7.20 その心意気に答えるのも大人の仕事ってもんだろ

 縦横無尽に振るわれるクロの尻尾、それに合わせるようにローズマリーの周りにひょっこり現れては、泡沫うたかたのように虚空に消える、漆黒の【防壁】。

 普通の人間なら叩くどころか追いつくことも敵わないが、【加速】を使った少女ならわけもない。距離と角度を冷静に見定めて距離を詰め、狙いすまして一撃を叩き込んでは、次の標的を定めて跳ぶ。


「やるねえ、CC。もう一段階上げてみようか?」

「いいよ、クロちゃん。どんどん行こう」

「あんまりやりすぎるなよな……」


 興が乗ってきた様子のメイド少女と黒猫に、シドのボヤキが届く様子はない。

 【加速】魔法に対して驚異的な適性を見せるローズマリーと、近接戦闘に長け、相手の動きのどこを見るべきか熟知しているカレン。

 彼女たちと異なり、もともと【防壁】で後の先をとる戦法を得意とするシドは、動体視力の面でどうしても二人に一歩劣る。眉を寄せ、目を凝らさないと、ローズマリーの動きについていけなくなる。

 そんなシドをよそに、余裕の表情で少女の様子を眺めていたカレンだったが、ふと首を傾げて疑問を口にする。


「ムナカタ君、少々よろしいかしら?」

「なんだよ」

「CCさんの瞳の色と魔力光の色、ご存知でして?」

「ああ、それなら確か――」


 瞳のほうが深い蒼、魔力は確か深い赤、と答えようとした刹那。彼の眼前を黒い四角形が唸りを上げてすっ飛んでゆく。

 吹き飛ばされたのは間違いなく【防壁】。その行く先を目で追った大人たちだが、彼らが眼にしたのは、何事もなかったように陽だまりを受けて輝く中庭だけだ。術者クロのとっさの判断が功を奏し、うまく消滅させられたのだろう。


「クロスケがコントロールをミスるなんて珍しいな」

「……ボクじゃない」


 被害が出なかったことに安堵したシドだったが、女性陣の様子がおかしい事に気づく。

 クロはローズマリーを見つめて、口をぽかんと開けている。

 笑みが消えたカレンの目線の先では、ローズマリーがいつの間にか足を止めていた。


「CCが【防壁】をぶっ叩いたら、そのまま吹っ飛んでったんだ」


 困惑と共に見開かれた、少女の両の眼。その先にあるのは、深赤色の光をまとった拳だ。


「先生、これって……?」


 何が何だか分からない、とすがるような目で見つめてくる弟子に対して、シドはすぐに答えを返せなかった。目の前の事実を説明できる現象は一つしか思い当たらない。だが、それは本来、ローズマリーとは無縁だったはずだ。


「魔力【放出】……?」


 絞り出すようなシドの答えに、カレンとクロが揃って頷く。


「ムナカタ君の意見を支持しますわ」

「あのおクスリ、ずいぶんとんでもない代物みたいだね。CC、どこかおかしなところはないかい?」


 クロの言葉をきっかけに、二人の大人が少女のもとに駆け寄る。

 とめどなく溢れる魔力光以外、特に変わった様子はないようにも見えたが、よく見ると、瞳の色がいつもと明らかに異なる。


「CCさん、私の指が見えまして? 今立てている指は何本かしら?」

「三本です」

「ではこれは?」

「ゼロ、立ててないです」


 透明感に溢れた蒼から、血の色よりも深い紅。

 ローズマリーの瞳の色の変化に戸惑いながらも、カレンは極力冷静に、現状の把握に努める。小首をかしげながらカレンの質問に答えていた少女も、渡された手鏡で自分の顔をみてようやく、その意図を理解したようだ。


