7.18 どこからどう見ても可愛い女の子じゃない

「ただいま戻りました」

「あー、終わった終わった……」

「おう、ご苦労さん」


 一仕事終えて、ローズマリーは意気揚々と、クロはしきりにあたりを気にしながら、車へと乗り込む。

 ねぎらいの言葉もそこそこに、シドは公用車のアクセルを蹴っ飛ばす。ローズマリーは柔らかい座席に押し付けられて可愛い悲鳴をあげるだけですんだが、クロは油断していたせいか、後部座席に転がって間抜けな鳴き声をあげるハメになった。


「シド君、アクセルはゆっくり踏んでおくれよ」

「そうは言うけど、一秒でも早く戦利品をアンディに持ってってやらないとな」

「シド君とは長い付き合いだけど、まさか野良猫の真似事までさせられると思わなかったよ」

「たまには猫らしい仕事を頼んでみたけど、あまりお気に召さなかったみたいだな? で、首尾はどうだった?」


 ローズマリーは白いビニール袋を掲げてみせる。中身は主に使用済みの点滴パックだ。


「しかし、これっぽっちの液体で、その物質が何なのかわかるもんかね?」

「クロマトなんとかって言ってたかな……? 俺も具体的な理屈は知らねーんだけどな」


 仕事柄、警察の科学調査部が分析した資料を目にすることも多いシドだが、一目見ただけでは何が何だかさっぱりわからないものも多い。アンディも詳しい説明を担当に任せることが多いので、「どのような分析手法があるか?」「その分析で何が明らかになるか?」はわかっていても、基本的な原理原則やノウハウまではおそらく理解してはいないのだろう。もっとも、組織においては役割分担が存在する。各々が持ち場できちんと力を発揮すればそれでいい、という考え方は至極しごく当然のものだ。


「でも、分析で出てきた結果が『よくわからない物質』というのは奇妙ですね」

「ハンディアで出回ってる薬のすべてが特殊なのか、あの栄養剤だけがヘンなのか調べたいって言ってたな」


 ローズマリーは膝に乗ってきたクロを優しくなでながら、空いた片手を顎に当てて考え込む。


「先生がお求めになられた栄養剤は、薬局で購入できるものです。それが特殊というのなら、市井に出回ることのない、病院で使用されている薬が普通とは考えにくいと思うのですが」

「普通はそうだよな。ただ、それを裏付ける根拠は必要だ。それを今から確かめに行く」


 少なくとも『ハンディアで流通している薬が普通のものではない』ということがはっきりすれば、エマに問いただすきっかけもできるというものだ。

 戦利品を足元にしまいこんだローズマリーが不安げに見つめるのは、フロントガラスの向こうに広がる月のない夜と、真っ暗なイスパニアの大地。王都の明かりが見えるにはまだ遠く、今の彼らが頼れるのは公用車の前照灯くらいのものだ。


「……暗いですね」

「そりゃ夜だからな」

「お疲れじゃないですか、先生?」

「仮眠までとってるんだ、別にどうってことねーよ。道中始まったばかりだし、疲れたところで君たちに替わってもらうわけにもいかねーだろ?」


 ローズマリーはまだ四輪の免許を持っていない。ステアリングを握れば足がフロアに届かず、ペダルを踏もうとすれば外を見ることすらできなくなる黒猫は論外だ。

 絵に描いたようなクール・ビューティで、だらしない生活態度を見せれば容赦なく小言を飛ばしてくる、でも本当は優しい少女。その気遣いはありがたいが、運転は彼の仕事だ。


「そう言えば、昼間は街を見に行ってもらってたけど、どうだった?」


 どこから話しましょうか、と少し思索にふけった後、少女は少しゆっくりと、言葉を選んで説明し始めた。どういうわけか、少し申し訳無さそうな顔をしている。


「街を歩いていたら、おしゃべり好きなおばさまたちに、新人のメイドと間違われまして。あちこち街を案内していただいて、お話を伺うことができました」


 年若く線の細いローズマリーを、お使いに出たはいいが道に迷った子猫とでも勘違いしたのだろう。結果、ハンディアの南地区を懇切丁寧に案内してくれただけでなく、一つ質問すればその十倍の答えで返してくれる有様だったという。物静かな少女は、若干気圧されながらその話を聞いていたらしい。

