3.11 お願い、力を貸して

 婦警の手を借りて一通りの装備を整えたローズマリーは、クロを伴って夕暮れの街へと駆け出してゆく。

 逃走犯と対峙するまで、彼女に指示を出すのは警察だ。シドの出番は実際に逃走犯を追い詰めた後――対魔導士戦に突入してからの話になる。

 結論から言ってしまうと、初手の奇襲は失敗した。

 ローズマリーが復調し切っておらず【加速】がやや鈍っていたこともあるが、それ以上に逃走犯の身のこなしと洞察力が一枚上手だったことに尽きるだろう。


「次の作戦に切り替えよう。チャンスは必ず来る。それをモノにさえすればいい。慌てるな、まだ終了じゃない」


 千載一遇の好機を取り逃がし、少々冷静さを欠いた声で報告してきたローズマリーを落ち着かせたシドは、再びアンディに指揮を任せ、通信車の壁に寄りかかって考えを巡らせていた。


「ずいぶんとらしくないアドバイスじゃないか、センセイ」


 状況報告の合間にタバコをプカプカとくゆらせながら、アンディがシドをからかう。


「何だよ、藪から棒に」

師匠センセイとしての自覚が出てきたんじゃないか、ってことさ」

「自覚も何も、最初からそのつもりだよ」


 シドに睨みつけられても、アンディの飄々とした様子は変わらない。おお怖い怖い、と口で言ってはいるが、ただ言っているだけだ。


「……CCが心配かい?」

「当たり前だろ」


 少女からの通信は、スピーカーを通じてシドにも聞こえている。

 日々訓練の相手をしているシドにすれば、彼女の息遣いを聞けば、まだまだ本調子でないことが一目瞭然だ。今は付かず離れずの距離で追っかけっこをしている段階だからいいものの、彼女の調子を逃走犯に悟られ、反撃に出られると厄介なことになるかもしれない。


「はじめての実戦にはちょうどいい相手かと思ったんだが……送り出す段になって、やっぱりあの娘にゃ荷が重いかな、とも思うようになった」

「師匠が弟子を信じてやらないでどうする? それに遅かれ少なかれ、あの娘もセンセイや俺達の手を離れて、一人前の魔導士として現場に立つんだ。そのときにいきなり化物みたいな魔法使いとお手合わせ、よりはよっぽどいいじゃないか」


 魔導士として生きている時間が長いせいか、シドはアンディのように楽観視できなかった。一見平凡な魔法が、使い手によって剣や銃よりも強力な武器に容易く変貌へんぼうすることを、彼はよく知っている。


「せめて万全な体調で挑めれば、もう少し話は変わるんだが」

「とはいっても、最初からあんまりうまく行き過ぎる、ってのも考えもんじゃないか? そのへんのさじ加減は難しいよね」


 その心は? と水を向けられたアンディは自説を語る。


「ウチの新人にもたまにいるんだが、最初の任務で上手く行き過ぎて慢心するやつがいるんだよ。それがもとで警察をやめたやつも、命を落としたやつも、一人や二人じゃない。あのバカ真面目なお嬢さんに限って、そんなことはないとは思うけどね。若い時の苦労は買ってでもしろ、って昔から言うだろう? 師匠はどーんと構えて、弟子が上手くやったら褒めて、ダメなところはちゃんと注意してやればいいんだよ」


 言葉のチョイスはいささか乱暴だが、言っていることは概ね正論だ。なんだかんだ言って、若くして多くの部下を束ねる立場ポストに就いているだけのことはある。


「さすが警部殿」

「よせやい、褒めても何も出ないぜ。それにセンセイ、勝負は犯人を追い込んでからだ。準備しておいてくれよ?」

「わかってるよ。俺を誰だと思ってやがる……とは言わねーけどさ。ま、やれることをやるだけだよ」


 軽くストレッチをしたシドは、アンディの後について指揮車を後にする。狐狩りももうすぐ佳境だ。




 付かず離れずの距離を維持し、目標地点に相手を追い詰める。

 イヤホンから聞こえる指示に従って、ローズマリーはひたすら犯人を追いかけ続けた。万屋ムナカタに来て迎えた初の本格的な実戦は、一度魔力切れを起こして万全とはいい難い状態コンディションでの追跡である。

