7.8 無理だと思います

 一夜明けて、火曜日。

 万屋ムナカタの面々はハンディアの蔵書庫にもり、手分けして人工魔導器官の文献を探し回っていた。

 クロから見ても明らかに、今日の少女は機嫌がいい。

 ここが蔵書庫でなければ鼻歌でも歌いそうな……となるとさすがに言い過ぎの感はあるが、常に小さく笑みを浮かべるローズマリーなんて滅多にお目にかかれない。シドと一緒に仕事ができるのが嬉しいのかもしれないが、クロは使い魔であると同時に、賢い猫でもある。余計な口は挟まない。

 一方、主人のシドはいつもどおり、いささか粗忽そこつで抜けている。


「どうした、なんか嬉しいことでもあったか?」


 なんてローズマリーに真正面から問うものだから、あっさり「秘密です」と返り討ちにあって肩を落としていた。

 クロからみれば、それは紛れもなくシドの落ち度だ。そんな言い方をすれば反発されるのは火を見るよりも明らか。仕事のときはやたら鋭い観察眼を見せるくせに、普段はあまりにも人の心の機敏にうといのはどういうことかな、と余計な心配をする使い魔である。

 さて、二人の後について蔵書庫を訪れたのはいいが、クロに別段できることなんてない。隣同士の席で、片っ端からマイクロフィルムを閲覧しては要点をガリガリ引き写す師弟の背中を眺めながら、時折くしゃみをしている。


「シド先生、今作ってるリストって、結局なにに使うんです?」

「ハンディアが研究成果をどの程度世に出してるのか、詳細を調べてもらおうと思ってる。

 そもそも、医療の心得がない俺たちがいくら論文を読んだところで、それが正しいのかどうかもわからねーからな。だったらそっちは本職のやつに任せて、俺たちは別のことをやったほうがいいと、こういうわけだ」

「……仕事のときは本当にちゃんとしてらっしゃるのに、どうして普段はああなのかしら」

「ほっとけ」


 いつもの彼らと何ら変わらないやり取りを眺めていたクロは、ふっと笑みを浮かべる。ローズマリーが来てからずいぶん経ち、一緒に事件にも挑んできたせいか、二人の距離が少し近づいている気がするのだ。主人――クロからみれば弟分、と言ったところだが――が垣間見せる新たな一面が妙に新鮮に映る。




 午後の作業の途中、ローズマリーはシドの許可をもらって、中庭の木陰でクロと休憩していた。

 生粋のイスパニア娘であるローズマリーは、芝生にハンカチを引き、木漏れ日に照らされながら、じっと宙を見つめている。


「今日は午睡シェスタはいいのかい?」

「時間が限られてるでしょう? あんまりぼーっともしてられないよ」


 ここハンディアに来てからというもの、ローズマリーは昼下がりに休憩を取ることはあっても、寝入る様子はない。生粋のイスパニア人なら、「午後の仕事の効率が落ちる」だの「伝統は大切だし自分たちはその護り手だ」だの理由をつけてとにかく午睡に持ち込みそうなものである。つくづくイスパニア人らしくないお嬢さんだ、とクロは苦笑いする。


「ボクらは日本ジパングのサラリーマンじゃないんだ、あんまり無理しないように」

「クロちゃん、私の仕事は調べ物だよ? 体を動かしたり魔法を使ったりしてるわけじゃないから、疲れるってほどのことはないから大丈夫」


 とはいえ、書物は肩のこる仕事である。訓練したいなぁ、とつぶやきながら、少女はローズマリーは大きく伸びをしたり、肩を回したりしている。


「ずっと動いてないのも、なんだか落ち着かないね」

「ボクは退屈で死にそうだよ、場所が場所だからしゃべるわけにもいかないしね……くしゅん!」


 ハンディアに来てから、クロがくしゃみをする頻度が明らかに増えた。鼻がムズムズして仕方がない。ローズマリーは心配そうだが、環境が変わったせいだろうから気にするな、となだめておく。実際、体の痛みやだるさ、熱っぽさや悪寒といった症状はないので、大したこともないだろう。


「……『魔法使いもどき』って一体なんだろうね、クロちゃん?」

「それがわかったら、ボクは車酔いに悩まされずに済んでたはずだけどね」


 クロの軽口に曖昧に微笑っていたローズマリーだったが、ふと真剣な顔に戻ると、今度は自分の手のひらをじっと見つめはじめた。


「自分の物ではない魔導回路とか魔力変換機構を使って魔法を使う、って感覚が、よくわからなくて」

「そうは言うけど、君だって魔導器を使ってるじゃないか?」

「あれは自分で使ってるってよりは、使われてる方だと思うから……」


 勝手に吸い上げられた魔力を【破砕】魔法に変換されてるのだから、少女の言い分は間違ってはいない。


「魔力を練って、回路に流して、変換機構で物理現象に作用する。それを自然に覚えた人は、違和感が多いかもしれない。魔導士にも色々なタイプがいるからね。

 CCが調べてた文献の中に、魔力を流して使うタイプの義肢装具の話があったろう? 魔法を感覚で使うタイプの魔導士だと、案外使いこなせないもんらしいよ」

「え、そうなの?」


 クロの言葉に、ローズマリーは思わず跳ね起きてメモを取り始める。


「魔力の制御に甘いところがあると、自分の思い通りに動かないことがあるらしいんだよね。曲がらないはずの方向に関節を曲げてダメにしちゃったり、逆にまったく動かなかったりすることだってある。ひどい場合だと余計な熱を持って低温やけどを負うって話も、聞いたことあるな」

「そんなこと、文献には書いてなかったよ……」

「あくまでも実用段階での話、さ。蔵書庫に収められているのは研究例だから、仕方ないね」


 寝てる場合じゃないとでも思ったか、ローズマリーは体を起こし、手帳とにらめっこし始めた。師匠シドの前ではあまり見せない表情の変化を、クロは穏やかな表情で眺めている。

 

「やっぱり、魔導回路って、魔法を使うには必要だよね?」

「基本に立ち返って考えてみろ――って、シドくんだったら言ってるところだね。

 CC、魔法を使う時、魔力はどこで生まれて、どこへ行く?」

「魔力の生成を担うのは、脳だよね。脳で生成された魔力は、血管に沿って張り巡らされた魔導回路で全身に運ばれて、神経細胞内にある魔力変換機構を経由して、物理現象として発現する」


 ふむ、と考えていたローズマリーだったが、ふと何かを思いついたのか、ぽんと手を叩いて提案する。


「魔力生成器官と、魔力変換機構が直接つながってれば……? 変換機構にも、魔力を伝達する機能はあるでしょう? そうじゃないと【放出】魔法の説明がつかないもの」

「それはそうなんだけどさ、CC。

 魔力変換機構が存在するのは末梢神経で、中枢神経じゃない。君の仮説だと、脳から脊椎にかけて魔力が通るって考えのようだけど、そこは変換機構がまるっきり存在しない領域だぜ?」


 猫の顔から難しい単語がポンポン飛び出すのは、事情を知らないと不気味を通り越して滑稽こっけいに見える。もっとも、聞く方も話す方も大真面目だ。


「生成器官は脳にあって、変換機構は末梢神経にある。中枢神経でつながってるけど、魔力が通る道筋はない、ってこと?」

「そういうこと。その二つの魔導器官を魔力的に繋げられるのは、魔導回路だけなんだよ。『魔導回路がないと魔法は使えない』って言葉の意味は、つまるところそういうことさ」

「……勉強になります」


 もっとも、これは全て理屈屋の主人シドからの受け売りで有ることは内緒だ。魔法が発現する過程プロセス自体に、クロ自身は大して興味や関心はない。シドの勉強に付き合う過程で、なんとなく覚えてしまっただけだ。


「今までの『魔法使いもどき』って、魔導回路がなかったはずよね?」

「そうだね」

「もし仮に、魔導回路だけがなかったとすると」


 クロの言葉で何を思いついたのやら、ローズマリーは顎に手を当てて考えこむ。

 生成器官があれば、魔法の源たる魔力を作れる。

 変換機構を持っていれば、魔力を変換し、物理現象として発現させられる。

 でも、その間を結ぶ、魔力が通る道筋だけがないというのはあまりにもいびつだ。魔力を伝達する術がないなら、その先の工程――変換にたどり着けないのだから、当然、魔法が発現するはずもないのだ。

 

「それなら、『魔法使いもどき』は、どうやって自分の能力を自覚したのかしら?」




「ハズレだな」

「限りなくゼロですわね」

「無理だと思います」


 夕食後のミーティング。

 三者の言葉は違えど、意見は見事に一致してしまった。自然にため息が漏れるのもむべなるかな、である。


「順番に整理しましょうか」


 場を取り仕切るカレンは優雅な仕草で紅茶を口にするが、その目元には僅かな疲れと、大きな失望が浮かんでいる。


「魔力の生成。これは現状、工学的手法ではほぼ不可能ってことで良いですわね?」

「異議なし」

「魔力生成のメカニズムも、まだ推測の域を出ないそうですしね」

 

