7.15 間違ってもあの娘に手ぇ出すんじゃねーぞ

「そうだルイさん、もう一個聞きたいことがあるんだ」


 なんです、とシドに向き直った司書長補佐は、既にいつもの柔和な笑みを取り戻している。


「さっき、『お嬢さんが作ったリスト』って言ったよな?」

「ええ。だって、字はどう見ても先輩のものじゃないですし」

「でも、そのリストを作ったのが女性だって言った覚えもないぜ?」


 ルイ宛ての手紙は非常にシンプルなものだった。

 リストに載っている論文の抜き刷りかコピーを至急用意されたし、忙しいところ済まない――。

 元の文面はもうすこし丁寧だが、内容をまとめてしまえばこの一文につきる。

 引っ掛けられたかな、と少々引きつった笑いをするルイに、シドは畳み掛ける。


「あんた、あの字が誰のものか知ってるな?」


 しばし考えた後、隠し立てをしても仕方ないと諦めたのだろうか、観念したようにルイが口を開く。

 

「最近、メイド服を着た銀髪の女の子がよく来るんで、手伝ってあげてるんですよ。すごく勉強熱心な子で」

「ほうほう」

「立ち居振る舞いもそうですけど、机に向かってる時は特に、近づくなって圧がすごいんです」

「なるほどなるほど」

「必要なこと以外は話さないし、聞かないでほしいって、眼で語ってるんです。先輩の【防壁】みたいに頑ななんですよね」


 でも、と力強く拳を握りながら力説するルイを、シドは冷めた目で見ている。


「あれくらいガードが硬い女の子を落とすってのも燃えるんですよねぇ」

「その娘、黒猫を連れて歩いてないか?」

「ええ。ずいぶん毛並みのいい猫でしたね。お嬢さんが時折その猫を撫でるんですけど、その手付きと笑顔が柔らかくて可愛いんですよ……。

 あれ、先輩、なんであのお嬢さんが黒猫と一緒って知ってるんですか?」

「とっくにご存知なんだろ?」


 笑顔と呼ぶにはいささか禍々しすぎるシドの表情に、ルイは顔を引きつらせる。


「先輩の関係者でしたか……じゃああの黒猫って、先輩が飼ってたあの猫ですか?」

「そういうことだ。だから手を出してくれるなよ」

「そうは言われましても」

「冗談でも何でもねーんだよ。あの娘はさる筋からの預かりものなんだ。もし傷物にしてみろ、俺もあんたを擁護できないし、監督不行き届きでお縄、下手すりゃ打ち首獄門だ」

こっちイスパニア風に言えば『断頭台の露と消える』ってとことですね……」

「そういうわけだ、間違ってもあの娘に手ぇ出すんじゃねーぞ。

 つーか、女遊びに興じるのも程々にしとけよ。将来有望な人間が、女関係のトラブルで失脚したり命を落としたってなったらみっともねぇだろ?」

「そうは言われましてもね……。こういう性分ですから、もう一生治らないかもしれませんよ?」


 いろいろ忠告こそするものの、彼の女好きについては、シドも内心ではもう諦めている。

 女遊びをやめろとは言わないが、散々痛い目を見ても懲りないのでは、もうどうしようもない。いつもならこれ以上の忠告はしないのだが、この時のシドは少し感傷的だった。


「どんなやつであっても、友人を失うってのは気分がいいもんじゃねーんだ。揉め事を起こすくらいならいいけど、死ぬんじゃねーぞ」

「……珍しいですね、先輩がそんなこと言うなんて」

「うるせぇ」


 心に浮かんだ寂寥せきりょう感を振り払おうと、シドはぶっきらぼうに言い放って席を立つ。


「いずれにせよ、協力には感謝してるぜ、ルイさん。またなんか聞くかもしれねーけど、そのときはよろしく頼むよ」

「ええ。どうぞご贔屓ひいきに」


 ルイに見送られて図書館を出る頃には、シドの心、そして表情からも、先程のような影は消えている。

 謎が謎を引き寄せる状況は面倒なことこの上ないが、彼ができることはその一つ一つを潰して前に進むことだけだ。

 それに、今の彼にはローズマリー、カレン、クロがついている。三人寄れば文殊の知恵というのだし、何を恐れることがあろうか。

 いささか乱暴な理屈で無理矢理に自分を勇気づけたシドは、仲間の待つ宿に向かって公用車を走らせた。




 シドが宿に戻ったのは予定時刻よりもだいぶ遅かった。王都を出るときに見事に渋滞に引っかかったのだ。

 シャワーを浴びたシドは、経過を報告するためにローズマリー達の部屋を訪れる。


「おかえりなさい、シド先生。ご苦労様でした」


