3.10 良い知らせをご期待下さい

 指揮車の空気は重く、そして煙たかった。

 アンディは現場からの通信に耳を傾けながら、壁にかけられた地図に書き込みを続けている。くわえタバコの火は途絶えることはなく、一本吸い切ってはまた新しい一本に手を伸ばす、その繰り返しである。シドは壁に寄りかかり、時折横目でアンディの様子をちらちらと伺いつつ、手帳と万年筆を手に思考を巡らせていた。

 自分の魔法の特性を見切られたというのは、シドにとっては痛手だ。彼が正面から接近したところで、犯人は逃げの一手を打つだけ。そうなっては、機動力に劣るシドでは追いつくこともかなわないだろう。ヘリから飛び降りて奇襲をかけるくらいの覚悟を決めなければいけないかもしれない。


「なんか名案は浮かばないかい、センセイ」

「……高いところに追い詰めたほうが、まだマシかもしれないな」

「新市街のほうが上手くやれそう、ってことでいいかい?」

「範囲を絞ったところでどれだけ食い下がれるかはわかんねーけど……下手に上へ下への大移動を繰り返されるよりはまだマシじゃねーか、って思ってな」


 シドが特に苦手とする、高さ方向の機動。それを封じることができれば、まだ対処のしようがあるかもしれない。


「新市街もそこそこ広いが、何処に連れ出す?」

「とにかく高いビル」


 仮に逃走犯が優れた【身体強化】魔法の使い手だとしても、高層階から落下して無事で済むことはまずない。ならば、まずは可能な限り高いビルに追い込み、階下に飛び降りるという選択肢を断つ。


「おまけに孤立してりゃ、なおよし」


 ただし、周囲に同等の高さのビルがあっては逆効果だ。身軽な魔法使いなら飛び移って逃走してしまう可能性がある。相手の動けるフィールドを狭めてようやく、同じ土俵に立てるのだ。


「石油公社の新社屋ビルなんてどうだろう? あそこだったら高さは相当あるし、周りはまだ建設中のビルばかりだ。基礎工事が終わって低層階が作りかけなんだよ」

「ずいぶんいいところを知ってるな」

「石油公社の進出で一気に地価が上がって、買い手がつかなかった時期があってね。だからあそこだけ開発が遅れてる」


 アンディは青いペンで印をつける。


「あそこの上に追い詰めるのは警察で頑張るけど、犯人とはどうやって接触する?」


 問題はそこである。

 魔法の腕を買われて外国人部隊にいたシドだが、受けたのは地上戦の訓練だけである。潜入や敵地への降下といった、特殊部隊のような訓練を受けた記憶はない。とはいえ、自由自在に魔法を使う逃走犯と渡り合えるのは、現状ではシドだけだ。背に腹は代えられない。


「ヘリから降下する……か?」

「自信がないなら別の方法でやっておくれよ。魔導士は万能じゃないんだろ?」


 アンディはタバコを灰皿に押し付け、一つ苦々しいため息をついた。


「センセイが苦戦するのも珍しいね。野郎、そんなに速いわけじゃないんだろう?」

「速いというよりは、上手いんだよ。魔法の使い方だけじゃなくて、身のこなしも含めてな」


 魔法使いとしての能力は、経験によっていくらでも変わってくる。

 魔法のことしか知らない相手は、さしたる脅威にはなりえない。今回の逃走犯のように、相手の動きを見切る目を持ち、駆け引きができるだけの経験を積み、自分の狙い通りに体を動かすことができる魔法使いのほうが何倍も厄介である。


「CCの実地訓練にはいい相手だったのに、とでも思ってるのかい?」

「何を言いやがる……。あの娘は俺よりも機動力に長けてるからな。連れてこれればよかったんだが」

「なんで連れてこなかったんだよ」

「最初に言っただろーが、訓練で魔力切れ起こしてダウンしてんだって」


 あれだけ【加速】を使いこなせる魔法使いを相手にできれば、ローズマリーも学ぶところは多かっただろう。彼女がいないことは残念だし、何より――力になってくれたはずだ。


「ひょっこり来てくれたりしないのかい?」

「さすがに無理だろ。ここから教会までは結構遠いしな。車のキーは俺が持ってきちまったし、そもそもあの娘は運転免許を持ってない」


 ジャケットの内ポケットを探れば、指に触れるのはキーの硬い感触。そんな状態でチンクエチェントがすっ飛んで来たら逆にびっくりだ。

 八方塞がりの気配に、指揮車の空気が再び重くなりかける。トビアスが指揮車のドアをノックしたのは、まさにその時だった。


「失礼します! 警部、お客様です!」

「作戦会議中だよ? 後にしてもらってくれないか」

「いえ、それが、ムナカタ先生に取り次いで欲しいとのことです!」

「会議中、失礼します……」


 俺に? と訝しんだシドは、ちょっと困ったように微笑む大男の後ろからおずおずと顔を出した少女をみて万年筆を取り落とした。

 アンディの驚きっぷりもなかなかのもので、タバコの灰が落ちるのも忘れ、幽霊でも見たように呆然とした表情を浮かべている。

 メイド服の少女はそんな二人の大人の内心はつゆ知らず、さもそれが当然であるかのように長いスカートをつまんで綺麗に一礼した。


「遅れてすいません。ローズマリー・CC、只今到着しました」

「えっ、ちょっ、CC? どうしてここに?」

「先生が現場に出ていらっしゃるというのに、私だけのうのうとベッドで寝ているわけにも行かないでしょう? クロちゃんも一緒です」


 スタスタと車内に入ってきたクロは、自分のことも忘れてもらっちゃ困るぜ、と言いたげに胸を張ろうとしたが、車内に立ち込める煙臭さに耐えきれずにくしゃみをする。


「CC、どうやってここに来たんだい? 免許もキーもないんだろう?」

「シスター・レイラがチンクエチェントで送ってくださったんです」

「俺の車で?」


 しまった、とばかりに口を押さえたCCを見て、シドは大体の事情を察した。それなりに走るとはいえチンクエチェント自体は旧い車だ。悪知恵の働くやつが小細工ををすればキー無しでエンジンをかける事ができてしまう。

 ……シスターには後で説教が必要だ。


「噂をすれば影、とはよく言ったもんだね、センセイ。何の因果か知らないが、こっちの手元にも切り札が転がり込んできたわけだ。さあ、どうしようか?」


 悩ましいところである。

 大事を取ってローズマリーを休ませなければならないのは、シドも重々承知している。だが、今は機動力に長けた彼女の手をぜひ借りたいところだ。

 うーん、と腕を組んで唸るシドに、ローズマリーは静かに話しかける。


「行かせてください、先生」

「さっきまで魔力切れでダウンしてた娘を前線に出す、ってのもなぁ……」

「先生とも、シスター・レイラとも、これまで一緒に訓練を積んできました。ご自分の弟子を、もっと信じてはいただけませんか?」


 じっとシドを見つめるローズマリーの双眸は、「私を出せ」とうるさいほど主張し続けている。

 自分が遠い昔に失ってしまった、強い意志のこもった眼差しに射抜かれたシドは、小さく首を縦に振っていた。気圧された、という表現が一番近いかもしれない。その様子を見たローズマリーは小さく拳を握りしめている。


「……君はすでに一度、魔力を使い果たしてる。あまり無理が聞く体じゃないってことは忘れるな」


 承知しています、とローズマリーは小さく頷いた。


「石油会社の新社屋ビルの屋上に犯人を追い込む方針は変わらず、追跡役のみCCに変更、ね。センセイ、本当に大丈夫かい?」

「前後左右の動きだけならCCが圧倒的有利、上下方向の起動と実戦経験は向こうのほうが有利、総じて五分ってところだな」

「疲労は?」

「お互い様だ。CCもさっきまでダウンしてたけど、向こうも万全とは行かないだろうからな」


 そいつはちょっときついねぇ、と珍しくアンディが弱音を吐く。


「俺だと七対三で不利なんだ、それを五分に持ってけただけマシだと思えよ、警部殿」

「先生、逃走犯の魔法と戦型スタイルは?」


 ローズマリーの質問に、シドは手帳を見ながら答える。


「君と同タイプの魔法使いだ。【加速】魔法を使い、接近戦をこなす。おそらくボクシング経験者、左利きサウスポーだ。拳銃を所持しているから、十分注意するように。あと、手がかり足がかりなしに壁の上り下りをこなす、まるで蜘蛛男スパイダーマンだ」


 シドがもたらした情報を手帳に書き留めて考え込むローズマリーの仕草は、アンディから見ると師匠にそっくりだ。


「上下方向の動きが得意なのに、高いところに追い込むのですか? 地上にいるうちに捕獲してはまずい理由でも?」

「それができるならベストだが、たぶん、君でも無理だと思う」


 無理という言葉が聞き捨てならないのか、ローズマリーは険のある表情を見せる。


「逃走犯は身のこなしの軽いやつでな。単に【加速】魔法を使いこなしてるだけじゃない。相手の動きを見切る眼と洞察力を兼ね備えている。相手の一挙一動から、二手先三手先を読めるタイプなんだろう。そうなると、経験の差と、コンディション面で君のほうが若干不利だ」

「では、どうします?」

「……最初の一手で相手の背後を取って、戦闘不能にまで持ち込めるなら、まずはそれでいい」


 最初の一手は奇襲、とローズマリーは頷く。並外れた【加速】魔法への適性を生かした不意打ちは彼女の十八番だ。


「それが失敗した時の二手目、三手目を準備しておく必要がある。もし、奇襲でしくじったら……石油公社の新ビル屋上へご案内、だ」

「追い込むのはいいんですが、それ、うまくいきますかね……?」


 ローズマリーの疑問に答えるのはアンディだ。


「一般的な逃走犯を追い込むときのやり方は、あいつにもある程度通じてるからね。そこの指揮は任せてくれ。それよりも、本社ビルの屋上に登ったら、犯人と一対一サシで勝負してもらうわけだけど、あまり無理はするな。僕たちが着くまでそこから降ろさなければ、それでいい」

「私が逮捕してはいけないのですか?」

「さっきも言ったとおり、相手は近接格闘に長けていて、その上拳銃を所持している。まずは自分の安全を確保することが最優先だ。君は【強化】くらいしか、防御に役立つ魔法を使えないから、クロスケを連れて行くといい」


 先程まで机の下で丸くなっていたクロは、ローズマリーの足元に歩み寄り、顔を上げてにゃあと鳴く。


「俺のとはちょっと違うけど【防壁】も使えるし、耳もいいからきっと役に立つ。クロスケ、CCを守ってやってくれ」


 シドに言われずとも百も承知だよ、と言わんばかりに鼻を鳴らしたクロは、柔らかく地面を蹴って跳躍し、ローズマリーの右肩に器用に陣取る。


「説明は以上。行けるかな、お嬢ちゃん?」

「ええ。それでは警部、先生、行って参ります。良い知らせをご期待下さい」


 ローズマリーはいつものようにスカートをつまんで綺麗に一礼した。

 黒いワンピースを基調としたメイド服に、右肩には黒猫。いささか奇妙な出で立ちの魔導士が、ついに本当の実戦デビューを果たす。

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