7.14 混じり気なしの悪ですよ

 シドが次に向かったのは王立図書館だ。魔導士養成機関アカデミーの目と鼻の先にあり、シドも訓練生時代はカレンと一緒に足繁く通ったものである。彼にとっては馴染み深い場所だ。

 でも別に調べ物をしに来たわけではない。彼が向かうのは館内はなく、事務室だ。そこではすでに、約束した相手が待っている。


「忙しいところ悪いね、ルイさん」

「ホントですよ」


 王立図書館の司書長代理、ルイ・バングルスが、シドを渋面と共に出迎えてくれる。シドよりも年上であるにも関わらず、養成機関アカデミーでは後輩にあたる、やや説明しにくい間柄である。

 隣国ド・ゴールで指折の美男子として名を馳せた貴族を父に、世界的に著名なモデルを母に持つ彼は、両親譲りの抜群のスタイルを誇る上に金髪碧眼の美形ときている。街ゆく女性達の大半は、ストライプのスーツを身にまとって颯爽と歩く彼に秋波を送り、メガネを押し上げる姿を見つめてため息をつくのだ。

 さらに(やっかいな)ことに、彼は見掛け倒しの男ではない。

 養成機関アカデミー時代に身に着けた【探索】魔法と、【加速】魔法を応用した独自の速読術を使いこなすだけでなく、一度見た文章を決して忘れない天性の記憶力を兼ね備えている。文章を探し、読み、記憶する能力に秀でた彼にとって、司書というのは天職以外の何物でもないのだ。


「僕も含めて数名、司書長のお墨付きで深夜勤務手当をつけてもらいましたからね。王立図書館ウチはどこぞの何でも屋と違って健全ホワイトですから」

「……あんまり下手なこと抜かすと、トラブルが起きても手ぇ貸さねーぞ?」


 王立図書館の若手で一番の出世頭であるルイだが、昔起こしたトラブルが原因で、シドには頭が上がらないまま今に至っている。

 相当癖のある「問題児」だけあって、この殺し文句は非常によく効くようだ。先程の難しい顔はどこへやら、泣きそうな顔ですがり付かんとするルイは、正直ちょっと鬱陶うっとうしい。


「勘弁して下さいよ、先輩のおかげで何回命救われたやら……。そんなあっさり見捨てられても困りますよぉ」

「今後もトラブル起こす気なのか、あんた……」

「起こしたくて起こしてるんじゃないですよ、向こうから勝手にやってくるんです」


 治す気あんのかその癖、とシドは嘆息する。

 一回や二回なら、巻き込まれたといっても通るかも知れない。だが、彼ほど頻繁にトラブルに遭遇するとなると、もう本人に原因があるとしか思えない。

 

「魔導士としては優秀なのに、どうしてそんな性格なんだか」

「何ででしょうかね……?」


 本気でわかっていない様子のルイをみていると、呆れてため息も出なくなる。

 天は二物を与えずなんて誰が言ったのやら、といった風情のルイだが、その反動かどうかはわからないが、若干趣味嗜好に行き過ぎの気がある。

 ルイは周囲が引くくらいの女好きなのだ。

 浮名を流した女性は数知れず、それが原因でトラブルを起こしたこと、巻き込まれたことは一度や二度ではない。実際、シドとの出会いはマフィアの情婦に手を出して揉めていたところを助けられたのがきっかけだった。女好きもここまでくれば筋金入りだ。

 だが、今は昔を思い出して懐かしがっている場合ではない。


「あんたのトラブルはこの際置いとくとして、俺が頼んだ話、どうなってる?」


 シドがルイに送りつけたのは、ローズマリー謹製の文献リスト。その内容を調査するよう依頼していたのだ。その結果を聞かないことにはハンディアに帰れない。

 神妙な顔で手渡された封筒、そこから出てきた抜き刷り数部を見て、シドは顔色を変える。

 リストに載っていた論文の数は、優にこの十倍はあったはず。それらすべてを印刷すれば、こんな薄っぺらい茶封筒一つで収まる量にはならないはずだ。


「どういうことだよ、ルイさん?」

「お嬢さんが作ったリストに乗ってる文献で、王立図書館のコレクションに存在するのは、そこの封筒に入った分だけです」

「大学図書館とか、そっちの方にはないのか?」

「調べてもらってはいますけど、あんまり期待しないほうがいいです。文献の所在の問い合わせを受けることはあっても、逆はまずないんで」


 彼の女癖が悪いのは事実だが、それと仕事の腕は無関係。むしろ自分の仕事に忠実な部類に入る。彼に探せない資料はないし、一度見た本や論文の内容、その在処ありかも完璧に把握している。ルイが手を抜いたという可能性は、最初からシドの頭にはない。それだけに、困惑の色は一層深いものになる。彼が探し出せなかったとすると、このリストに乗っている文献は、王立図書館の中には存在しないことになる。


「地方都市の研究機関に収められてる文献が、王立図書館にない。これは何を意味している?」

「何らかの意図があって、外部に発表してないってのが一番近い筋じゃないでしょうか? いくら我々でも、出版されてない本とか、外部に発表されてない論文までは所有してませんので……。あくまでも内部資料として所有している、って考えるのが自然かと思います」


 でも妙な話ですね、とルイが訝しげな顔で、首を傾げをしている。


「リストに載っていた研究成果は、新規性もあるし、本来ならもっと積極的に発表していいものだと思います。それをやらないとなると……先輩が調査に入った機関ところ、結構重い事情を抱えてるのかもしれませんよ?」

「どういうことだ?」

「その研究成果が全て本物なら、特許関係をがっつり抑えりゃ大儲けも夢ではありませんし、それこそどこぞの医学賞候補に挙がってもいいくらいに画期的なものです。

 それに、あれくらいの成果を挙げていれば、普通はものだと思うんですけどね?」

「そういうもんなのか?」


 シドは元傭兵、軍人上がりなので研究の世界には疎い。そのあたりは、大学教員や研究者とも付き合いのあるルイの知見に頼ることにする。


「研究成果の公表は、乱暴に言ってしまえば早い者勝ちです。論文なり口頭発表なりで公開した時点で、その著者が先駆者として扱われます。そんなもんですから、研究者ほど人の後追いを嫌がる連中はいませんよ」


 象牙の塔の内部事情と、そこの住民同士の争いに関しては、シドはまったくの門外漢だ。今ひとつピンときていないシドをおもんぱかってか、ルイが助け舟を出してくれる。


「似たような人は、いくらでも世の中にいます。すれ違えば誰もが振り返る、街で評判の高嶺の花を男は、それを周りに言い振らさずにはいられないはずです」


 男女関係を物の例えにつかうのも、ルイの一生治らないであろう癖の一つである。露骨な言葉ではなく詩的な言い回しなのが唯一の救いだが、時にわかりにくく、まどろっこしさを覚えるのも事実だ。


「もうちっとマシな例えはねーのか」

養成機関アカデミーにも、新しい魔法とか、理論の構築に血道を上げてた人がいたでしょう?」


 はじめからそう言えよと言いたいところだが、ルイがそんな言葉に耳を貸すような男ではないことはわかっている。シドは黙って養成機関アカデミー時代の記憶の底をさらい回す。

 科学技術がそうであるように、新しい魔法理論も人々の耳目を集めやすい。新しい発見をした魔導士は大抵、話題作りに余念のないマスコミのネタになり、センセーショナルに扱われたものだ。ルイはおそらく、そいつらのことを思い出せと言っているのだろう。

 

「俺が見てきた某研究機関が外部に成果発表をしねーのは、どんな理由が考えられる?」


 宙を仰いで考え込む姿も絵になってしまうくらい、ルイの造形や所作は整っている。こうなると、うらやましいとか腹立たしいとか、そういう感情は浮かんでこない。絵画や彫刻を見ているのと、気分は似ているだろうか。


「一つ目は、公表することで世の中の混乱を招くことが予想される場合」

「そんなことありえるのか?」

「王立大学工学部が、『時空転移装置タイムマシンの開発に成功した』なんて報道発表をだして、デモンストレーションまでってみせたとしたら、世の中どうなると思います?」

「………良くて大混乱、悪い事態は想像したくないな」


 今のはあくまでも例ですが、と断りを入れた上で、ルイは説明を続ける。


「技術の発展が人々の生活を豊かにするのは事実です。ですが、度を超えた技術を無造作に世に出す、というのも良し悪しはあります。新しい成果に触発された者たちが別の研究成果を生み出す、新たなビジネスの萌芽を手にするっていうのは、どちらかといえばプラスの作用です。先輩が想像したような、混乱と混沌を招くのはマイナスの作用。

 そんな発見なんてめったにないとわかっていても、新しい成果を世に問う、その一歩を踏み出すのに慎重になる気持ちは、わからないでもありません。新しい海路へ船を出す、あるいは――見ず知らずの女性に、一夜の誘いを掛けるときに、緊張するのと似ているのではないでしょうか」


 傍から聞いたらアタマがイカれているとしか思えない例えに付き合っていてはキリがない。素直に受け流したシドは、質問を重ねる。


「二つ目は?」

「先輩が持ってきたリストが、全て虚偽の研究成果だった場合です。外部に発表しない理由としては十分すぎるものでしょう」

「そんなことする動機がどこにある? あれだけの量の研究報告をでっち上げて、立派な蔵書庫を立てて保管する。そこまでやって一体何の得がある?」


 予想外の意見に、シドは思わず腰を浮かせる。

 ローズマリーが作ってくれたリストに記載された論文は、ハンディアに所蔵されているものの一部に過ぎない。それらすべてを偽装する手間に見合う利益メリットが、シドには全く思いつかないのだ。


「研究助成を受けながら結果を残せていなかったとしたら、そういう行為に及んでも不思議ではないでしょうね。もっとも、普通は監査が入って何らかの処罰が下ります。浮気や不倫を隠し通せないのと一緒ですね」


 その例えはあんたの首を絞めてるぞ、と言いたいシドだが、ぐっと我慢する。そういう星からきた宇宙人だとでも思ってないと、ルイとはとても付き合っていられないのだ。


「で、司書長補佐のお考えはどちらで?」


 案外悩ましい問題のようだ。即答するかと思いきや、端正な顔でしばし考えた後、ルイはゆっくり口を開く。


「どちらかといえば、前者だと思います。思いたいだけかもしれませんけどね。

 大衆文学ならいざしらず、これは研究報告です。他の誰かが追試をしてその妥当性を検証し、自分の研究の参考にする、その大本になるものだ。もしそこに嘘があったら、技術の進歩は良くて停滞、悪ければ後退ロールバックします」

「時間も金も無駄になるしな」

「そのとおりです。どんな形でも、嘘で塗り固めた研究成果をでっち上げ、後世に残すやつがいたら、そいつは絶対に野放しにすることを許されない、混じり気なしの悪ですよ。僕はたぶん、そんなやつなんていない、って信じたいだけなんでしょうね」


 いつものようなふざけた例えも交えず、皮肉で残酷めいた、薄ら寒さすら覚える微笑み。

 女性の前ではまず見せることのない、シドすらも初めて見る表情を浮かべながら、ルイは吐き捨てるように答えた。

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