7.19 試すのなら、私がやります
夜を徹してハンディアと王都を往復し、宿に戻って一寝入りしたシドは、昼過ぎに空腹で目を覚ました。
女将に作ってもらったサンドイッチ片手に中庭へ出てみたら、ローズマリーがクロを相手に訓練の真っ最中だ。
クロが
サンドイッチを頬張りながら、シドは少し遠巻きに少女の動きを眺める。王都からの帰り道、確かにローズマリーは静かに寝息を立てていた。だが、公用車の乗り心地がチンクエチェントより快適であることを差し引いても、ここまで動けるほど休めるものなのか、シドにしてみれば不思議で仕方ない。
これが若さか? と首を傾げていたシドに、滞りなくメニューを終えたローズマリーが一礼して声をかけてくる。
「おはようございます、先生。よく眠れましたか?」
「おかげさまで、な。
訓練の腰折って悪いが、お三方、ちょっといいか?」
シドは懐から小瓶を引っ張り出した。中身は淡青色の液体――エマのすすめで買い求めた、例の栄養剤だ。
「分析を頼んだんだけど、一本余ってな。警察から引き取ってきたんだ」
「この栄養剤がどうかしましたの、ムナカタ君?」
「ちょっと使ってみようと思うんだが」
シドの一言に、女性陣は一瞬、言葉を失い戸惑う。
最初に反応したのはカレン。いつもの淑やかさはどこへやら、イスを蹴っ飛ばして立ち上がり、シドに迫る。
「何を考えてらっしゃるの、ムナカタ君!?」
その剣幕たるや、「ボクは知らないよ」と言いたげにそっぽを向き、知らんぷりを決め込もうとしていたクロが、ローズマリーを引き連れて止めに入るほどであった。
「何が入ってるかわからないって、警察が言っていたんでしょう!? そんなものを服用なさるなんて、一体どういう了見なのかしら!?」
「別に一本まるごと飲むとは言ってねーだろ? 薄めたやつをスプーン一杯だけだ」
「正体がわからないものを口にするなんて、正気の沙汰ではありませんわ! 一体どういう効能があるのか、エマ様に直接聞けば済む話でしょう?」
「それですんなり教えてくれるならいいけど、そうでなかったらどうする? そもそも、コイツをクロスケに与えるって名目で処方箋を書いてもらったんだ。下手なこと口走ってみろ、何されるかわかったもんじゃねーよ!
それに、別に全員で飲もうってわけじゃない。言い出した責任をとって俺が飲むから、なんかあったらふん縛ってでも止めてくれ」
シドが言い終わる前に、カレンはもう首を横に振っている。
「断言してもいいですわ。力づくで止めようとしようものなら、あなたは間違いなく、無意識のうちに【防壁】を張るに決まってます。そうなったら誰も手出しできなくなりますわ。やはりダメです、却下です!」
「そんなことするかよ……あっ!」
シドが肩を落とした一瞬の隙を突いて、カレンはビンを取り上げ、小袖の胸元に押し込む。
「あ、ずるいぜカレン!」
「使えるものは何でも使え、そうおっしゃったのはあなたですわよ、ムナカタ君? 取れるものなら取ってご覧なさいな?」
勝者の笑みを浮かべてカレンは胸を張る。ローズマリーやクロがいる前で、女性の胸元に手を突っ込む度胸なんてない。シドの性格も行動も、彼女はおおかたお見通しだ。そんな狼藉に及ぼうものなら、今後ずっと、少女には冷たい目で罵られ続け、使い魔にそれをからかわれるハメになり、仕事に大いに支障をきたす――そんなシドの予測さえも見抜いているかも知れない。
大人同士の子供じみたやり取りを黙って見ていたローズマリーだったが、このままでは埒が明かないと思ったか、声のトーンを一段落としてつぶやいた。
「シド先生、お戯れが過ぎますよ?」
「……え、まだ俺、手ぇ出してないよな? 何で俺だけ怒られるの?」
「お返事は?」
「……すんません」
ティーン・エイジャーの少女を前に、大の男が四の五の言えずに縮こまっているのは奇妙な絵だ。その様子に毒気を抜かれたか、カレンも小さく咳払いをしていつもの落ち着きを取り戻す。
「……先生は、なんでも自分で背負いすぎです」
クールかつ有無を言わさぬ、強い眼差し。少女の意図を読み取ったのか、カレンは小瓶をローズマリーに渡す。
「試すのなら、私がやります」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げたシドは、自分のやろうとしていたことを棚に上げて止めに入る。
「CC、君、意味わかって言ってるんだろうな?」
「もちろんです。この青い液体を薄めて飲むんでしょう?」
カレンはシドの袖を引っ張って落ち着かせると、ローズマリーに続きを話すよう促した。冷静さを崩さないメイド少女には何かしらの考えがある、そう見て取ったのだろう。