 律儀なローズマリーは、その内容もきちんとメモに取っていたのだが、それを見たおばさんの一人に


「あら真面目ねぇ。ウチのバカ息子にも見習わせたいわ。だいたいあの子ったら学校の宿題も……」


 とまくしたてられた上、そこから話の輪が無秩序に広がるから困惑する一方だったとのこと。愛想笑いをするCCなんてなかなかお目にかかれないぜ、とはクロの弁だ。

 少し照れた様子でコホンと可愛く咳をすると、少女は静かに話し始める。


「病院で勤務しているお医者様の腕は、かなり良いとの評判です。難しい症状と言われている患者さんも、大概は良くなって帰っていくそうですよ」

「……ハンディアは不治の病クラスの患者も受け入れてるって言ってたよな?」

「おばさま方が言うには、ご遺族と思しき方々をあまり目にしたことがない、と。仕事で東地区によく行く方の話ですと、そこの教会の神父様が忙しくしている様子なんてみたことがないんですって」


 神父が忙しくなるのは冠婚葬祭のうち、主に婚礼と葬儀だ。難病患者を多く抱えるハンディアの特性を考えれば、本来、神父が毎日のように葬儀に駆り出され、過労死したって何ら不思議ではない。


「シド先生、西地区はご覧になってましたよね?」

「ちょっとだけな。ちびっ子に会ってすぐに、南地区に戻ってるし」


 思えば、エマと交わしたあの会話こそが大きな転機となった。思いつきで書いてもらった処方箋を元に薬を買い求め、それを分析に回してようやっと、八方塞がりの状態から一歩踏み出せたのだ。懐を痛めて甘いものをごちそうした成果としてはまあまあと言ったところだろう。


 ――あそこでちびっ子エマと会ったのは、偶然か?


 そんなことを考えていたものだから、シドの返事はどこか上の空。少女に「ぼんやり運転なさるのはご勘弁ください」とたしなめられて、ようやっと我に返る始末だ。

 

「西地区の広い空き地、あれはもともと墓地用に確保したものなんだそうですけど、本来の用途で使われる頻度がかなり少ないそうで、今では別の目的で使う計画があるとの噂です」

「そりゃそうだろうねぇ」


 ローズマリーに背中をなでてもらってだいぶ落ち着いたのか、クロがあくびをしながら答える。


「ハンディアで亡くなった人がみんな、現地で埋葬されるわけじゃないだろう? 家族のもとに遺体を返さない病院なんてあるもんか」

「いや、それはわかんねーぞ?」


 ステアリングをしっかり握り、暗闇に眼を凝らしながら、シドは相棒の指摘に異を唱える。 

 

「ハンディアは単に、でかい病院があるってだけの街じゃない。研究機関があるってことを忘れちゃいけねーよ」

「どういうことだい、シド君?」

「珍しい症例の患者とか、その遺体を、あいつらが簡単に手放すとは思えない。むしろ、絶好の研究対象として扱うんじゃないか」


 そんな、と息を呑んだローズマリーから反論の言葉が流れ出す。


「いくらなんでも、そんな振る舞いは許されないでしょう?」

「医者の常識が、一般から見れば非常識にあたることだってあるんじゃないか?

