7.9 何が大切かなんて、結局のところ、その人次第です
「ムナカタ君、少々あくびが多いのではなくて?」
「しょうがねーだろ、眠いんだ。猫と一緒に生活してると、どうしても生活リズムが夜型になっちまうんだよ」
水曜日、リハビリテーション施設見学の合間。
昼食を済ませたシドとカレンは、中庭の木陰で腰を下ろして話していた。
「どうせ昔と一緒だな、なんて思ってんだろ」
「……殿方の割に、妙なところで勘が鋭いところもお変わりありませんわね」
「猫と一緒に暮らしてるからな」
「枝葉末節をはぐらかすのは別に構いませんけど、もう少し他の文句を用意してくださいな」
仕事中だと言うのに、シドは完全に肩の力を抜ききっている様子。そして、都合の悪い指摘をされると飼い猫のせいにして適当にはぐらかす。
カレンも呆れたようにため息をついてはいるが、
「それはともかくとして、ムナカタ君。あの施設をどうご覧になりますの?」
「なーんか、うさんくせぇ」
見学の日程も道半ば、それなのにシドから出てくる言葉はやる気のない子供の読書感想文並みといい勝負ときているものだから、カレンもさすがに眉をひそめざるをえない。
「率直な物言いがあなたの長所、というのは重々承知ですわ。けれど、もう少し言葉を選んでくださるとありがたいのですが……」
「回りくどい物言いをして、行き違いがある方が面倒だろうが」
「……ではうかがいますけど、ムナカタ君。胡散臭い、というのはどのあたりですの?」
取り付く島もない、と諦めたのか、カレンはシドの意見を引き出す方へ舵を切った。
「午前中の見学で会った患者、魔法を失って十年って言ってたよな? そいつらがもう一度魔法を使えるようになるまで、リハビリに費やした期間はわずか一年だ。
半年のブランクがあった状態から魔法を取り戻すのだって、まともにやって一年弱はかかるんだぜ? どんなにハードな訓練をしても、十年分の損失をそんな短期間で埋められるとは思えない」
カレンは穏やかな表情のまま、眼で先を話すよう促してくる。それにうまく乗せられたシドも、思いついたことをつらつらと並べ立てていく。
「わからねーのは患者の動機もだ。十年間、魔法抜きで平和な生活が成り立ってたんだろ? なんで今さら魔法を使おうって思うんだ? 本当に魔法が必要なら、失ってすぐに、それを取り戻す方法を必死に探すんじゃないのか?
昔に失ってしまった魔法を取り戻すなんて、決して安い治療じゃないはずだぜ。すぐに動き出さなかった理由が、俺にはさっぱり見当がつかねーんだよ」
「少し落ち着きなさいな、ムナカタ君」
カレンは穏やかだが、あくまでも冷静だ。珍しく熱を持った口振りで語るシドを、強い口調で制し、
「まるで昔、失った魔法を取り戻すのに、ずいぶん苦労したような言い振りね?」
――知ってて言いやがるから、なおさら
カレンが向けてくる真っ直ぐな視線に耐えられなくなって、シドはつい、苦い顔でそっぽを向いてしまう。
シドの過去、長所、短所、強さ、弱さ。
カレンはそのすべてを、相当深いところまで知っている。だから、彼女と挑む仕事は、とてもやりやすい。その代わり、こういった一歩踏み込んだ会話に、ひどくやりづらい瞬間を覚えることがあるのだ。
「ハンディアでの治療は保険の適用外なので、かなり高額になると聞いています。彼らも当時は経済的な事情で、リハビリを受けられなかったのかも知れない。そもそも、魔導士を専門とした治療やリハビリに長けた医療機関があることを知らなかった可能性もあります」
「可能性の話だったら、なんだってできるじゃないか」
「何が大切かなんて、結局のところ、その人次第です。
使えなくなって十年たった魔法を、長い時間とお金を掛けて取り戻す動機は、私だって確かに気になりますわ。でも、今知るべきは『なぜ』ではなく、『どうやって』魔法を取り戻したかではなくって?」
静かだが有無を言わさぬ口調のカレンに、シドは少々気圧され、口ごもってしまう。彼女の意見も最もなので、強く反論もできない。
「話が横道に逸れましたわね。……治療法の説明には、なにか不自然な点はありまして?」
「訓練の内容だけ聞けば、