「この薬を飲んで万が一の事があったときに、一番リスクが少ないのは、たぶん私です。シド先生とカレンさんはお二人とも一流の魔導士ですから、何かあった時に、残りの三人で抑えが効く保証がありません。
でも、逆だったらきっと大丈夫です。仮に私が暴走したとしても、先生とカレンさんとクロちゃんが揃ってるんですもの、きっと止められるはずです」
言っていることは間違っていないのだが、年若い彼女にその役を背負わせるのは気が進まない。
腕を組んだまま唸り、悩むシドを見つめながら、ローズマリーがさらにもうひと押しとばかりに説得にかかる。
「いつも言っているでしょう、もっと弟子を信じてください。私も、先生を信じます」
女の子真っ直ぐな瞳で見つめられると勝てないのは、俺の悪い癖だな――。
シドは決意を固めて大きく頷き、少女の申し出を受け入れる。
師匠のGOサインが出たとなればなれば、もう後は行動するのみ。早速女将から水差しをもらってきたローズマリーは、自らの手で淡青色の液体を薄めてゆく。
「では、やってみます」
うす青い液体に一瞬躊躇したローズマリーだが、意を決して口に含み、飲み下す。しばらくは眉を寄せていたが、一分と経たずに、いつもの静かな表情に戻った。
「だ、大丈夫か?」
「……味は特にしませんね。薄めてるからかしら?」
「熱っぽいとか、どこか痛いとか、異常はないんですのね?」
「今のところは、何も」
大人たちが揃いも揃って病気の子供扱いをしてくるのがおかしいのか、ローズマリーは苦笑いを浮かべながら軽く体を動かしてみる。魔力を強制的に吸い上げるいつものトンファーは、机においたままだ。
中庭をゆっくりと歩き回ると、シドを相手に少し組み手を演じてみる。少女の動きは、いつもとあまり変わらない。【加速】抜きでも十分シャープで、重さや鈍さは感じられない。
「そんじゃ、魔法を使ってみるか? クロスケ、相手してやってくれ」
「ボクがかい?」
「俺とカレンで、CCを観察したい。そもそも俺の【防壁】じゃ何の変化も見えねーだろ?」
「そりゃそうだけどさ……」
「さっきまでCCの訓練に付き合ってた、あの要領で一つ頼むぜ」
猫使いの荒い主人だね、とぼやきながらも、クロはしっぽを指揮者よろしく振り回し、【防壁】を発現させる。
周囲に次々と発現しては消えてゆく、漆黒の薄板。ローズマリーは掌底、拳、肘、膝、かかと、足底と、体の各部を利用してそれらを的確に叩く。
ステップこそ例によって変則的だが、攻撃のリズムはどこか心地よさすら覚えるものだ。その華やかさは格闘戦技の訓練というよりは、むしろ舞踏と言ったほうがふさわしい。
そして、年若い頃から魔法に慣れ親しんできた二人の
「なにか変化はございまして?」
「特に何も……」
淑女の目配せに、シドが首を振る。今の所、特筆すべき変化が生じている様子はない。
「じゃあCC、もうちょい速度を上げてみようか。あと、もっと思いっきり【防壁】ブッ叩いていいよ」
「飛んでっちゃっても知らないよ?」
「お嬢さんの細腕でどうにかなるほど、ヤワと思われてるなら心外だな」
やれるもんならやってみろ、と言いたげに、クロが不敵に笑う。
先程よりもハイ・テンポの【防壁】の発現と消失。得意の【加速】魔法でそれに食らいつくローズマリーは、その細い腕と華奢な足を躊躇なく振り抜いてゆく。
「どうだ?」
「動き自体に異常はありませんわね。【防壁】のほうはいかがかしら?」
「いつもどおりだなぁ」
漆黒の【防壁】の消失はクロの制御によるもので、ローズマリーが叩き割っているというわけではない。あれだけの速度で動き回り、かつ攻撃を当てているのは大したものだが、それ以上特筆すべき点は、今のところない。クロの表情が変わらないところを見ても、シドの見立てに間違いはないようだ。
「調子がいいね、CC。さっきの栄養剤のおかげかな?」
「そんなに早く効くとも思えないけど……」
少女をリラックスさせようとしてるのだろうか、一旦【防壁】の展開を止めたクロが軽口を叩く。その言葉に首を傾げたローズマリーは、身体に変化がないか、入念に観察している。
「じゃあ、もうちょっとテンポを上げてみようか?」
少女は返事をする代わりに、すう、と息をつき、眼を少し細め、腰を落として集中する。
我が子を見守る、慈愛に満ちた眼差しを見せていたクロだったが、いざ魔法を使うとなれば、その表情は一変する。野生を狩場とする捕食者を思わせる獰猛な笑みを浮かべた黒猫は、先程以上の勢いで尻尾を振るいはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます