7.16 目先が変わっていいかもしれない

「間が悪くて申し訳ありませんわね」


 シドの対面でソファに座るカレンは上品そのもの、先程のしどけない姿が嘘のようだ。頬を少し赤く染めている以外は、いつもと何ら変わらない。

 その浴衣の襟はきっちりと閉じられて胸元を覆い隠している。帯もしっかり結ばれているから、もう安心だ。万屋ムナカタ一同を愕然とさせる事態は、カレンが意図しない限りは起こるまい。


「いえ、こちらこそ何と申し上げればよいか」

「先生、えっちなのはいけないと思います」

「礼じゃなくて詫びのつもりなんだけど……」


 偶然と不可抗力が重なったとはいえとはいえ、シドがカレンの艶姿あですがたを見たという事実は揺らがない。結果、シドは大変肩身の狭い思いをしている。

 そんな彼のそばに控えるのは、一見そうとは見えないが怒り心頭のローズマリーだ。愛想が少々足りないのはいつものこととしても、明らかに眼が釣り上がっている。


「まったく先生ときたら……。一度ならず二度までも……」

「今回は俺、悪くねーだろ……」

「ムナカタ君なら見ても構わなくてよ?」


 艶っぽい口調と共に、浴衣の襟に指をかけるものだから、師弟揃って慌てて腰を浮かし、止めに入らざるを得ない。もはや、淑女の「冗談ですわよ」という言葉が信じられなくなりつつある二人である。


「そんなはしたない振る舞いしてたら、ガーファンクルの名が泣くぞ……」

「誰にでもこんな振る舞いをするわけじゃありませんわ」


 ガーファンクル家はイスパニアの魔導士なら知らぬ者のない名家である。そこの娘が露骨に色香を振りまいていたとあっては、体面がよろしくない。


「CCさんが『二度までも』って言ってらしたけど、前にも似たようなことがありましたの?」

「何もありません!」


 養成機関アカデミーの医務室での一件を思い出したのか、頬を染めてそっぽを向くローズマリーに、苦々しい顔でカレンを睨みつけるシド。

 カレンは二人の様子を見て大体の事情を察しでもしたのか、「仲がよろしくて結構なことで」と微笑わらった。ごく自然で、嫌味というものをまるで感じないその様子に、やっぱりこいつにゃ敵わない、とシドが嘆息する。


「お嬢さん方? 本題に戻ってよろしいでしょうか?」

「そんなにかしこまらなくてもよろしいのに」


 そんじゃ失礼、と一つ咳をついたシドは、昼間の成果を報告する。

 昨日買い求めた栄養剤の分析を警察に依頼したこと。

 ローズマリーの作ったリストに掲載されていた研究成果のほとんどが、王立図書館のコレクションに存在しなかったこと。

 彼の説明を一通り聞くと、カレンは興味深げにうなずいた。


「研究成果がほとんど外部に出ていないのは、何か裏がありそうですね……? エマ様に聞いたら教えてもらえたりしませんかね?」


 正面突破を主張するCCに、クロは「若いねぇ」と苦笑交じりに返す。


「気持ちはわかるけど、ハンディアはもともと地図にすら載ってない特殊な都市だ。そんな僻地の研究機関なら、積極的に外部へ情報を発信しないって方針をとるのも、確かにわからない話ではないよ」

「じゃあ、ハンディアの特殊な研究って、一体何で成り立ってるの? 自分の成果が世に出ないのなら、ここにいるみなさんは一体何を目標に仕事をしてるの?」


 常識的に考えれば、研究機関は政府や国民の支持のものに成り立つ組織である。本来、その活動には外部への研究成果発表――報道発表プレスリリース、学会発表、専門誌への投稿など――が必ず含まれる。成果を目に見える形で出すからこそ、出資元の信頼が得られるというものだ。

 ひるがえって、ハンディアはどうか。

 限られたものにしか存在を知られず、外部に成果を発信しない研究機関。根本的に成り立ちが違うのだから、その成果の扱いも異なると言われてしまえばそれまでかもしれないが、名の通った研究機関に比べて奇妙で、異端で、いびつな組織だ。

 それがなぜ、崩れずに存在するのか。

 少女の疑問に答えられる人間は、残念ながらこの場にはいない。元傭兵シドに、公的機関職員カレンに、黒猫。おのれの魔法の探求ならともなく、一般的な研究活動というものにはとんと無縁な連中だ。

 シドは顎に手を当て、少しうつむき加減で押し黙ったまま。カレンの顔からもいつもの笑みは消えている。クロはいたずらっぽく笑っており、本意を推し量れない。


「もう少し、広く見てみましょうか」


 ローズマリーが沈黙に当惑し始めたくらいのタイミングで、カレンが口を開いた。


「わからないことをいつまでも考えたところで、答えなんて出ませんもの。明日は土曜日、施設の見学もありませんし、ハンディアの中をくまなく歩いて情報収集と参りましょうか」

「昨日までは研究者の話しか聞いてなかったからな。街の連中の話を聞くのは、目先が変わっていいかもしれない」

「あら、ムナカタ君はお留守番ですわよ?」


 何でだよ、と疑問を口にするシドに、カレンは澄まし顔で答える。


「ヴァルタン警部やバングルスさんから緊急連絡がくるとも限らないでしょう? 状況によっては、王都に取って返さなければいけないかもしれませんし、いざというときにすぐに動ける人がいたほうがいいですわ。

 そういうわけで、明日は私たち三人で、皆さんから意見を伺って参ります。よろしいですわね?」

「承知しました」

「まあ、お嬢様がそういうなら、ボクは従いますけどね」

 

 微笑みかけるカレンに、ローズマリーは強く頷きかえし、クロはやれやれとばかりに撫で肩をすくめる。


「じゃ、俺はお言葉に甘えて、宿ここでのんびり待たせてもらうとするか」

「良い知らせをご期待なさって結構ですわ」

「お任せください」

「あれ、ボクって行く意味あるのかな……?」


 張り切るもの、肩の力が抜けきったもの。三者三様の振る舞いを見ながら苦笑するシドだったが、それは一分と続かない。

 ハンディアを取り巻く奇妙な状況。それについて整合性のある答えはあるのか? そして、『魔法使いもどき』事件の解決につながるヒントは見つけられるのか?

 先程眼にしたカレンの艶姿は何処へやら、彼の頭はもう、事件のことでいっぱいだ。

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