 出迎えてくれたのは可愛らしいパジャマのローズマリーと、いつもどおりに綺麗な毛並みのクロ。カレンはバスルームにいるのだろう、シャワーの水音が響いている。


「久しぶりの王都はいかがでしたか?」

「警察と図書館にしか行ってねーからなぁ」

「一日でとんぼ返りとは大変だね。物見遊山でもしてくりゃよかったのに」

「そうも言ってられねーさ、一応報酬もらってここに来てるんだ。平日くらいはちゃんと仕事してるふりしねーと、カレンに怒られちまう。

 つーか、クロスケ、ずいぶん元気そうじゃねーか?」

「おかげさまで。まる二日寝てたらずいぶん良くなったよ。しばらく乗り物から離れてたのが良かったのかな?」


 軽口を叩けるなら特に心配することもないだろう。安堵のため息をついたシドは、遠慮なくソファに腰を落ち着ける。


「今のうちに聞いとくけどさ、CC。図書館で、ルイさんから変なことされてないよな?」


 何を言うのか、と少々呆れた様子のローズマリーは、両手を腰に当てて柳眉を逆立てる。

 あ、これお説教モードだ、と思った頃には時すでに遅し。少女の可憐な唇から矢継ぎ早にお小言が飛んでくるのがお決まりだ。


「声をかけられたらひょいひょいついていくような子供だとお思いですか?」

「いえ、そんなことはないです」


 世間から見たらまだ子供じゃねーか、という言葉を、シドは黙って飲み下した。わざわざ自分からやぶをつつき、蛇もしくはそれ以上の生物を呼び寄せる真似をする必要なんて、どこにもない。


「それに、男の人からの誘いに乗るほど、安い女のつもりもありません」

「それは、よく存じております」


 そうは言うものの、ルイの甘い誘い文句に乗った女性を数多く見てきているだけに、どうしても心配になってしまう。

 そんなシドの振る舞いをみれば、兄バカとか親バカとか言われても仕方がない。彼自身は彼女が復讐だの暗い過去だのに縛られず、健全に育ってほしいと願っているだけなのだが。その過程で、ルイのような女たらしは非常に厄介な障害になる可能性があるので、どうしても心配になるのだ。


「男性関係にだらしない女と思われるのは、さすがに傷つきますよ?」

「そんなことは全く思ってないので安心してください……」

「もっと自分の弟子を信じてくださいな」

「わかってるって」


 大の男が少女に叱られる図がおかしいのか、クロがからかうように鳴く。そんな状況では、ローズマリーのお説教モードもそう長くは続かず、空気が少し和む。


「私としたことが、帯を忘れてしまいましたわ……」


 師匠と弟子と猫が作り出していた穏やかな空間に、バスルームの扉が開く音が響く。それに続いて、カレンの足音が近づいてきた。


「あら、ムナカタ君、戻ってらしたのね? お疲れ様」


 まったく緊張感のないカレンの声。

 その声に振り返ったローズマリーは、お湯加減いかがでしたかと口を開きかけて絶句する。ソファに座って言葉もなく固まったシドの足元では、クロがカレンを見上げてぽかんと口を開けたままだ。



 浴衣の前をはだけさせたまま、カレンは客間に足を踏み入れる。



 濡れ羽色の髪に、湯上がりで上気してほんのり赤くなった胸元。くびれた腰と引き締まった腹部に続く曲線はまさに流麗の一言だ。

 そして、一つ飛ばした先にあるのは、普段は袴で隠されて拝むことも敵わない麗しの脚線美。

 そんなカレンの艶姿あですがたをモロに目の当たりにして思考が空白になったか、シドは声もなくただうなずくばかりだ。


「クロちゃん!」


 万屋ムナカタ一行の中で、一番早く立ち直ったのはローズマリーだった。手近なタオルをひっつかんでカレンに駆け寄る。

 クロも少女の叫び声に反応したはいいが、困ったことにカレンがどこに帯を置いているかなんて知らないし、興味もない。

 

 そうなれば、男の視界を何とかするのが先だ――

 

 そんな本能に駆られたか、クロは絨毯を力強く蹴り、シドの顔めがけて飛びかかる。


「ちょ、うわ、待て」


 カレンに眼を奪われていたシドが我に返り、眼前に迫る黒い毛玉を認識した時には、すべてが遅きに失した。

 彼は結局、クロの突撃を防ぐことも避けることもできないまま、ソファごと後ろにひっくり返るという、なんとも間抜けで締まらないオチを迎えるのだった。

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