「ムナカタ君、車を出してくださいな。ハンディアに連れて行って、至急、診察を受けましょう」

「鍵、取ってくる。ちっと待ってろ」

「……ちょっと待ってください、シド先生、カレンさん。お医者様に見ていただくのは、本当に何かあってからでもいいと思うんです」


 静かに口を挟んだローズマリーの提案、その意図がわからなかったカレンは、つい強い口調で反駁はんばくする。


「瞳の色が変わって、今までどうやっても使えなかった魔法が使えるようになった。それを異常と言わずになんと言いますの!?」

「今の私は、証拠物件です。栄養剤と称されていたあの液体が、実はただの薬でなかったという証拠になりませんか?」

「体のほうが大事でしょう!」


 自分の意志に反した魔力【放出】の感覚に、本来は不安を覚えてもおかしくないはずのローズマリーだが、腹はもう決まっているようで、意見を曲げる気はこれっぽっちも感じられない。

 少女を心配するカレンの言い分がもっともなのは、シドも頭では理解している。だが、わずかに震える手を顎に当てて考え込む彼の頭では、淑女の思惑とは別の計算が動き始めていた。

 あの栄養剤とローズマリーの魔力放出、瞳の色の変化に因果関係があるのは明らか。彼女の指摘どおり、証拠として十分機能しうる。それがエマから情報を引き出す材料になるというなら、それに飛びつかずにいる道理もない。


「CC、君の指摘は半分正解だ」

「半分、とはどういうことですか?」

「証拠になりうるのは、瞳の色の変化の方だけだ。魔力【放出】は残念ながら、物的証拠としてはちっと弱い。往々にして、魔法ってのは『使えることを隠していた』って問答になりかねないからな」


 それに、薬の効果がどの程度のものか、いつまで続くのか、これ以外の副作用があるのか否か、今この場にいる誰にもわからないのも厄介だ。


「問題は……次にエマちびっ子に会うまで、薬の効果がもたねーことだろうな」

「その時はもう一回飲むまでです」

「なんてことを言い出すのかしらこの娘は、本当にもう……」

「シド先生も、私と同じ立場に立ったら、きっと同じことを言うはずです。そうですよね、先生?」


 投げかけられた真っ直ぐな言葉の裏にある、強い決意と気持ち。擦れた大人になってしまった自分が、どこかに置いてきてしまったなにかを少女のなかに感じたシドは、つい面映ゆくなって軽口でごまかしてしまう。


「俺が君と同じ立場だったら、『こんな怪しいもの飲むのやめましょう』っていうだろうな」


 だからこそ、いまの彼は、彼女の決断を尊重したいと思うのだ。それを言葉にするかわりに、シドはローズマリーを勇気づけるように、小さくて線の細い背中を軽く、そして優しく叩く。


「カレン、エマと話をする段取りをつけてくれ。CCもそのときはよろしく頼むぜ」

「はい、先生」

「ちょっと、ムナカタ君、CCさん? あなた達、なにを言ってるかわかってらっしゃるの?」

「子供が体張るって言ってるんだ。その心意気に答えるのも大人の仕事ってもんだろ?」

「あなたの行動は理論的なのか浪花節なにわぶし的なのか、時々判断に迷うことがありますわ……」


 手のかかる兄弟を持った姉のように、カレンはこめかみに手を当ててため息をつく。


「CCさん、本当に、体に異常はないんですのね?」

「大丈夫です、ご心配なく」

「ちょっとでもなにかあったらすぐにおっしゃってくださいね?」


 カレンの心配は本心からのもので、そこに悪意は一切ない。それがわかるだけに、ローズマリーも無下にできないのだろう。両肩を掴まれてまくし立てれられても、少々困った顔で微笑うばかりだ。


「カレン、心配する気持ちはわかるが、ちょっと確かめたいことがあるんけどさ」

「……少し、席を外します。エマさんに連絡を取ってまいりますわ。明日の朝一番にご都合つけていただくよう、交渉してきます」


 ローズマリーが気がかりなのか、後ろ髪を引かれる様子のカレンだったが、シドの言葉に押されて中庭から出てゆく。


「CC、あまり時間もないから、早速始めるぞ」

「よろしくお願いいたします」


 栄養剤の効果がどれほど続くかわからない以上、検証は速やかに済まさなければならないだろう。

 引き続き、ローズマリーの相手を務めるのはクロ。シドは二人の様子を記録するべく、懐から愛用の手帳と万年筆を引っ張り出した。

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