7.21 これで私も、先生とお揃いですね
【防壁】を展開する。
言葉にしてしまえばただそれだけだが、考えるべきことは意外と多い。特に近接戦闘であればなおさらで、どこに、どれくらいのサイズで、どれくらいの硬さで壁を置くかを瞬時に判断し、正確にかつ迅速に展開しなければいけない。
そして、身を護るという役割である以上、破られてはならないのはもちろん、動かされてもいけない。壁際で【防壁】を展開したはいいけれど、固定が甘くてふっとばされて圧死した――なんて笑えない実例もある。
クロもそれは重々承知しているはずだが、ローズマリーの当て身によって【防壁】をふっとばされたのは紛れもない事実。まず確認するべきは、少女が使う【放出】の威力になる。
「クロスケ、【防壁】の硬さはそのままにして、サイズだけ大きくしてくれ」
だいたいこれくらいかな、とシドが空中に描くのは、扉一枚分より気持ち小さい程度の長方形。小さくうなずいたクロが尻尾を振るえば、あっという間に黒くて四角い【防壁】がそこに現れる。
厚みはほとんどなく、
「じゃあCC、さっきの要領で思いっきりブッ叩け」
深く腰を落として息をついたローズマリーは、短い気合の声とともに駆け寄り、深紅の輝きを放つ掌底を叩き込む。
だが、黒い【防壁】は揺らがない。
さっきは吹っ飛ばせたのに、どういうことか。
今ひとつ納得できていないのか、少女は眉を寄せたまま、続けざまに蹴りを、再び掌底を、矢継ぎ早に叩き込む。でも、やはり結果は変わらない。
「次、サイズはそのままで、強度だけ落として」
「本当に君は猫使いが荒いねぇ」
クロは文句たらたらだが、仕事はしっかりやってくれる。【防壁】の見かけは全く変わらないから、他人にその努力が伝わりづらい、という欠点はあるが。
「CC、思いっきりやってくれ」
少女が短く返事を返し終わった頃には、すでに鋭い一発が繰り出されている。
深紅の拳が触れた途端、漆黒の【防壁】防壁は板ガラスよろしくあっけなく砕け、拘束力を失った魔力が霧となって消えてゆく。
「つぎ、同じものを三枚連続で」
左の正拳、右の正拳、最後に左の裏拳。
障子紙でも相手にしているかのように【防壁】を叩き破られる様子をみて、クロは撫で肩をさらに落とす。
「あんまり強度を出してないとはいえ……丸腰のCCに【防壁】を破られることになるとはね」
「私もまさか、【放出】を使える日がくるとは思いませんでした」
「初めて使う魔法の感想はどうだ、CC?」
今ひとつ実感がわかないのか、何かを疑うように眉を寄せ、両の手のひらを見つめていたローズマリーだったが、シドに呼ばれてゆっくりと顔をあげる。
「振り出した手足から影だけが伸びていくというか……ごめんなさい、上手く表現できなくて」
ローズマリーは魔力放出が使えず、徒手空拳では【防壁】を動かすことも砕くこともかなわない。だからこそ、【加速】と武器格闘に活路を見出して特訓を積み、奥の手として
そんな少女が、魔導器の力を使わずして、【防壁】を吹き飛ばし、叩き割った。その結果に一番驚いているのが当の本人であることは、想像に難くない。
まだ困惑を薄く残した少女のそばに歩み寄ると、シドはその瞳を覗き込んだ。
「目はまだ赤いまま、か。あの栄養剤、一体なにが入ってやがるんだ……?
CC、何度も聞くようで悪いけど、本当に体は大丈夫なんだな?」
「いえ、特に何も」
「薄めたからこの程度で済んでるのかもしれない。君にしちゃ良い判断だったね、シド君?」
エマの言葉をヒントにしたとっさの思いつきだったが、案外いい処置だったのかもしれない。
「とはいっても、こいつは日常的に使うには、ちっと危険過ぎるシロモノだな」
「……やっぱりそうですよね」
どんな手段を使っても、強くなれるならそれでいい、と食ってかかられる覚悟をしていたシドだったが、予想外のしおらしい返事に拍子抜けする。
「先生ならきっと、そういうと思っていました。
今の私が使っている【放出】は、自分の理論に基づくものではありません。体が勝手に反応しているだけというか……。今もを止めようと試してはいるんですけど、止まらないんです。少なくとも、自分の意志で使っている感覚は持てません」
シドとクロは何も言わず、ただ頷きながら、少女の意見を聞いている。
「【加速】や【身体強化】なら、まだなんとか説明はできます。でも、この【放出】は……やっぱり、自分の意志じゃない」
傍から聞いていれば支離滅裂にも程がある言葉。
でも、シドもそれなりの期間、彼女の師匠として振る舞っているのだ。言いたいことはなんとなくわかる。
手にしているこの力は
「何が自分の力で、何がそうでないのか。それがわかってんなら十分だ」
借り物の力に
シドとローズマリーのコンビで挑んだ最初の「魔法使いもどき」、立てこもり犯がいい例だ。自分と
「でも、ずっと魔力をたれ流しっぱなしってのもまずいな。ちっと待ってろ」
自室に戻り、トランクから予備の制御帯を引っ張り出したシドは、急いで中庭に戻って少女の手当をする。
彼女のトンファーと一緒で、魔導回路に流れる魔力を抑制してやればいい、という安易もいいところの考えだったが、幸いなことに上手くいったようだ。
少女の細い腕に制御帯を一巻きする度に、拳から溢れる光が、徐々に先程の勢いを失う。感心したように見つめるローズマリーの視線が、少しくすぐったい。
「ほら、できたぜ」
「ありがとうございます。これで私も、先生とお揃いですね?」
互いの両腕に巻かれた魔力制御帯をしげしげと見つめるローズマリーに対し、照れくささを隠すようにちょっとぶっきらぼうに振る舞うシド。だが、その顔には薄く
真実に近づくために、年端もいかない少女に無理を課す。本人が申し出たこととはいえ、それがどこまで許されるのか、今ひとつ自身が持てないでいたのだ。
師匠の内心を知ってか知らずか、ローズマリーは少し微笑んで呟く。
「大丈夫ですよ、先生。さっきも言ったとおりです。
私は先生を信じます。だから、先生も私を信じてください」
「……簡単に言ってくれやがる」
シドが信じられないのは少女の言葉ではなく、自分の決断だ。その責を追うのは、本来なら自分でなければならないはず。目の前で静かに微笑む少女が背負うものではない。
ふと、黒猫がこちらを見ているのに気づく。猫には似つかわしくない不敵な笑みは、きっと、頼りない主人へのメッセージだ。
――弟子の信頼に答えるのも、師匠の大事なお仕事だろ?
「ったく、しょうがねぇなあ」
心に取り払った影を振り払うように、シドはローズマリーの頭を乱暴に撫でると、抗議の暇を与えずに宣言する。
「子供に無理させんのは気が進まねーが、次にあのちびっ子に会うときは、もう一度栄養剤を使うことになる。不測の事態がないように気をつけるが、もし万が一のことがあっても心配するな。
俺が君を守ってやる。だからついてこい。力を貸してくれ」
「はい、先生。お供いたします」
待ってましたとばかりに微笑んだローズマリーは、ロングスカートの裾をつまんで綺麗に一礼した。
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