないか?」

男とエリカは大きな看板がある店の前にいた。男の面影は、どこか中性的で暗く美しかった。

エリカはわずかな胸のときめきを感じたがそれを隠そうと必死だ。

「どういう内容の映画の話なのかしら。」

「よくある女の話だ。タイトルは『女の一生』――。」

飾り立てられた店のホールに入ると、暗い猫の神士達がしきりに「ミス・ピュピュほど可愛い女はいない!」と言っている。

「ミス・ピュピュってどんな人なのかしら。」

「見ればわかる。」

男とエリカが席に着くと映画が始まった。

ミス・ピュピュは男と見れば誰にでも媚を売り、女と見れば、たとえどんな悪人でも助ける女だった。

ミス・ピュピュはそれゆえ悪人に騙されてもひたすら平気なふりをし許していた。彼女の愛読書は『かわいそうな王子』だ。

ミス・ピュピュは世間が不道徳とするものを許せないため、自ら冷酷な神士と犠牲的に結婚した慈善活動家だった。

「なんで好きでも無い人と結婚したんだろう。わからないわ。」

「彼女は流されやすいし、そういう人なんだ。」


「ああ!『ミス・ピュピュ』!あんな男と口づけをして!可哀そうに!」

猫の神士達は笑いながら泣いている。自分がミス・ピュピュの結婚相手ならもっと幸せにするのにと。


ミス・ピュピュは戦争の記事が載っている記事に憤慨し、最後は男に銃口を向けられてしまう。


『助けて――。』


スクリーンの向こうからエリカに『ミス・ピュピュ』の叫びが聞こえるが、男が目隠しする。

「彼女はまだ美しい。ああやって人生を切り売りしているだけだよ。君はああはならないように」

「なぜ彼女は自分の『大切なもの』を切り売りするのかしら?自分の人生を?あんな男に?そんなことをしても世界は良くはならないのに。」


『お前も私と同じ目に遭えばいい。私のような夫と早く結婚すればいい。それが女の一生なのだから』

ミス・ピュピュはかつてあげた結婚式のドレスで現れる。

『お前もその男にいずれ暴力を振るわれるようになる。』

ミス・ピュピュの亡霊がエリカに言う。

「そもそも私はあんな男や女の相手などしないわ。」

「なるほどね。君はその男の『亡霊』とずっといればいい。」

ミス・ピュピュは手から一滴の血を垂らし、エリカに赤い死の口づけをするが、男がそれを払いのけ、エリカは身をかわしてしまう。


エリカは男と共に街の噴水広場にやってきた。男はエリカに唇を噴水の水でぬぐうように言い、自らもぬぐった。

「ここにいれば弟に会える。僕とさよならするかい?」

「一緒に待っていたいわ。」

街をつらぬく塔にはミス・ピュピュを殺した男達の死体が刺さっており、死んだ言語を交している。


「 エ リ カ! 」


弟が私の名を呼んでいる。行かなければならない。


言葉の先から人々は生まれた。


思い出の品がなくなると、人はその思い出ごとなくしてしまう。だからこの国にはいつまでもガラクタが多いのだろう。ネルーは人の手を借りずして、門の側を離れることは出来ないし、絵がなくなれば世界は彼の事を忘れてしまう。



……エリカは思い出した。あれはフィリップ・モリスだ。



「訪問者は皆王様を探すものなの?」

「当たり前だろ。訪問者が王様を探さないと、季節が終らないんだ。同じ季節があまりに長く続きすぎれば、世界は干乾びてしまうではないか」

「どうして私と」

「それは二人で歩かないと危険だからだ。群衆の間にいると疲れないか?早く行こう」

フィリップ・モリスは先に行ってしまう。夕方の、奇妙に長い影が地面に伸びている。ついていかなければ置いていかれる。フィリップ・モリスの歩く速度は速く、エリカは小走りで付いて行かねばならなかった。



大きな鳥の影のようなものがよぎった。天使だろうか。天使は光の輪をまとい、手を広げてこちらを見ている。巨大な手。影のような灰色をした、7本も8本もある異形の指が窓に映る。

光の滴のようなものが上から落ちてくる。エリカは顔を上げ、その滴が落ちる様を見ていた。滴はネルーに当たった。ネルーは不思議そうな顔をして頭の上に乗っかっている小さな帽子を取り、その表面をさすった。