失われた魔法を取り戻すには、自分の中でもう一度、魔法を使うステップと理論を思い出して再構築し、再現できるよう訓練を繰り返すしかない。
問題は、ハンディアのリハビリ棟で行われている訓練と、
どこでもやっているような、特に目新しさのない訓練メニュー。
それでどうやって、十年という長いブランクを一年ちょっとで埋めて、魔法を取り戻すのか。彼が腑に落ちない点はそこにある。
「そもそも、リハビリのメニューの
魔導器官を持たない人間がいくら訓練を積んだって、魔法を使えるようになる可能性は限りなくゼロだろ? リハビリ棟にいる患者は、元を辿れば、過去にバリバリ魔法を使っていた人間だ」
「もともと魔法の素養を持っていた方々と、魔導器官の痕跡が一切ない『魔法使いもどき』では、確かに
持って生まれていない器官を鍛えることなんてできやしない。普通の人間が、魔導士用のリハビリメニューをいくらこなしたって、魔法を使えるようにはならないはずなのだ。
「ここ最近で、俺が相手をした『魔法使いもどき』は三人。その誰もが、魔導回路を持たなかった」
「子供の頃から魔法に親しんでいたわけではない、ということですわね」
「少なくとも、王都に現れた『魔法使いもどき』は、ある程度年を食ってから、魔導器官なしで魔法を使える事に気づいたってことになるんだが……どんな手を使ったか、正直、見当がつかねーな」
足を投げ出して座っていたシドは、考えに行き詰まってそのままごろりと寝転ぼうとする。さすがに油断しきっており、隣の淑女がゆらりと動いたのには、全く気づかなかった。
直後、体を倒した彼の後頭部を、なにかが柔らかく受け止める。
シドの視線の先にあるのは、空や木漏れ日ではなく、してやったりとでもいいたげなカレンの笑顔だ。
「……膝枕か!」
「捕まえましたわ」
とっさに起き上がろうとするシドだが、肩を絶妙な力加減で抑え込まれてしまって身動きが取れない。
「なんの冗談だ、おい?」
「ずいぶんお疲れのようですし、これくらいはサービスして差し上げますわ」
「誰かにみられたらどうすんだよ?」
「あら、私は気にしませんわよ?」
俺は気にするんだけどな、とシドが思ったのも、わずか数秒だけのことだった。
ローズマリーにこんな姿を見られようものなら何を言われるかわかったもんじゃないし、師匠の威厳の残高が底を打つかもしれないけれど、この心地よさの前ではもはやどうでもいいと思えてしまう。
シドは両目を閉じる。
剣の特訓で鍛えられたカレンの大腿は、どちらかといえば筋肉質だ。だが、筋肉の質がいいのか、後頭部に伝わるのは反発と硬さが高度なレベルで共存し融合した未知の感触。これでリラックスできない人間は、心に相当重い闇を抱えている、とさえ錯覚させてしまう心地よさだ。
そして、彼女の袴と小袖から漂うほのかな香りが、疑心と不可解さによじれて絡まったシドの思考の糸を、一本一本ほぐしてゆく。何か香を焚きしめてあるのだろうか。はるか昔にかいだように思える懐かしさを覚えるあたり、もしかしたら
「いかがです、ムナカタ君?」
「ちっと照れくさいけど、なんか懐かしいな」
「子守唄でも歌ってさしあげましょうか?」
「さすがにそれは恥ずかしい」
二人の間に流れる穏やかな時間。
いつまでもこんな時が続いたらきっと幸せだろうが、そうは行かないのが世の常、人の常だ。
「木漏れ日のしたで若い男女がラブコメか、見てるほうがこっ恥ずかしいぞ?」
カレンの膝枕の心地よさに溺れかけていたシドは、ただならぬ気配を感じて思わず目を見開く。
その視線の先にいるのは、何が嬉しいのかニコニコしているカレンと、腕を組んで呆れた様子のエマ。
「どっから出てきた?」
「
「お疲れの殿方をねぎらうにはこれが一番と聞いておりますので」
「頼んだわけじゃねーが、まあ、やってくれると言うならな……」
揃いも揃って緊張感がない答えに、エマは呆れてため息をつく。
「我輩は別に構わんけどな。ただ、他のものが見たらどう思うかな?」
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