 初手の奇襲はまさかの失敗に終わっていた。

 犯人の虚を突いて一発で仕留めると意気込み、全力で【加速】魔法を行使したつもりのローズマリーだったが、一歩目を踏み出した瞬間に速度が足りないことに気づいた。

 逃走犯よりも速いのは事実だが、いつもの彼女には遠く及ばない。普段なら二歩で詰められるはずの距離を踏破するのに四歩半かかり、犯人を捉えようと伸ばした左手も虚しく宙を掻く。

 極力表情を変えまいとしていたローズマリーだが、にじみ出る悔しさを隠しきれなかった。彼女の速さに驚いた犯人も、心の乱れを見抜いたのかニヤリと笑う。


「度胸は買うけどお嬢ちゃん、気持ちが前に出すぎだぜ?」


 犯人よりも速いはずなのに、捉えることができない。ほぞを噛むローズマリーをあざ笑うかのように、逃走犯は先を走る。

 乱れた心をなんとか押さえ込み、ローズマリーは逃走犯を視界に捉え続ける。シドから話には聞いていたが、右へ左へひらひらとよく動き回る犯人だ。軽薄な口調といい、身軽な動きといい、彼女の嫌いなタイプの男である。つい毒づきたくなるが、肩の上で器用にちょこんと座って【加速】に耐えるクロのぬくもりが、彼女の思考を適切な温度に引き戻す。


「後ろからプレッシャーを掛け続けろ。機動部隊が道を塞いで犯人を誘導する」

「了解。引き続き指示をお願いします」


 発砲許可の降りた機動部隊が道を塞げば、当然、犯人は手前の道に折れて逃走を続ける。

 宵の口とは言え、もともと人通りの少ない裏道である。犯人を見失うようなこともないが、流れを遮るものがないぶん逃げるのもたやすい。

 内心舌打ちをしたローズマリーだったが、直後に鋭い猫の鳴き声を聞いて息を呑む。彼女の目に飛び込んできたのは、足を止めた逃走犯。

 ここがチャンス、とローズマリーが強く地面を踏みしめた瞬間、彼女の耳に響いたのは聞き覚えのない声だった。


「飛べ!」


 中性的な声に一瞬戸惑ったローズマリーだが、直感的に踏み切る方向ベクトルを変え、宙を舞う。

 上には行かせまいと気迫一閃、ロングスカートを翻して自分の直上を陣取った少女を見た犯人は、再び【加速】して先を走る。

 その姿を追う彼女の脳裏に、ふとシドの言葉がよぎる。


 ――犯人は蜘蛛男スパイダーマンのように、何の足がかりもなく壁を上り下りする。


 いくらローズマリーがシドより身軽と言っても、空を自由に飛べるわけではない。あたりは低層の建物ばかりだが、屋根伝いに逃げられては向こうの思う壺。石油公社の新社屋に追い詰めるまでは、機動隊と一緒に逃走犯を地上に釘付けにしなければならない。そうでなければ誘導すらままならなくなる。

 結果的には、さっきの謎の声に従って正解だったわけだが、結局その正体はわからずじまいだ。


「状況はどうだ、CC?」


 そんなコトを考えていたものだから、シドの質問に答えるまでにわずかに間が空いてしまった。


「危うく屋根伝いに逃げられそうでしたが、何とか上をとって押さえ込みました。予定通り、新市街に向けて再び追跡中です」

「……あまり無理はするな。目標地点に追い詰めれば、後は俺と警察でなんとかする」

「ええ、わかってます、先生。何かあった時はお願いします」


 ローズマリーがちらりと横に目線を向けると、クロと偶然目が合う。できれば一人で何とかしたいところだが、シドや警察を煙に巻いたのだ、一筋縄でいく相手でないのは明らかだ。


 目的を果たせるなら猫の手でも借りてやる――。


 ローズマリーは前を向いたまま、肩のうえの相棒に語りかける。


「クロちゃん、お願い、力を貸して」


 言われなくてもわかってるよ、と言いたげにのんびりと鳴くクロの様子に軽く微笑んだローズマリーは、犯人を追い詰めるべく、地を蹴る力を強めた。

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