フィリップ・モリスはふわっとあくびをした。プロバガンダのビラを配っている男がいる。影になっていて顔は良く見えない。男はビラを差し出す。フィリップ・モリスは目もくれず無視をする。

「僕は、こういうの嫌いだなあ。…それにしても街は落ち着かない」


エリカは思わず銀時計を見てしまった。壊れているのに、自分は何をしているのか。と思ったが、時計は再び時を刻んでいた。午後2時を差していた。



フィリップ・モリスはエリカと同じ学校に通っている。つまりエリカのクラスメイトだ。

彼はクラス内で、全員に同じくらい話しかけられていて、そして全員にわずかな回数だけ話しかけている男だった。エリカともそれほど仲がいい訳ではない。学校の係の用事のついでに何回か言葉を交わす機会があっただけだ。

真面目に答えているのか、馬鹿にしているのか。彼はあまり人と目を合わさず、まぶたの動きが少ない。無感動で怖い男。それが第一印象だ。


鋼鉄みたいな性格をしている彼がはたして夢なんて見るのだろうか。そもそもエリカにはこの男が、何を食べて、どこで寝てるのかすら、疑問だった。

フィリップの得意科目は数学と物理。この間など机の上で定規を見て笑っていた。人前ではニコリともしないくせに定規は彼を笑わせることができるらしい。エリカの中でフィリップは点と線の世界で生きる男だった。彼の家は幾何学の世界にあるに違いない。とエリカは思った。こいつの家はきっと三角柱か円柱か球の形をしているのだ。



フィリップ・モリスと男とエリカは焼きたてのタフィーとパンケーキの匂いがする珈琲店に入って行った。

「あなたは数学だけで世の中がまともになると思っているのかしら?『物語』や伝承でも世の中はよくなるのよ。」

コーヒーを飲みながらエリカがそう言うと男は頷き、フィリップ・モリスは言う。

「僕はここの街の統計を取ってるんだよ。あのメルという魔法使いの居場所もこれでもうすぐわかる。僕はこの数学で無許可でこの街に来たんだ。君にも数学の面白さがそのうちわかるようになるよ。ふふ。」

「あなたの子供の勉強の好みに関するレポート、読ませてもらったけど、統計は見事だけど、男とか女とかにこだわりすぎね。この世には同性愛者もいるのよ。ジェンダーにももっと多様性があるわ。ま、これは未来の話だけどね。」

「さすがだなエリカは。ま、僕はわざとあんなレポート書いてるんだけどね。その方が先生やあらゆる年代の人々に受けもいいし。」

「それが、本当に真理といえるのかしら?あなたの知識は真と言えるのかしら?フィリップ・モリス」

フィリップはただ黙っているが、彼からわずかに成熟した『男』の匂いを感じたので、エリカの脳はわずかにしびれたが、男がそれを遮る。

「用件を早く言いたまえ。」

店内の隅にあるクマのぬいぐるみがわずかに動き、客のウサギの紳士がそれを抱き上げる。ウサギの紳士は時計を持ち、小さな耳がたれた犬を飼っており、美しい人間の妻と共に歩いている。

「妻のためにチョコカプチーノを一つ。」

店内はウサギや猫の紳士でひしめいている。恐らく映画の帰りであろう。

フィリップ・モリスは店で頼んだブランデー入りチョコレートをエリカに勧めた。

「美味しいから食べてごらんよ。」

しかし男が断ってしまう。

「エリカにミルクチョコレートを一つ」

男がそう頼むとウサギの店員はそそくさと運んでくる。エリカはそのミルクチョコレートを食べながら言う。

「どうしてフィリップはお酒入りのチョコレートなんて食べるの?わからないわ。」

「美味しいからだよ。君は子供すぎる。少しおてんばだけどね。」フィリップ・モリスはふふとわらって、チョコレートとコーヒーをさらに注文する。そしてタバコをおいしそうにふかしながら言う。

「ところでミス・ピュピュが地下鉄に行ったのは知ってるかい?君は行かない方がいいぜ。」「ところで君が学校の家庭科で焼いたローストポークは美味い。少しかじってみた。今度ぜひ僕に新たなプレゼントを。」