 昼間の調査をまとめたメモに目を落としながら、ローズマリーが答える。

 生成器官の中で何がどう作用して魔力が生まれるか、その詳細は明らかでない。人体がエネルギーを生み出す、いわゆる生化学反応回路と類似の反応とみなした仮説はあるようだが、結局はよくわかっていないようだった。


「魔力変換機構は、そこそこ理解が進んではいるみたいだけどな」

「もともと魔導器がありますものね」


 どのようなものであっても、魔導器と称されるものには例外なく【変換式】が刻まれている。

 【変換式】は一見、単なる装飾以上の意味のない奇っ怪な文様だが、そこに魔力を流すとあら不思議、魔法が発現して一丁上がりという不思議な道具ツールである。その組み方によっては、魔力の流れ方を変えたり量を絞ったりすることもできる。ローズマリーのトンファー、あるいはそれに巻かれた制御帯がいい例だ。

 いずれの研究も、古来より存在する魔導器を分析し、その【変換式】を解読して応用するところからスタートしている。


「とはいっても、【変換式】が明らかになってるのはほんの一部の魔法だけですよね」

「大抵は、古い魔導器に刻まれた物ををコピーして使っているだけといいますものね?」

「俺たちが相手した連中がその手の式を使った可能性はゼロと見ていいと思う。【炸裂】ですら相当難しいはずだし、【念動力】はまず無理だ」


 ローズマリーが言う通り、【変換式】が明らかになっている魔法は数少ない。彼女のトンファーに刻まれた【破砕】をはじめ、【火炎】【雷電】など、比較的効用が単純で、魔力を別のエネルギー形態――熱や電気に変換するものだ。


「魔力の生成とも関連しますけれど、【変換式】に正しい流れで魔力を流せば魔法が発動するのに、その逆ができないのも不思議ですわね?」


 【変換式】のもう一つの特性はその不可逆性だ。つまり、必ず起点と終端があり、正しい方向に魔力を流すことで、初めて魔法が発現する。

 重要なのは、魔力変換して物理現象を発現できても、その逆――魔力変換は、現状不可能とされていることだ。【火炎】を発動する魔術式の終端にホンモノの炎を当てたところで、起点から魔力を取り出せるわけではないのである。


「自分で特別意識することなく、魔力を変換して物理現象を起こすんですものね。一体どうなってるんですかね、私達の体って?」


 それがわかってりゃ、汗水たらして捜査する必要なんかない。

 ローズマリーの疑問を斬って捨てるのは簡単だが、それは野暮にすぎることくらい、シドも承知している。だから、少し困ったように笑うだけだ。


「三つの中で最も研究が進んでいるのが、魔導回路ですわね」

「他の器官に比べて、役割も単純ですからね」

「そうはいうけど、生体内の回路と比べちまうと効率も耐久性も今一つだ。そんなもんを体に仕込んだところで、流せる魔力なんざたかが知れてる」


 「魔法使いもどき」が見せた殺傷能力の高い魔法を発現させるには、大流量の魔力に耐えうる太さの魔導回路が必要になるが、いくらなんでもそんなものを体に埋め込むことは叶わない。


「そもそも、俺たちが相手した魔法使いもどきに、外科手術の跡なんてなかった、って警察も言ってたしな」

「いずれにせよ、人工魔導器官で『魔法使いもどき』を仕立て上げるというのも、だいぶ無理がある方法のようですわね」

「そもそも、『魔法使いもどき』って、どうやって自分の能力に気づいたんでしょうか?」


 どういうことか? と水を向けられたローズマリーが、昼間のふとした思いつきを披露したところ、大人二人は首をひねって考え込んでしまった。


「『魔法使いもどき』の背後には、魔法を使うよう諭した何者かがいるということかしら?

 彼らの人間関係、もっと深く調べる必要がありますけど、それは警察のお仕事です。いま、私達がやるべきことは、もっと別にありますわ」

 

 とはいえ、ハンディアに来てまだ二日、早くも一行の間に閉塞感が漂いつつあるのも事実だ。明日や明後日の内容によっては、予定の切り上げすら視野に入ってくる。

 「次に打つ手はどうしましょうか」と明確に口にはしないカレンだが、いつもより表情が曇りがちで、ため息も多い。ローズマリーもその様子に少し感化されたか、柳眉りゅうびの根本が寄ったままだ。

 かといって、こんな状況を打破できるアイディアをポンポン出せるほど、シドも頭の回転がよろしくはない。彼にできることといえば、手元に集まった情報を元に、ああでもないこうでもないと試行錯誤して、苦し紛れにでも次の一手を絞り出すことくらいのものである。

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