7.10 今は耐える時期なんだろ
幼女らしからぬ悪意に満ちた笑みを浮かべたエマが、ちらりと向けた目線の先から、三人を冷たい目線が刺し貫く。シドにとっては馴染み深く、嫌というほど受けた覚えのあるものだ。今後の展開が手に取るように見えたシドが緊張に強張っているのに対し、カレンは余裕たっぷりの、いつもどおりの春風のような笑みを浮かべる。
二人が顔を向けた先にいるのは、こめかみを抑えて嘆息するローズマリーに、どこか楽しそうなお供の黒猫だ。
――助けろ!
――嫌だね!
クロに目線で助けを求めても、あっさり流された上に鼻で笑われてしまう。使い魔の主人、そして彼女の飼い主としての威厳は、とっくに地に落ちるどころかマイナスだ。
「休憩しようと思って出てきて、最初に目にしたのが膝枕されて鼻の下を伸ばした先生ですか……」
「鼻の下は伸ばしてないはずだが……」
「そうでしょうか? 私、あそこまでだらしないお顔の先生は初めて見ましたけど? またたびを与えた猫だって、きっとあんなお顔にはなりませんね」
ローズマリーの妙な威圧感、そして膝枕のリラクゼーション効果に
「CCさん、これはムナカタ君をねぎらってあげようと私が」
「申し開きはその程度にしていただきたいものですね。多少ねぎらう分にはよいかも知れませんが、私やクロちゃんが同行していることをお忘れなく。自分の
「別にイチャイチャはしてねーぞ?」
「悟りを開いた僧侶の顔のままで膝枕を受けておられたのなら、その言葉にも説得力が出るというものですが……。あれだけだらしない顔をなさっていては、額面通りに受け取るわけにはいきませんね」
「お主のところのメイド、なかなか難儀な性分の持ち主じゃの?」
「ムナカタ君も大変ですわね? これじゃ、外で恋人の家に泊まったり、恋人を家に連れてきた日には何を言われるやら」
「……特に何もいいませんよ?」
――そんなことしたら、どうなるかわかってますよね?
少女の言葉と眼差しは、互いの主張はまるで正反対だ。カレンやエマにはローズマリーの考えが手に取るようにわかっているのだろう、焦るシドとは対象的に余裕の笑みを浮かべている。
一方、シドは立つ瀬がなく、実にやり辛い。
カレンの立ち居振る舞いは、基本的には打算のない、自分の心に素直に従ったものなのだ。その素直さと悪意のなさは、時として非常に質が悪いものに映る。そんな彼女を見たクロは、たいてい面白がって煽るか傍観者に回るかのどちらかで、状況の打破にはまったく役に立たない。
女性陣の板挟みになったシドができることなんて、無理矢理にでも仕事の話題をねじ込んで、静かに火花を散らす二人から目をそらすことくらいだ。
体を起こし、芝の上に正座したシドは、空咳をついて両手でパチンと頬を叩き、努めて冷静な口調でローズマリーに話しかける。
「ご苦労さま、CC。首尾はどうだ?」
先程まで言い訳をこねくり回そうとしていたシドの変わり身の早さに呆れながらも、少女は渋々、メモを手渡した。
彼女に頼んでいたのは、魔法発現のメカニズムに関する研究成果、その文献調査。数枚にまとめられた文献リストと、その概略に目を通す。
「魔法が発現する時に、魔力変換機構で何が起こっているかは、まだ解明しきれてないところが多いようです。測定手法に関する研究がほとんどで、発現のメカニズムについては、仮説がようやく立ってきたというところでしょうか」
「測定手法? そんなことの研究もやってらっしゃるんですの?」
「他にやってるところがないなら、自前でやるしかなかろ?