「いつ食べたのよ。」

「みんなの残りから少しだけと言いたいところだが、君が気づかないうちにつまみ食いしておいた。すごいだろう?」

「勝手につまみ食いするとは下品な奴だ。」

「僕を下品とは失敬な奴だ。エリカ。なんだその男は。どこから連れてきたんだ。」

「遠いところからよ。ところで弟はどこかしら。」

「君の弟とはこの僕『フィリップ・モリス』のことだよ。君はこの記憶の大陸で最初から記憶を売ってるのさ。はは。まあ全部僕がネルーから取り返すからいい。わはは。僕がメルを倒してこの国のルールを変えて見せよう。この統計でね。」

「いちいちうるさい奴だ。君の弟のロイはこの国の中にまだきっといるはずだ。難しい奴だが、この男から弟の声が聞こえただろう。弟はこいつと親しいんだ。」

「いかにも僕はロイと親しいが、それを教えるのには条件が必要だ。僕としばらく付き合うことだ。」


「そんな勝手は僕が許さない」

「ねえエリカ。その男と弟のロイ、もしくは僕、誰を選ぶの?ねえエリカ?」

「選べないわ。」

エリカがそう告げると男は異形の天使になり、自分は『メル』だと名乗った。

「ところで僕に『挨拶』はしたのか?珍しい女の子だ。僕に『挨拶』しないなんてな。」

男--『メル』がそういうと、どこからか風が吹き、店の窓が次々と割れていった。猫とウサギの紳士達と店員は慌てて逃げ出した。

「ほら『統計』上、エリカについていけば、メルと会えると踏んだんだよね。僕は。わはは。」

「私が恐ろしい何度殺しても死なない『メル』を名乗ってもなぜ逃げない。なぜ『挨拶』しない。変わった子供達だ。」「王は邪魔なルールを作るから私が殺しておいた。もうすぐ君たちも消える。その前にまだ会話していたい。久しぶりだ。『人間の子供』と話すのは。」「おい。この私の『日記』とネルーの『手帳』を眺めてる、今この『ページ』を見ている『お前』も聞いているのか。『お前』が、この『物語』を覚えてないと、私が『お前』を消し、ネルーに『対価』を払ってもらうよう言いつけるからな。『お前』がどんな『対価』に値する記憶を持っているのか知らないが。」

「誰に向かって言っているの?」

「エリカ、私は君が愛しい、君が今日からここの『王様』で、この『物語』の中だけでも僕と永遠を過ごすんだよ。」

メルが魔法を使うとエリカは白いレースのドレスを着せられた。

「いやよ!あなたのことは好きだけれど。メル。」

「嫌なら『挨拶すれば良い』」


「こんにちは」


フィリップ・モリスがそういうと、エリカが消え、メルが消え、店も街も国の中も静かになった。


「とはいえ、こんなところの王様になるのは嫌だな。『君』に記憶されるのも嫌だけど。」フィリップ・モリスはそう言って、この国を去って言った。


「僕は『箱の中の王様』ではないよ。エリカが選ばれた。ふられてしまったのであろうか。メルの方がいい?では今度は僕が『エリカ』のことを書いておこう。」


「ところで、いまこの瞬間ページを見てる『君』は、僕やエリカ、メルやネルーのことをどう思ってるの?今度インタビューしに行こうかな。」


「僕はフィリップ・モリスと言います。エリカ達と違って実在するからね。この『インタビュー記録』を悪用したらタダではおかないからね。」


フィリップがそういうと、夜が回り、国に朝が来て、『現実』に戻った。



「エリカとロイ、学校にいるかな。『君』はもう見ないでね。よろしく頼むよ。今度君の世界にも行ってみようかな。ここは箱のような世界だからね。」


「ところで学校というのはいかにも人生のモデルケースで『箱の中の世界』じゃないですか?あなたも箱の中の王様に会ったことがあるはずだ。」


フィリップ・モリスは妻への憧れを抱いている、犬を連れ、丘の上から辺りを見回し、再び、今はもう廃墟の『箱の中の国』へ入って行った。


「エリカ?どこだ?」


『ここにいるわ。ここよ。』


『『エリカに手を出すな。私が殺す。』』





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