 難病に侵されて助かる見込みがないと言われた患者と、新しい治療法や薬を使う機会の欲しい医者。利害の一致はあるだろ? 患者側としては、命が助かれば儲けもの。医者からすれば、どう転んでも何かしらのデータは手に入る。ハンディアの研究者連中がそんなチャンスを逃すとも思えねーけどな」


 ここまで言ったところで、ようやく二人から怪訝そうな目で見られていることに気づいたのか、シドは慌てて言い繕った。


「あくまでも可能性の話だ、それが正しいか間違っているかを論じる気はねーよ」

「それならいいんですけど……」

「シド君、時々びっくりするくらい不謹慎なこと言うからねぇ……。ボクは慣れてるから構わないけど、CCをあんまり不安がらせちゃダメだぜ?」


 悪い悪い、といいながら、シドはアクセルを踏み込んだ。

 夜中とあって、道を行くのはトラックか、長距離バス位のものだ。いつもよりも空いた道を、地面に張り付くかのような安定感とともに、黒い公用車が行く。


「ハンディアに担ぎ込まれた患者の生存率が高いにしろ、遺体が遺族の元に帰れないにしろ、『魔法使いもどき』に直接関係する情報は、さすがに出てこないか」


 そこまで口にして、シドはようやく、ローズマリーの申し訳なさそうな顔の理由に思い当たった。

 おそらく、事件につながる情報を得られなかったことが心残りなのだろう。ちらりと横目で助手席を見れば、厳しい眼差しは影を潜め、どこか肩を落としているようにも見える。


「まあ、こういうのはうまくいかないのが普通、って考えるくらいでちょうどいいのさ。君が昼間に会ったおばさま方は研究者でもなければ魔法使いでもねーんだからなおさらだ」

「お心遣い、いたみいります……」


 魔導士養成機関アカデミーを優秀な成績で出たとはいえ、そこで教わるのは魔法であって聞き込みのテクニックではない。それを教えるのはローズマリーの本来の所属――警察の仕事だが、彼女は入庁早々シドのところに出向してきているので、その手の技術の蓄積はほぼゼロ。シドもそこは承知の上で、彼女に仕事を任せているのだ。文句を言うほうが間違いというものだ。


「他になにか、話はしなかったか?」

「エマ様の評判をそれとなく伺ってみたんですけど」


 びっくりしましたよ、と淡々と語るローズマリー。本当にびっくりしたのか、とつい問い直したくなる顔をしている。


「あの人を悪く言う様子が、まったくないんです」

「……とはいっても、数人のおばさんから聞いただけだろ? その言葉を鵜呑みにするのは危険じゃねーか?」

「でもシド君、初日のあの熱狂っぷりを見ただろう? あれで民衆からそっぽ向かれてるっていったら、もう誰も信頼できなくなるぜ?」


 見たどころじゃない。

 耳で聞いて、熱気を肌で感じ、そしてちょっと引いた。


「街の統治者に向ける視線にしては異質でしたね」

「今時、アイドルのコンサートでもあそこまでの狂乱はお目にかかれねーよ」


 思い当たる理由のない者がみれば間違いなくドン引きするであろう騒ぎを巻き起こし、かつそれを一声で静めてみせたあの振る舞いは、ただの子供のものとは思えない。

 そこまで考えたところで、シドはふと、あることに気がついた。


「そういやクロスケ、あのちびっ子に初めて会った時、ずいぶん怯えてたみたいだったが、なんかあったのか?」


 あれねぇ、とクロはあからさまにげんなりした顔をする。車酔いも相まってか、本当に大儀そうだ。先程から彼女を撫でていたローズマリーの手つきが、より繊細さを増す。


「……調査に支障があるかもしれないから黙ってたんだけどさ」

「あんたにそんな配慮ができるなんて知らなかったぜ、クロスケ」

「シド君だけなら遠慮なく言ってたところだけど、CCとカレンお嬢様がいるとなると話は別さ。経験の浅い魔導士に余計な先入観は与えないほうがいいし、お嬢様は隠し事が得意でないときてるからね」