昔から、魔法がどのような過程を経て発現するか、世界各国で研究はされてるんだがな。歴史が長い割に、明らかになっていることは多くない」
シドの背後からちらりとメモを覗き込んだエマは、感心したようにうなずいた。
「素人ながら、よく調べとるの」
「先生のご指導のおかげです」
「ただ、大人組はあんまり、状況が芳しい様子ではなかったようじゃな? リハビリテーション施設の見学は、あまり得るところがなかったと見るが?」
おっしゃる通りで、とシドとカレンが揃って肩を落とすものだから、ローズマリーの柳眉がピクリと動く。
「魔導士に課すメニューとしても、あまりにも普通すぎる。あれを魔法使いじゃない人間に課したところで、魔法使いの一丁上がり、とはまずなるまいよ。
まあ、この方法は無理だ、ってわかっただけでもまだマシだ。中途半端な可能性に振り回されるなら、始めから余計な希望なんて持たないほうがなんぼかマシだ」
「そう思わないとやってられない、って顔にかいてありますわよ、ムナカタ君?」
でもこの後はどうしましょう、とカレンが小首をかしげる。
「人工的に魔導器官を付与することはおろか、作ることは困難。
魔導士向けのリハビリメニューを施したところで、普通の人が魔法を使えるようになることはまずない。
そうなると、他にどういった手段が考えられます?」
「悪魔でも召喚してとりつかせるか?」
「そんな魔法があるんですか?」
知らねーよ、と冗談めかしていうシドをみて、ローズマリーが頬をふくらませる。
「でもな、魔法にも、立派な理屈や法則があるんだ。『魔法使いもどき』の出現だって、必ず筋の通った説明ができるはずだ」
そのために必要なことはなにか、シドは顎に手を当てて考え込むが、そんなにポンポン案が浮かぶわけでもない。
「……先生、ちょっとよろしいですか?」
「どうした? 名案か?」
名案かどうかはわかりませんが、と、ローズマリーはちょっと困った顔をする。
「明日以降、調べ物がないのであれば、私も訓練を受けてみたいのですが、いかがでしょう?」
「魔法が使えるのに、受けても……」
なにか思いついたのか、カレンがシドに目配せをしてくる。クロほどではないとはいえ、長い付き合いの二人。こういう時の意見は大筋で一致しているものだ。
シドもカレンも、外から訓練を見ているだけで、実際に体験したわけではない。実際にどういう教え方をしているかの確認はしておくべきで、その上で判断を下したほうがよいだろう。
そして訓練を受けるのは、この中で最も未熟で将来性のある魔導士――ローズマリーこそ、適任。
「もちろん、エマ様のご許可をいただいた上で、という話になりますが」
「それは別に構わんぞ。担当者には我輩から話を通しておく」
「それなら決まりだな。物は試しだ、ちょっくら魔力放出のやり方でも教わってこい」
――具体的にどんな事やってるのか、もうちょっと細かく見てきてくれないか?
シドの乱暴な物言いの裏には、当然、そう言う意味合いが含まれている。
彼のだらしない生活態度に呆れ、小言の絶えないローズマリーだが、ひとつ屋根の下に暮らし、毎日一緒に過ごしているのだ。それくらいは読み取れる。
「承知しました。可能な限り、情報を得てきます」
「迷いがありませんのね」
「プライベートはともかく、仕事のことであれば、先生はとんでもない判断はなさいません。そこは信頼していますので」
ローズマリーの物言いに苦笑しながら、シドはカレンに水を向ける。
「CCについてやってくれないか、カレン? 経験の長い魔導士がついていったほうが、見えないものも見えてくるかもしれないからな」
「それは構いませんけれど、ムナカタ君はどうなさいますの?」
どうするかねぇ、とシドは思案にふけるフリをする。
単独行動に打って出たいのだが、エマがここにいる以上、あまりこちらの手をおおっぴらに明かすのは避けたい。
自然、その口から出てくる言葉は限りなく薄く軽いものになるから、ローズマリーは呆れ、クロはそっぽを向き、カレンはあらあらと微笑んで、エマは肩をすくめる。
「明日は明日の風が吹く、ってね」
「お主、行き当たりばったりにも程があるだろ……」
しょうがねーだろ、と呟いたシドは、ようやく正座を解いて立ち上がり、膝を払った。
「
そんなことより、姫様。お宅のところのメイドがこっちに向かってきてるけど、いいのか?」
シドが指さしたほうにいるのは、初対面のときにもエマに付き従っていた長身のメイド・アリー。表情こそ初めて会ったときと同じ鉄面皮だが、石畳を踏みしめる歩調は怒りに満ちている。
「エマ様、執務を放り出しておしゃべりとは、一体どういうお考えですか?」
「いや、これはだな、アリー」
いつもの尊大な態度のエマはどこへやら、口ごもってばかりのその様子は、いたずらのバレた子供と大差ない。
「言い訳は無用です、すぐに戻って続きをしていただきます。当然、おやつは抜きです」
アリーの宣告は、エマの抵抗を撃ち抜くにはいささか強力すぎたようだ。世界の終わりを宣告されてもこんな顔はするまい。
「失礼しました、皆様。エマ様は私が引き取りますので、どうぞ調査の続きを。見当をお祈りします」
「はあ、どうも……」
おやつ抜きは勘弁してくれ、と嘆きながら引きずられていくエマを、三人と一匹は開いた口が塞がらない思いで見送った。
「何のために出てきたんだ、あいつ……」
「昨日も一昨日も、見学中の私達を物陰からちょくちょく見に来てましたわね」
「え、全然気づかなかったぞ?」
「あら、そうでしたの? 私はてっきり、ムナカタ君もお気づきのものかと。もっとも、その度にさっきみたいに、アリーさんに引きづられてお戻りになってましたけどね」
そいつはどういうことだ、とシドは顎に手を当てて考え込む。
彼らの行動を把握するなら、研究者や案内担当に報告させればいいだけなのに、わざわざ自分の目で見に来ている。しかもシド達に気取られぬように、だ。
調査に便宜を図りながら、一行の動向を自ら確認しているエマをどこまで信頼すべきなのか?
「あまり深く考えても仕方ありませんわ、ムナカタ君。ひとまず、眼の前の仕事を先に済ませましょう。そろそろ誰かが探しに来てもおかしくない時間ですもの。
CCさんも引き続き、よろしくお願いしますね」
承知しました、と静かに答えたローズマリーは、クロを伴って駆け出してゆく。
その様子を微笑ましげに見送ったカレンに促されてようやく、シドはゆっくりと歩き出した。その歩みは、高原に
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