 この期に及んでなおためらいを見せるクロだったが、早く話せと無言でプレッシャーをかけたのが聞いたか、意を決したように続きを話し出した。


「あの娘、たぶん、人間じゃない」


 予想の範疇を大きく超えたクロの言葉に、シドもローズマリーも何も言えず押し黙ったまま。言った本人が一番当惑する始末だ。


「あ、あれ……? なんにも反応なしかい? なんとか言っておくれよ……」

「クロちゃん、いくらなんでも、それは無茶ってものじゃ……」

「あいつが君たちと同じ生き物とは、ボクには到底思えない。ありゃ、幼女の皮を被ったバケモンだよ、間違いない」

「どこからどう見ても可愛い女の子じゃない? シド先生もそう思いますよね?」


 弟子の問いかけに答えず、シドはずっと、前を見つめたままだ。


「……先生?」


 エマの年齢を見かけから判断するなら、間違いなくローズマリーより年下だ。誰からも可愛いとちやほやされたり、ちょっと大人ぶってみたりする年齢のはず。シドには娘はおろか妹もいないので、あくまでも想像の範疇だが、当たらずとも遠からず、といったところだろう。老成した言葉遣いも背伸びした振る舞いの一部で家族から影響を受けたと言われてしまえば十分説明としては成り立つ。

 周りの研究者とのやり取りを数度見た限り、彼女が優秀な専門家であることは間違いない。研究者や医者という癖のある人間をあの若さで束ねているところからも、それは伺える。自分の才能を理解して使いこなしているのは明らかだ。

 統治者としてもエマは優秀なのだろう。名乗りを上げただけであれだけの騒ぎを巻き起こし、かつそれを小さな挙手一つで鎮めてみせるなんて、カリスマ性があるとか人望を集めるとか、そんなレベルでできるような芸当じゃない。

 専門家として垣間見せる才能と、統治者のふるまいから伺える風格。それらを兼ね備えたエマを見て「天に愛されている」の一言で総括するのは簡単だ。


 だが、エマの実績と年齢があまりにも乖離しすぎている事実は、シドの心に棘となって引っかかっている。


 才能のある人間――医者ではなく魔導士の話だが――には、シドも嫌というほど巡り合ってきた。でも、その全てが自らの才を活かしきれたかと言うと、そうではない。才能に溺れて身を滅ぼした者、才能に振り回された魔導士のほうがむしろ多いくらいだ。自分の天賦の才を理解し、訓練と試行錯誤の末に飼い慣らすまで至った人間は、シドの知る限り、皆それなりに年を重ねた人間たちだ。

 統治者にしても似たようなもんじゃないか、と言うのが彼の考えだ。歳を取っていればよいといいものではないが、相応の実績、経験、風格が備わっていなければ、民衆の支持は集まるまい。歳を取っていればいいというものではないが、少なくともあの幼い外見なりには長年の積み重ねや蓄積は感じられない。一都市の代表して据えるには、いささか小綺麗にすぎるようにも思えるのだ。


「……そうだ」


 風切り音、そしてエンジン音にかき消され、同乗者たちに聞こえないくらい小さい、シドの呟き。

 今までどうして思い出せなかったのか、と内心舌打ちする。

 

 あの時、エマは言ったではないか。

 優秀な猫、あるいは黒猫ではなく、を飼っておるの、と。


 一族郎党がみんな魔導士という家に生まれ、魔導士の文化に通じたカレンですら、初見でクロがただの猫ではないことまでは見抜けなかった。シド達と出会って一年半ほど経って、当人たちから真相を明かされてようやく気づいたほどである。

 見た目と知識と雰囲気がまるで噛み合わない、早熟で老成した幼女。でもそれも、彼女エマが人ならざるものと仮定すれば、すべて説明できてしまうのではないか――?

 シドは小さく首を振り、冷静さを取り戻すよう務める。

 あのちびっ子は一癖も二癖もある、油断のならない人物だ。もう一度、直接話を聞かなければ、きっと前には進めない。

 それには、クロとローズマリーの努力の成果を警察に届けて、無事にカレンが待つ宿に帰るのが大前提だ。そして、これまで薬の分析結果、ルイがもたらしてくれた文献調査の結果、これまで集めた情報を整理して、カレンと話を詰めておく必要があるだろう。

 いつもよりアクセルが余計に踏み込まれたものだから、クロがたまらずに悲鳴に似た抗議の声を上げる。だが、次の目標に集中してしまったシドに、その言葉が届くことはない。

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